第一話 夜半の封書
バイト帰りの夜。時計の針が真上を指す頃、ようやく家が見えてきた。
築年数は知らないが、どこかくたびれたアパートで俺の城だ。
家賃の安さだけが取り柄だが満足している。
「はー、しんどっ。早く飯食って寝たい」
耳に残る客の怒鳴り声を頭を振って追い出しながらアパートへの敷地を跨ぎ、駐輪場へ向かう。
自転車を止め、コンビニの袋を手に部屋へ。いつものように鍵を回し、玄関を押し開けた時だ。
視界の端に白い封筒のようなものがひらりと舞った。
僅かに入る背後からの光源が、玄関のたたきに四角い影を映している。
「……あ? 封筒?」
拾い上げてじっくりと眺める。
それは厚手の封筒で、裏には真紅の蝋でしっかりと封がされていた。
ざらりとした蝋の感触とわずかに漂う焦げたような臭いに眉をしかめる。
最初はチラシが落ちているのかとも思ったが、違う。こんな凝った封筒をポスティングする店はいないだろう。
しかし手の中の封筒には宛名も差出人の記載もない。
これでは俺宛なのか、それとも近所の誰か宛なのかすら判断できないではないか。
めんどくさいものを拾ってしまった。そう思った瞬間、ふとある言葉が脳裏によぎった。
『白崎図書館からの封書』――それは都市伝説としてネットで語られているもの。
差出人不明。真紅の封蝋。届いたものは消えるとか回収されるとか、そんな話。
内容が今の俺と似通っていて、つい思い出してしまった。
そして、心底思い出すんじゃなかったと後悔する。
「……いやいや。まさか」
手の中にある封筒が、あまりにも都市伝説と似通っていた。
だから思い出してしまったが、都市伝説など現実に存在するわけがない。
俺は封筒を数秒見つめたあと、それを持ったまま暗い部屋の中へと足を踏み入れた。
一人暮らしなのに「ただいま」と口に出しながら玄関を進み、部屋の電気を付ける。
カチッという軽い音とともに視界が確保され、重い体を引きずりながら俺は鍵とともに封筒をテーブルへと放り投げた。
狭いワンルーム。冷えたままのコンビニ弁当をスマホを眺めながら食べる。
いつもの一連の動作なので何も考えず、作業のようにさっさと済ませた。
食後はさっさとシャワーを浴びて、ベッドへと寝転ぶ。
「そういえば……」
白い天井を見ていて、ふと先程の封筒の存在を思い出した。
ベッドから起き上がりテーブルへと向かう。
改めて封筒を手に取ってみたが、やはり差出人も、宛名も、何もない。
白い封筒に真紅の封蝋。それのみだ。
押された印は円形。その中には崩した文字のような何かが記されていた。
目を凝らすと漢字の「返」「録」「還」のような文字が絡み合っているようにも見える。
しかしどれも途中で途切れ、読めそうで読めない。
しばしの逡巡の後、俺は封を切った。
こんなものに怯えるなんて馬鹿らしい。――そう思い込みたかったから。
そして何より。好奇心もある。中身を見なければ気になって眠れない。
そう思って中の紙を取り出した。
「は?」
一枚の便箋には黒いインクでこう書かれていた。
『高梨悠真様へ 本の返却をお願いします』
そして――
『白崎図書館 司書白崎』
丁寧で整然としており、形や間隔が均一な文字。書いた人間の几帳面さが窺える字だった。
俺はしばらく呆然と眺め、ふっと乾いた笑いを漏らした。
馬鹿馬鹿しい。おそらく友達の誰かのイタズラだ。そうだとしても気味が悪すぎるけど。
「……寝るか」
俺は手紙を封筒ごとゴミ箱へと投げ捨て、改めてベッドへと寝転がる。
その瞬間。どこかで紙の擦れる音がし、白い封筒が脳裏を掠めた。
しかし確認するのが恐ろしく、背を向けるように寝返りを打ってから強く目を閉じた。




