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風を呼ぶ器  作者: katari
5/9

第五話 対

風は、誰のものでもなかった。

形を持たない。

ただ、通り抜ける。木々の間を、棚田の水面を、羽根の隙間を。


風と共にある者は、祈り、声を聞く。

風に寄り添う者は、思い通りにしようとしない。


その夕暮れ、風はふたつの背を撫でていた。

空は淡く染まり、棚田の水面が風に揺れていた。

サネヒコは馬の背にまたがり、風の向きを確かめるように目を細めた。

地面より高い視線。風が、頬を斜めに切っていく。


カザマは馬の首を撫でながら言った。

「馬は、風と生きる生き物だ。故郷では、風の道を馬が教えてくれた。

風が変われば、馬の歩みも変わる。思い通りにはいかない。風を読まなければ、走れない」


サネヒコは手綱を握りながら答えた。

「ハネサトでは、風は鳥が呼ぶものだ。羽根を浮かべて、風の通りを確かめていた。

馬が風を読むなら……それも祈りに近いのかもしれない」


カザマは少し驚いたように笑った。

「そうだな。馬は風を裂くが、逆らっているわけじゃない。馬は、風の中で生きている」


サネヒコは、馬の背で風を感じながら、静かに言った。

「風を読むことと、風を聞くこと。どちらも、風と共にあることだと思う」


カザマは頷いた。

その頷きには、細いながら確かなつながりが芽生えていた。

思い通りにしようとする者と、祈りに耳を澄ます者。

風を通じて、言葉を越えた理解が生まれようとしていた。


馬が一歩、地を蹴った。風が背を押した。

カネが、遠くで微かに鳴った。


森の奥では、工房が増設されていた。

その鉄炉では、カネハラとナオヒコが馬具の部品を鍛えていた。


火は、赤く脈打っていた。

炉の口から漏れる熱が、風に揺れていた。


ナオヒコは、火の様子を見ながら言った。

「風が強い……火が落ち着かない」


カネハラは、風の向きを見ながら静かに答えた。

「いや、風が通るのは、炉にとって都合がいい。風が火を受けて、強くなる。

火は思い通りにはいかない。そもそも、支配できるものじゃない。

火と対話することで、うまく働いてくれる。風は、その助けになる。」


ナオヒコは、父トモリの言葉を思い出していた。

「風が導くって……バカなと笑った。でも、火を扱い、ようやくわかった気がする。」


カネハラは、ナオヒコをちらと見て、視線を戻すと、薪の位置を少しずらした。

「火が暴れるのを避けるために風を読む。風を感じると身体が勝手に動くんだ」


ナオヒコは頷いた。

「風と火は、共にあるものだ。思い通りにしようとせず、対話する。親父が正しいのか……」


二人は、風の通り道に合わせて炉の配置を調整した。

その手つきは、祈りに似ていた。


工房の奥では、ツカサが図を広げていた。

設計通りに物事を進めることが秩序だと信じていた。

だが今、彼の目は風の流れを追っていた。


「ここは風が抜ける。何かあるのか?」

その言葉に、モリヒコが答える。

「この場所は、ヤマノカミと祈りを交わす場所だった。

風が田へ命を運ぶ道。風の道を守ってほしい」


ツカサはしばらく黙っていた。風の音に耳を澄ませる。

やがて、人を呼び指示を出す。

しばらくして、工房の板壁がひとつ外された。


「その地には、その地の秩序があるのだな」

ツカサの小さな呟きは、風が運び、カシの木へと向かったモリヒコに届いた。

羽根をカシの根元にそっと置いた。

その羽根は、風に揺れていた。

「風が共にあるなら、争わずに済む。」


ツカサは、かわらず風の音に耳を澄ませていた。

それは、対話の中で妥協点を見出す者の姿だった。

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