第六話 災
ハネサトを囲む山々は、原初の火を纏っていた。
山は静かに眠るが、その力は少しずつ地の底で育っていた。
赤い熱が静かに息を吹き始めていた。
かつて、祈りによって風を呼び、
風が人々に変化の兆しを告げていた。
棚田の羽根が揺れれば雨が近づき、森の葉がざわめけば鳥が移る。
だが今、祈りの道は失われつつあった。
風の声が聞こえにくくなったことで、村は山の目覚めを予期できなかった。
その夜、山が鳴いた。
地が裂け、火が噴き上がった。
赤い光が空を染め、灰が風に乗って村へと迫っていた。
棚田は焼け、濠は埋まり、鳥は空を去った。
風は声なく、音だけを運んでいた。
すべて、灰の中に沈んでいた。
広場の前では、ナオヒコが立ち尽くしていた。
「命令が……まだ出ていない……」
彼は、これまで信じてきた秩序が役に立たないことに戸惑っていた。
だが、子どもたちの泣き声が彼を動かした。
「こっちだ、ついてきなさい!」
ナオヒコは、震える声で子どもたちを居館へと導き始めた。
命令ではなく、責任が彼を動かしていた。
馬場では、カザマが必死に馬を逃がそうとしていた。
灰にまみれた馬たちは、鼻を鳴らし、足をすくませていた。
「馬が動かない……」
彼は手綱をほどき、声をかけ、馬の背を叩いた。
そこへサネヒコが駆けつけた。
「馬は風を探してるんだ」
「風はこっちだよ」
彼は馬の耳元に囁き、背を撫で、カザマと共に馬を導いた。
一頭が北の尾根の方へ走り出した。それを合図に他がそれに続いた。
工房では、カネハラが炉の火を封じるため、必死に指示を飛ばしていた。
「炉の口を閉じろ! 灰をかけろ!」
「どこに行けば……」
そのとき、森の奥から村に向かって風が吹いた。
それを受け取ったカネハラは、視線を向ける。
「居館の方へ逃げろ」
ナオヒコやカネハラがたどり着いた、居館でも混乱が続いていた。
アマギが必死に統制を取ろうにも、正直どうしていいか分からなかった。
彼にとって、火山の噴火は初めての経験だった。
居館の裏から、突如風が吹き、トモリの声が周囲に広がった。
「皆の者、北の尾根へ向かえ。そこは風の道が残っている。」
彼はこの地で何度も火の怒りに立ち会ってきた者だった。
アマギは一瞬ためらった。命令の形が崩れ、秩序が揺らぐことを躊躇した。
だが、トモリの声は、力強く安心感があった。
アマギはすぐに判断した。
「トモリの指示に従え!移動せよ!荷を捨てて命を守れ!」
北の尾根に向かうカザマ、サネヒコとも合流した一行は、急に動きを止めた。
灰が舞い上がり、一面を覆い、もはや先が見えない状況だった。
「……終わりだ」
誰もが絶望の表情を浮かべていた。
そのとき、一行の後ろにいたモリヒコが動く
「……なにを?」
アマギが呟くのを目線で制し、先頭まで来る。
手に持ったカネを胸に、灰の空を見上げ、そっと目を閉じる。
そして、風に向かって声をあげる。
「風よ、道をひらけ」
その声は、祈りのように空へ溶けていった。
モリヒコは静かにカネを打つ。
カーン……カーン……カーン……
その音は、風の記憶を揺さぶる響きだった。
灰が揺れ、風が裂け、一本の道筋が現れた。
それは、風が皆を導くために開いた道だった。
その道を、村人たちは逃げ延びた。
カネを鳴らすモリヒコを先頭に、
ナオヒコは子どもたちを守りながら走り、
カザマとサネヒコは馬を誘導し、
カネハラやツカサが指示を飛ばし続け、
アマギとトモリが、しんがりをつとめた。
尾根を越えた先で、一行に追いついたトモリとアマギが向き合った。
トモリは言った。
「風が導いた」
アマギは、灰にまみれた顔を拭いながら答えた。
「見直す時かもしれん。風は確かにある」
その言葉には、これまでの支配とは異なる響きがあった。
トモリの目には、アマギの姿が新しく映っていた。
それは、理解の兆しだった。
モリヒコは、尾根から村を見下ろし、羽根を風の中に放った。吹き上がる羽根は、再構築の始まりだった。
風が、再び村を包み始めていた。




