第八話 遺
秋の風が、山をなぞるように吹き抜けていた。
羽根郷古墳公園は、山裾に広がる静かな緑地。
すすきの穂が揺れ、遠くの木々がざわめくたび、鳥の声が風に混じって聞こえる。
その中心に、なだらかな丘がひとつ。
復元された前方後円墳——羽根郷1号墳。
鍵穴のような形が、空に向かって静かに開かれている。
「歴史探訪の旅」と書かれた旗のもとに、団体旅行の一行がゆっくりと集まり、
十森冴子は案内板の前に立った。
首から下げた名札には「羽根郷古墳資料館・学芸員」とある。
彼女は風の音に耳を澄ませるように、語り始めた。
「ようこそ羽根郷古墳公園へ。今日は天気にも恵まれて良かったです」
落ち着いた雰囲気の女性が、帽子を押さえながらつぶやいた。
「埴輪がたくさん並んでるわ。それにしても風が気持ちいい」
その隣では、若い男性がスマートフォンを構えながら感想をいう。
「いいな……この墳丘、鍵穴みたいで面白い」
後方では、歴史好きの年配男性が、彼の言葉に頷いていた。
「最近シニアカレッジで学んだよ。これは前方後円墳といってヤマト王権の象徴なんだと」
さらに、文化財ボランティアらしき中年男性が地図を見ながら興奮していた。
「古墳だけじゃない。この丘からみると道が碁盤の目のようになっている。古代の遺跡もあるのかな……」
冴子は、歴史に興味がある参加者が多いことに微笑みながら、語りを続けた。
「こちらが復元された1号墳です。園内には10基の古墳がありますが、これが最も大きく、
五世紀初頭に築かれたとされる、ここ羽根郷の首長墓とされるものです」
「残念ながら古墳時代は文字資料が乏しく、被葬者がどんな人物だったのか、
なぜこの地に古墳が築かれたのかを語ることはできません。
ただ、これほどの規模の前方後円墳は畿内の王墓にも匹敵します。 重要な人物だったことは確かです」
風が墳丘の草を撫で、埴輪の影が地面に並んで揺れた。
冴子はその並びに目を留め、語りを続けた。
「出土した副葬品から、ある程度の人物像が浮かび上がってきます」
案内板には、鉄製品や土器などの遺物写真が並んでいた。
「墓からは、多数の遺物が出土していますが、
中には羽根郷地域に馴染みのないものがあります。
特に墓に捧げられた土器には、近畿地方のものかと思われる特徴を持つものが目立ちます」
年配の男性がつぶやいた。
「とすると、この墓も畿内に関係する権力者なのか……」
冴子はうなずきながら、言葉を選んだ。
「この地域に、これほどの規模の古墳は他にありません。
一部の研究者は、ヤマト王権と深い関係にある人物が、
この時期に羽根郷にいたのではないかと推測しています。」
冴子は、馬形埴輪の並びに目を留めつつ、続ける。
「歴史的にはこの後、周辺では馬産地の開発が進みます。
詳細はまだ不明ですが、馬を通じて羽根郷遺跡が畿内と深く関わっていたことは確かです」
聞き入る一行に、指差しで示しながら、
「あちらの南側の丘の下からは、奈良時代の遺構が見つかっています。
行政区分では、あそこ一帯は天城町と呼ばれています。
天城遺跡では木簡が多数出土しており、役所跡だった可能性があるとされています」
「出土した荷札木簡には、“阿末”や“万木”といった断片的な文字が見られます。
古代史の研究者たちは、これが、アマギを示していると指摘しています」
「もしそれが地名を指すとすれば、畿内から運ばれてきた物資に付けられた荷札であり、 この辺りがかつて、アマギと呼ばれていた可能性があります」
帽子の女性がぽつりとつぶやいた。
「アマギ……天城……今につながるのね」
冴子は静かにうなずいた。
「不思議なことに、アマギという言葉は、この地域ではほとんど馴染みがありません。 現在の天城町だけが、異質な響きを持っているのです」
冴子は、それぞれ思案にふける一行を振り返り、柔らかく声をかけた。
「それでは、次は資料館へご案内します」
風が再び吹き抜け、埴輪の影が静かに揺れた。
丘を下りかけた冴子の耳に、風がふと、柔らかな気配を運んだ。
すすきの穂が揺れる音に混じって、誰かの声が聞こえたような気がした。
——「かわらず風が吹いている」
その声は喜びを帯びていた。
冴子は立ち止まり、振り返った。誰も話していない。
団体はすでに資料館へ向かって歩き出していた。
それでも、その言葉は確かに耳に残っていた。
声ではなく、風の調べのように。
彼女は目を細めて墳丘を見上げた。
羽根のような草が、風に揺れていた。
冴子は何も言わずに歩き出す。
風は、過去と現在を隔てずに吹いていた。




