第二話 馬
ある日の午後、風が、変わった。
それは、カネの響きによるものではなかった。
地を叩くような、重い音がハネサトに響いた。
その音に、最初に気づいたのはサネヒコだった。
畦にしゃがみ、木片を鳥形に削っていた手を止める。
西の道から、見たことのない生き物が現れた。
黒く艶やかな毛並み。しなやかな首。地を蹴る、逞しい四本の脚。
その背には、人が乗っていた。
サネヒコは、目を見開いた。
それは、名も知らぬ生き物だった。
村の入り口で、サネヒコは対峙する。
相手は四人と三頭。得体の知れない生き物に乗る男が一人、馬を近づけて声をかけた。
「おれはアタイの一人、カザマという。これはウマという生き物だ。どうだ、美しいだろう」
直の姓をもつ渡来人、カザマ。ヤマト王権で馬を育てる者。
別の男が声をかける。
「おいおい、大丈夫か。オビトの一人、カネハラだ。はやくオサを呼んでこい」
首の姓をもつカネハラ。鉄鍛冶を組織する職人長。
その後ろに、最も立派な馬に乗った男が、無言でサネヒコを見下ろしていた。
その横に、付き従うように立つナオヒコの姿があった。
ハネサトの長・トモリの息子。モリヒコ、サネヒコと同世代の幼なじみ。
だが今は、尊大にしゃがみ込んだサネヒコを見下ろしていた。
「サネヒコ、早く親父を呼んでこい。とろいやつだな。走れよ」
サネヒコは、泥のついた手を握りしめた。
言い返す言葉は浮かばなかった。
畦を蹴って走る。風の道を逆らうように、村の中へと急ぐ。
広場には、モリヒコが立っていた。
中心に置かれたカネのそばで、風の向きを見つめていた。
その姿は、静かに風と語る者だった。
「モリヒコ! 長はどこだ!」
モリヒコは、指で示す。カネが、微かに揺れた。
音はまだ、沈黙の中にあった。
「クラの方だな」
サネヒコはさらに奥へと走る。
ハネサトの長、トモリは、倉の前にいた。
風の通り道を確かめるように、扉を守るカネの前で、ひざまずき祈りを捧げていた。
「長! 大変だ! なんか変な奴らが! ウマっていうのに乗ってる! ナオヒコも一緒だ! 入り口にいる!」
トモリは、ゆっくりと顔を上げた。
風が、彼の肩を撫でた。
「ウマ……か」
トモリは、モリヒコとサネヒコを引き連れて、村の入り口へと向かった。
ナオヒコはウマの横に立ち、腕を組んでいた。
「親父、遅いぞ。オウのオミが来てくださった。ハネサトはオウのムラに選ばれたのだ」
トモリは、ゆっくりと視線を上げる。馬上の男を見つめる。
「オミ、アマギだ。ここをオウのムラとする。タ、クラ、モリ——オウのものを決めていく」
冷たい視線をトモリから外さず、静かに話すアマギ
臣の姓をもつヤマト王権の有力者。
王権の支配を西国に広げるためにやってきた。
だが、トモリはその顔に見覚えがあった。
「……アマギか」
アマギは頷いた。
「久しいな、トモリ。母が語っていた。お前の祈りの所作は、風そのものだったと」
「お前の母は、この村の出だ。風とともに育った者だ。お前も、幼い頃にここへ来たことがあったな」
「覚えている。棚田の縁で、羽根を浮かべた。風がそれを運んだ。……オウの指示で、このムラを貰い受ける」
トモリは首を振った。
「この地は囲うことも、制することもできぬ」
アマギは、馬の首を撫でながら言った。
「この地は、馬の育成に適している。水があり、風が通る。馬を育てるには、王権の秩序が必要だ。」
トモリは静かに目を閉じた。
「風は、馬と共にある。全ては共に生きるものだ。」
アマギは何も言わず、風の向きを確かめるように目を細めた。
その瞳には、かすかな揺らぎが宿っていた。




