第3話
そんな、ある夜のこと。
一日の仕事をすべて終え、自室に戻ろうと思っていると、急に声をかけられた。
「ラスティーナさん、今日、もう上がりでしょ? たまには一杯どうだい?」
私は、気だるげに振り返る。
背の高い若い男が、屈託のない笑みを浮かべて、こちらを見ていた。……彼の名前は、アンディ。この宿の主人の息子で、三ヶ月前に、ふらりと旅先から戻ってくると、精力的に宿の仕事を手伝うようになり、私にもよく話しかけてくる。
ハッキリ言って私は、アンディのことが苦手だった。
彼のことが嫌い……というわけではない。どちらかと言えば、愛想の悪い私に、いつもニコニコと話しかけてくれるアンディに対しては、好感を持っている。
しかし私は、長らく続いた人間不信のせいで、仕事の事務的な会話ならともかく、日常的な気安い会話というやつが、できなくなっていた。だからアンディに話しかけられても、冷たい返答しかすることができず、そのたびに、なんだか辛い気持ちになるので、彼のことが苦手なのだ。
……私だって普通の女の子みたいに、同年代の男の人と楽しくおしゃべりしたい。でも、どうしても自分の殻を打ち破ることができない。私は今日もアンディに対し、いつも通りの冷たい言葉を返した。
「遠慮しておきます。忙しいので」
もちろん実際は、忙しくなどない。今日の仕事は終わりだし、後は部屋の中で、眠たくなるまでぼぉっとしているだけだ。何のいろどりもない、退屈な夜。……アンディの誘いを受け、一緒にお酒でも飲めたら、どんなに気が晴れるだろう。
私は、孤独だ。
しかも、それを分かっていながら、自分を変えることが、どうしてもできない。
寂しさと惨めさで、喉の奥から、自然とため息が溢れた。
そんな私に、アンディはなおも語り掛けた。
「忙しいって……何か、仕事が残ってるのかい? 手伝おうか?」
それは、めずらしいことだった。
アンディはしつこい方ではないので、いつもなら、私が一度断ったら、すぐに『それじゃ、また今度』と言い、退散するのだが、今日は逆に、さらに一歩距離を詰めてきた。思ってもいなかった彼の反応に、私は焦り、しどろもどろになって、思わず正直に話してしまう。
「えっ、いや、その……本当は、別に、忙しくなんかない……です……」
アンディはニッコリ笑って、言う。
「だよね、今日はお客もほとんどいないし。……こんなふうに、夜、ゆっくりできることって、めずらしいでしょ? だから、飲みに行こうよ。ほら、俺たち、もう三ヶ月も一緒に働いてるのにさ、お互いのこと、全然知らないじゃない。俺、一度ラスティーナさんと、ちゃんと話がしてみたいって思ってたんだ」
アンディの涼しげな笑みには、私に嘘をつかれた不快感など、微塵もなかった。
……私は少し迷ったが、忙しくもないのに、彼の誘いを断るために『忙しい』と嘘をついた負い目もあり、小さく頷いた。そして私たちは、近場にある、アンディ行きつけの酒場に向かったのだった。
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「……それでね! そいつが言うのよ! 『あんたはもう用済みだ』って! 『国から出てけ』って! ああああああ! ふざけんじゃないわよ! 出てってやるわよ! あんな薄情者だらけの国! こっちから願い下げよ!」
私は、酔っぱらっていた。
自分でも信じられないくらい、酔っぱらっていた。
お酒を飲むのは、人生で初めてのことだった。
それほど美味しいとは思わなかったが、頭がふらりとし、心を包んでいた檻が壊れていくような感覚が気に入り、私は運ばれてきたお酒を、二杯、三杯と、一気に飲み干したのだ。
結果、酔った。
それはもう、滅茶苦茶に酔った。
その、強烈な酔いにまかせて、この半年間溜まっていた鬱積を、全部言葉にして吐き出した。普段は必要最低限のことしか喋らない私の、あまりの変貌ぶりに、アンディは苦笑しながらも、「そうなんだ」「大変だったね」「つらかっただろう」と、優しい相槌を打ってくれた。
う、嬉しい……
溢れ出す感情のままに悩みや苦しさをぶちまけて、それにただ、静かに相槌を打ってもらうだけで、こんなに心が救われるだなんて、思ってもいなかった。私はずっと、誰かに話を聞いてもらいたいと思っていたのかもしれない。
やがて、私の愚痴が一段落すると、アンディは一口お酒を飲み、尋ねてくる。
「ちょっと気になったんだけど、ラスティーナさんと、その、えっと、バグマルス王国の王子様……ウルナイト殿下って、婚約してたの?」
アンディが一口飲む間に、私は、その三倍の量を飲み、ジョッキをドンとテーブルに置きながら、答える。
「そう! そうなのよ! 第一王子と、国を守護する聖女が婚約を結ぶのが、バグマルス王国の慣習なの! ……私ね、昔は、あのウルナイト殿下……いや、『殿下』だなんて、敬称で呼ばなくてもいいわよね。私、もう、バグマルス王国の国民でも何でもないんだし」
そこでさらに一口お酒を飲み、私は改めて言葉を続ける。
「私ね、昔は、あのウルナイトが、あんなに嫌な奴だなんて知らなかったから、『孤児の私が、王子様と結婚できるなんて、夢みたい~』って、喜んでたの、馬鹿みたいでしょ? 今にして思えば、王子と聖女を婚約させるのは、そうすることで、聖女が役目を放り出して逃げないようにするためだったんでしょうね」




