090 朝の訪問者と緑のお茶
オブスタクルレース予選の翌朝、目覚めるとすぐに朝食の準備を始めた。
昨日は<五大>機能『火』――魔法剣『あつかけん』を発動し、色々と試して魔力を大量に消費したため、空腹がすごかった。
台所に立つと、昨夜、帰宅途中に寄った屋台で買った牛肉の串焼きやサンドイッチを冷蔵の魔導箱から取り出した。
サンドイッチはそのまま食べられるが、さすがに牛肉は冷えたままでは食べられない。卵とトマトを取り出し、串から牛肉を外して一緒に炒めた。
料理とは到底言えないが、ひどく腹が減っていた俺にとっては、味よりも早く食べること――そちらのほうが重要だった。
炒めた料理を大皿に映してテーブルに置くと、サンドイッチと牛乳を並べ、手を合わせた。
「いただきます」
誰に言うわけではないが、どうも最近、熊本の気配を感じる出来事が多く、前世のくせが出てしまう。
肩をすくめて食事をしようとしたとき、ドアを叩く音が聞こえた。こんな朝早くから誰が訪れたのか――すごく気になったが、今は食事を優先する。
居留守を決め込み、サンドイッチを口に入れると、牛乳を飲んで一気に流し込んだ。
空腹は最高のスパイス――前世の言葉だが、異世界でも同じだった。普段食べ慣れている味だが、格段に美味しく感じる。
一心不乱に食べ続けていると、目の前の扉がすっと開いた。顔を上げるとナツメが爽やかな笑顔を浮かべ、立っていた。
「おはよう、ソウガ。今日もいい天気だね。もう梅雨明けかもね」
もはや驚くことはない。どうせ大家のショウさんから鍵を借りて入ってきたのだろう。とりあえず、不審者ではない――こともないが、無視して食事を続ける。
ナツメはそんな俺を見ても気にした様子はなく、目の前の椅子に腰を落とすと、じっと俺を見つめる。
短く切り揃えられた黒髪は艶やかで光沢を放っている。その隙間から覗く碧眼は朝日を受け、煌めいていた。
黙っていれば、相当な美人だ。ハンナとはまた違った魅力があった。ただ、性格に問題があるので、それに惑わされることはない。
食事の邪魔さえしなければ、見られる分には気にならない。黙々と朝食を口に運ぶ。やがて大皿に山盛りにあった牛肉の炒め物はなくなっていた。
視線を上げると、いまだにナツメは笑顔を崩さず、じっと俺を見つめていた。
俺が見つめ返すと、彼女はさらに笑みを深めた。また何かとんでもないことを言われそうで、思わず、ひゅっと息を呑んだ。
◆
黙って朝食をとるソウガを見つめる。昨日、訓練場で見せた彼の裸を思い出し、胸がざわついた。
あれほど体を鍛えているとは思わなかった。知り合いの伝手で近衛騎士団の訓練を見学したことがある。
そのときも騎士たちは訓練が終わると、汗を拭うために上半身を露わにしたが、ソウガの肉体のほうが鍛えられていた。
胸板は厚く、腹筋はきれいに割れ、無駄な脂肪は一切ない完璧な肉体美――ソウガが着痩せするタイプだと分かった。
普段は制服で隠れて分からず、体育の授業でも長袖を着て、露出を抑えている。恐らく体中にある傷跡を隠すためだ。
だが、あの傷跡すら美しく見えた。努力した結果だと分かり、彼の精悍な顔つきを際立たせていた。
思わず服の下の肉体を想像してしまい、頬が上気する。
「どうした、ナツメ? 少し顔が赤いようだが、風邪か?」
その言葉で我に返る。ソウガの裸を思い浮かべ、興奮したなどと言えるはずがない。私は羞恥心を笑顔で覆い、平静を装った。
「そ、そうかな、この部屋が暑いからじゃないかな。今度、冷風の魔導具でもプレゼントしようか?」
「……いや、体調が悪くないならいいんだ。冷風の魔導具も遠慮するよ、見返りが怖いからな」
上手に隠したつもりだったが、わずかに声が上ずってしまった。だが、ソウガは訝しげな表情を浮かべつつも、深く追及することはなかった。
食事を終えたソウガは、食器を片付けながら、お湯を沸かし始めた。台所に洗った食器を並べていると、お湯は沸騰し、湯気が上がる。
じっと彼の背を眺める。やがてソウガはティーポットに茶葉を入れ、少し時間を置いて、冷ましてからお湯を注いだ。
その姿を見て、苦笑いを浮かべる。紅茶は熱湯を一気に注ぎ、対流させて成分を抽出する。だが、彼は熱を冷まし、ゆっくりと注いでいた。
まあ、田舎の騎士爵では一流の執事を召し抱えるのは難しいだろう。紅茶の入れ方を知らなくても仕方ないと肩をすくめる。
やがてソウガがカップを二つ持ってくると、爽やかで若々しい香りが漂ってきた。どうやら普通の紅茶とは違うようだ。
少し興味が湧き、テーブルに置かれたカップを覗き込むと、黄みがかった明るい緑色の水色が静かに湛えられていた。
「……これは紅茶じゃないね。色も香りも違う。けど、芳醇で華やかな香りとは違って、すっきりとした若々しい香りは、暑い日にはいいかも」
私が褒めると、ソウガは笑みを零した。朝日を浴びた金色の瞳が煌めき、目を奪われる。
「そう言ってもらえると嬉しいな。まだ試行錯誤中だが、茶葉を発酵させずに作ったんだ」
笑顔で告げられた言葉に眉をひそめる。紅茶の製法に詳しいわけではないが、発酵させずに作るなんて聞いたことがない。
――もはや紅茶とは呼べない。新たなお茶を生み出した彼に驚愕の表情を浮かべると、そんな私を無視して彼はカップに口をつける。
つられて私も緑色のお茶――緑茶を口に含むと、まろやかな旨みがそっと舌を包み込み、その奥から若葉のような清涼感のある渋みが立ち上がった。
思わず息を呑んだ。紅茶とは違った旨味と渋み――これならすぐに商品として販売できる。新しい物が好きな王都の貴族たちが、こぞって買うことは容易に想像できた。
今日のオブスタクルレース決勝について軽く相談しに来たはずが、新たなお茶の開発という予想外の問題に直面した私は、長く深いため息をついた。
ソウガは私の苦労などつゆ知らず、眩しい朝日に目を細めて静かにお茶を楽しむのだった。
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