073 赤字の数字、控室の密談
まだ魔力には余裕があるようだが、慣れない競技と初めての敗北でソウガの疲労は目に見えていた。
素早く武蔵零式の整備を終わらせ、ログの中で重要な箇所だけ抜き出して書き終えると、ソウガに声をかける。
「ひと通り調査したが、機体に異常はなかった。ソウガ、もう収納していいぞ」
ソウガは無言で頷き、魔法を展開すると武蔵零式を亜空間に格納した。その様子を見て、今夜は控室に泊まらずに済む――と安堵する。
「とりあえず、これで徹夜で武蔵零式を見張る必要はなくなったな――。
ソウガ、決勝は惜しかった。気にするなとは言わんが、気持ちを切り替えることも学べ。明日はオブスタクルレースの予選だ。もう帰って休め」
簡潔に伝える。俺は疲れている生徒に説教するほど野暮ではない。
「わかりました、リュウゾウ先生。今日はもう帰ります。それといつも整備してくれてありがとうございます」
深く頭を下げるソウガの頭をポンと叩く。
「気にするな。原初の機人を調査できるんだ。俺にもメリットはある。それに武蔵零式を整備できるのは俺だけだ。
――だから、生徒以外の整備を禁止している大会本部も許可を出したんだ」
その言葉にソウガは顔を上げて苦笑いを浮かべた。そして、もう一度頭を下げると、ナツメたちに挨拶をして部屋を後にした。
◆
部屋から出て行くソウガを黙って見つめる。その横顔には疲れと敗北への悔しさが滲み出ていた。
扉が閉まり、足音が遠のく。そのとき、観客席から歓声が上がった。
「テッペイさんの表彰式が始まったようですね、ナツメさん。ルールとはいえ、優勝者しか表彰されないのは、少し可哀想な気もします」
ソウガの顔がよぎり、思わず呟く。
隣に座るナツメさんから返事はなかった。顔を向けると机のバインダーをじっと見つめていた。
その目から一抹の不安を感じ、声をかけようとしたとき、リュウゾウ先生が正面に腰を落とした。
「見たか、ナツメ? ハンナにも見せてやれ」
よく通る低い声が控室に響く。そこでナツメさんも我に返る。顔を上げると、苦笑いを浮かべた。
「ごめん、ちょっと考え事をしていた。というか、驚きで固まっていたと言ったほうがいいのかな?」
彼女はいつもの調子でおどけながら、机の上のバインダーをすっと私の前まで滑らせた。
いったい、何が書かれているのか――眉をひそめて確認すると、戦闘ログの上に挟まれた小さなメモを見て、息を呑む。
赤字で『ソウガ:魔力量108000』。
手書きだ。冗談かと思い、顔を上げる。だが、先生は真剣な表情で頷いた。
「ちょっと、これはどういうことですか?! 公爵家でも王族でもないソウガの魔力量を誰が測定したのですか? あの魔導具は当代の王の許可がないと使えないはずです!」
そこで言葉を切って、先生を睨む。この国唯一の魔力測定用の魔導具を騎士爵の長男に使うわけがない。
――それに、この数字だ。
「あと、揶揄うのは止めてください。なんですか、あの十万八千っていう馬鹿げた数値は! 宮廷魔導士でも一万前後です。あんな魔力量を持つ者は、魔翼クロメ・サザンカ様ぐらいです!」
思わず責めるような口調になる。だが、当然だ。魔法の天才――魔翼のクロメ様でも魔力の成長が止まる二十五歳で、ようやく十万を超えたと聞く。
そんな魔力を、まだ十六歳のソウガが持っているわけがない。先生を見る目が険しくなる。そのとき、ナツメさんが口を開いた。
「落ち着いて、ハンナ。その数字は本当だと思う。以前、ギルドの依頼でソウガとラクーンを討伐したんだ。そのとき彼は魔力枯渇を起こし、回復するのにポーションを四本も飲んだ。宮廷魔導士でも一本で十分なのにね」
肩をすくめながら告げる彼女を見て眩暈を覚えた。
もしこの数値が事実なら、魔力測定の魔導具を使ったことになり、それはコイズミ陛下が許可したことを意味する。
つまり陛下と国の上層部は、ソウガの魔力量を把握している。もはや、総体の優勝など関係ない。
こんな膨大な魔力を持つソウガを国は放っておくわけがない。間違いなく反乱鎮圧の学徒部隊に召集される。思わずバインダーを強く握り締める。
――国の理屈なんて、彼の前では塵だ。
「ハンナ、大丈夫か? 悪いが、ナツメ。ドアに鍵をかけてきてくれ」
頭が真っ白になった私に先生は優しく声をかけた。ナツメさんには指示を出し、自分は机の上に防音の魔導具を置いた。
彼女が鍵をかけて戻り、椅子に座ると、ようやく先生は緊張を解き、息を吐き出した。
「昨日、お前たちがソウガに棄権してほしいと言ったのはなぜだ? 理由を教えてくれ、力になれるはずだ。まずは俺が持っている情報を教える。
――なぜ、俺がソウガの魔力量を知っているかを今から話す」
先生は呆然とする私たちを真っすぐ射抜く。直後、再び歓声が届く。だが、防音の魔導具のせいでその声は小さかった。
熱気が一瞬だけ希望に感じられ、指先が熱くなった。ナツメさんの方を向くと、視線が重なる。
私たちは頷き合い、先生にすべてを打ち明ける覚悟を決めた。
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