064 断たれた回復、二割の境界線
控室で武蔵零式を整備している。この機体は俺の試験機として登録されているため、特例で教師である俺も触れることが許されていた。
各部の装甲を開き、入念に調べる。あれほど激しい動きをしたのに、各関節部の摩耗は見られない。高速停止の影響は皆無――既知の合金では説明がつかない。
漆黒のパーツを見つめて思考を巡らせていると、ナツメとハンナが入ってきた。
二人はソウガの婚約者だ。すぐに祝福に駆けつけると思ったが、かなり時間が過ぎていた。それに少し表情が硬い。首を傾げながら尋ねる。
「珍しいな、お前たちがすぐに来ないなんて。けど、来てくれて助かった。魔法禁止の競技だ。控室に魔力ポーションがなくてな。係員に準備するよう頼んだが、今日は無理らしい。どうやらトラブルがあって不足しているようだ」
そこで言葉を切り、弁当を食べているソウガに視線を向ける。
「さっきの試合で、こいつは魔力を四割くらい消費したらしい。残り二割を切ると安全装置が働き、強制的に装着が解ける。できれば回復させてやりたい。お前たちなら持っているだろ?」
その言葉に彼女たちは表情を曇らせ、首を横に振った。魔法士を目指している二人が魔力ポーションを持っていないはずはない。
毎月、学校から支給されるし、貴族である二人は緊急時に備え、実家からも渡されているはずだ。
訝しむ俺に、ハンナが申し訳なさそうに告げる。
「すみません、リュウゾウ先生。私もナツメさんも、さきほど在庫が不足していると耳にしたので、係員の方にすべて渡してしまいました」
たしかにさっきも同じことを言われた。トラブルによる不足――魔法を使う競技は多く、ポーションがないと運営側は困る。
二人は貴族だ。ノブレス・オブリージュ――高貴な立場に見合った社会的責任を果たしたわけだ。
だが、ハンナは分かるが、ナツメが素直に渡すとは思えない。一本ぐらい隠し持っていないか尋ねると、彼女は眉を下げた。
「先生、いくら私でも、そこまで薄情な人間じゃないよ。それに最後のトライアド・サバイバルには出場するんだ。大会本部の印象を悪くする真似はしないよ」
納得できる答えだが、どうもらしくない。何か企んでいるような気がする。わざと視線を切った。
その瞬間、彼女たちの視線は交差した。見落としそうな短い合図――もう少し問い詰めようとしたとき、ソウガが口を挟んだ。
「先生、大丈夫です。回復できないなら、それで構いません。さっきの戦いで、この機体の制御にも慣れてきました。速攻で決めます。近距離の高速移動で、即座に背後に回り込み、そのまま跳び蹴りを叩き込みます」
自信満々に話すソウガ。ハンナは頬を染めて見つめ、ナツメは複雑な表情を浮かべている。
そんな三人を眺めつつ考える。たしかにあの瞬間移動のような動きなら、相手が振り向く前に一撃を与えることは可能だ。
だが、先ほどの試合は相手も見ているはずだ。何も対策してこないとは思えない。
一抹の不安はあるが、他に手もない。それに勝ち負けは関係ない。総体を通して経験を積み、成長できればいいのだ。
ポーションがない状況も経験だと思えば、些細なことだと思えてくる。俺は肩をすくめると、ソウガに試合まで休むように告げ、武蔵零式の整備に戻った。
◆
――午後の準決勝が始まった。アリーナを気負うことなく、悠然と歩くソウガ。その姿は強者の気配をまとっている。
そんな彼を見ながら、控室に向かう前に、いろいろと準備をしておいてよかったと思った。
控室に入ると、ソウガは予想通り魔力を消費していた。私たちは事前に魔力ポーションをテイオに預けておいたことに胸を撫で下ろす。
加えて、この競技の運営本部に、ポーションの提供は控えるよう父の名で指示しておいた。
――リュウゾウ先生が係員に尋ねるのが、もう少し早ければ間に合わなかった。ぎりぎりだったが、ハンナと考えた計画は順調だ。
ソウガは魔力を回復せずに試合に臨むことになった。
あとは対戦相手の大仁学園が、私のメッセージを信じ、あの作戦を実行してくれるかどうかだ。
――兄弟校の大智学園の仇は取りたいはずだ。
名乗らなかったにせよ、ダイチの制服をまとった生徒が渡した手紙だ。目は通すはずだ。
気づくと、アリーナ中央でソウガと大仁学園の機人が対峙していた。思わず両手を握り、祈った。
(……どうか、クムァムーン様。ソウガを勝たせないでください)
そのとき、心の中の漆黒の熊神は、真っ赤な頬を緩めて親指を立てた。つぶらな瞳で私を見ると、笑顔で頷いてくれた。
少しだけ気持ちが軽くなった。クムァムーン様に感謝を捧げると、試合開始のアナウンスがアリーナに響いた。
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