第三話 形
棚田の一角に、四本の杭が打たれた。
縄が張られ、中心には柱状の木造物が立つ。
その表面には、円と方が連なる印が刻まれていた。
誰もその意味を知らなかった。
けれど、それは、オウの印と呼ばれ、 印のある場所は、オウのものとされた。
その区画に入るには、アマギの許可が必要となり、 祈りの羽根は、もう挿されなくなった。
倉の扉にも、同じ印が掛けられた。
かつて誰もが自由に使えた倉は、 鍵穴のような形によって、封じられた。
やがて、森にも手が伸びた。
後からやってきた連の姓をもつツカサ。オウの治の形を決める職能をもつ彼は、オウのモリを指定し、
大きなカシの木のもとに、オウの印が刻まれた石が置かれた。
そこは、かつてヤマノカミと祈りを交わす場所だった。
田へ命を運ぶ風の通り道、精霊との交流ができる森の入り口だった。
ハネサトは、少しずつ変わっていった。
広場では、子どもたちが土をこねて遊んでいた。
オウの印をつくり、それを並べる。
「ここはオウのタ!」
「こっちはオウのクラ!」
「入っちゃだめ!」 誰も教えていないのに、形が意味を帯びていた。
サネヒコは、その光景に言葉を失った。
モリヒコは羽根を手にしながら、静かに言った。
「オウの印は、風の通り道を塞ぐ。祈りが、届かなくなる」
その朝、モリヒコは濠の縁に立っていた。
羽根を水に浮かべたが、風は吹かなかった。
森に耳を澄ますが、葉は揺れず、鳥も鳴かず、目線を下げて再び羽根をみたが動かなかった。
「風が……通らない。」
モリヒコは広場のカネへと向かった。そのそばに座り、耳を澄ませた。
音は沈黙の中にあった。 それは、祈りが届かないことを意味していた。
その頃、カネハラは山にいた。
「鉄を育てるには、火を大きくせねば。風が生まれる場所はどこだ」
小さく呟きながら、風の道を探していた。
最初は小さな煙だった。 だが、数日も経たぬうちに、木が伐られ、炉が築かれ、
山は火を食べる場所になった。
環濠の水が濁り始めた。
かつて魚が泳ぎ、鳥が羽根を洗った水。
今は黒い灰が浮かび、底が見えないほどに濁っていた。
子どもたちは、もう水辺で遊ばなくなった。
山の斜面には、須恵器を焼く窯と埴輪の工房が並んだ。
村の者は何も知らない。ただ、命令されるままに粘土を運んだ。
水が、消えた。
環濠は干上がり、泥がひび割れた。
祈りの声が弱まっていく。
山は、禿げた。
木々はなくなり、風が土を削った。
かつてはシカが来て、イノシシが田を荒らした。 それは、自然との対話だった。
今は、誰も来ない。山が沈黙した。
鳥が、いなくなった。風は吹いていたが、鳥の声はなかった。
トモリは、杭が打たれた棚田の端に立っていた。
かつて風と語る場だった。
「この場所は、祈りの場だ。囲ってしまえば、風は通らぬ」
その声に、村人たちは手を止めたが、誰も返事をしなかった。
オウの印、その意味を知らぬまま、従うことが習慣になっていた。
トモリは目を伏せて、森へ向かった。
かつてヤマノカミと祈りを交わした場所。
オウの印が刻まれた石には目を向けず、
彼は羽根をカシの木の根本に置いて言った。
「風よ、まだここにいるか」
だが葉は揺れず、風は返事をしなかった。
その頃、アマギは倉の前に立っていた。
積み上げられた鉄製の鍬をみながら言った。
「これらは、そなたらのために用意した。オウの慈悲だ」
カネハラが鍬を手にして、得意げに笑った。
それから鍬、鋤、鎌——火と鉄の炉から生まれた新しい道具が、村に配られた。
棚田には、良い水が入っていた。
鉄の鍬で耕された土は深く、稲はまっすぐに伸びた。
稲穂は重く垂れ、風に揺れて光った。
それは、鉄、オウの秩序の成果だった。
その下の環濠は、濁っていた。
流れ落ちた水に、誰も見向きもしなかった。
濁った水は、沈黙の底に沈んでいた。
モリヒコは、棚田と環濠の水を見比べた。
「行為は何かを残していく。これは正しいことなのか?」
カネハラは笑って言った。
「結果が全てだ。みな満足している」
村は、静かにけれど確かに支配が進んでいた。




