第四話 築
丘の草地が、静かに削られていく。
かつて羽根が舞い、風が祈りを運んだ場所。
今、そこに居館が築かれようとしていた。
その丘は、風と対話するための場だった。
羽根を放ち、カネを鳴らし、風の返事を待つ。
モリヒコが幼い頃、トモリに連れられて祈りを捧げた場所。
風はそこにいた。確かに、そこにいた。
アマギは言った。
「この地を治めるには、見渡せる場所が必要だ」
命令は届き、村人たちは動き始めた。
材木が運ばれ、地が均され、柱が立ち、屋根が組まれる。
風の道が囲われていった。
トモリは動かなかった。
命令に従わず、手を貸さず、ただ作業を見ていた。
その目は、静かに怒っていた。
その丘は彼にとって、 風と語り、祈りを捧げた日々そのものだった。
居館の背後、さらに高い尾根に、土が盛られ始める。
それは、墳墓の築造だった。
アマギは得意げに言った。
「オウの印を使う許可が下りた。この地の支配が認められた証だ」
円と方が連なる形の墳丘を描いた図がその手にあった。
それは、王権の形がこの地に刻まれる瞬間だった。
彼は図を広げながら、作業をする者に言った。
「形が秩序を作る」
誰も理由を問わず、理解を求める者もいなかった。
アマギもツカサも、説明する気はなかった。
命令が届けば、それでよい。
それが、この地に刻まれる新しい秩序だった。
———月日が流れ、
丘の南側は、草地が馬場として整備されていた。
カザマは馬の歩みを見つめていた。
風を読むように、馬は耳を動かす。
草地の端に残された、風への祈りの痕跡——そこに馬を導くのが、彼の習慣になっていた。
かすかに残る風が通る場所を探すように。
最近、頻繁にカザマの元に顔を出すようになったサネヒコが、馬の耳元に囁く。
「ここは、風が通るよ」
その声に、馬が首を振る。
カザマは何も言わず、ただそのやりとりを見守る。
それは、ハネサトの祈りがまだ息づいている証だった。
丘の北側では、鉄炉の火が絶え間なく燃えていた。
煙は空を覆い、風の道を変えていた。
炉の管理をするカネハラが真剣に火を見つめて言う。
「鉄は、火と風から生まれる」
その傍らで、カネハラに弟子入りしたナオヒコがうなずく。
炉の温度を上げるカネハラの手は迷いなく動いていた。
くつわ、轡、留め具——馬に必要な道具が形を与えられていく。
「鉄は、強い」
ナオヒコにとって鉄は、祈りに代わる確かなものだった。
「鉄があれば、ムラが守れる。それだけでいい」
ナオヒコはそう信じていた。
ツカサは、完成した墳丘の周囲に埴輪を配置する指示を出していた。
供物、武人、家——命令の届く範囲を形にする。
それは、ヤマト王権の秩序をこの地に現出させる作業だった。
そのとき、居館を見下ろす丘にモリヒコの姿を認めた。
かろうじて風が弱く吹き、羽根がひとつ、空に舞っていた。
モリヒコはその羽根に合わせて、静かに身を動かす。
腕が風をなぞり、足が地を撫でる。 それは祈りではなく、風への捧げもの。
言葉のない踊りが、風の道を探していた。
偶然その踊りが目に入ったツカサは、視線を外せなくなった。
オウとは違う秩序がそこにあった。
羽根の軌跡、モリヒコの間合い、風の呼吸。
それらは形に残らない、けれど確かに整っていた。
ツカサは動かず、何も言わず、ただその美しさを見ていた。
風が通るとは、こういうことなのかもしれない——
モリヒコは踊り終えると、羽根を手に取り、風に向かって一礼した。
その所作に、ツカサも思わず合わせて頭を下げたくなる衝動を覚えた。
だが、彼は思いを断ち、埴輪の配置図を胸に抱えて歩き去った。
モリヒコは、このままでは風が通らないことを知っていた。
居館が、墳墓が、鉄が風の道を遮り、祈りは届かない。
ただ、モリヒコは呟いた。 「風は必ず蘇る」
その声は誰にも届かなかった。
けれど、風はそれを聞いていた。




