059 学園総体の不穏
セイセイのテッペイさんの試合を観戦した私たちはアリーナで解散した。ソウガとハンナは学園に戻り、チサトさんに試合の結果を報告するらしい。
――あの人のことだから、すでに情報は届いていると思う。
だけど、知っているからと言って、報告しないわけにはいかないだろう。与えられた役割を全うするのは正しい。情報の精度を上げる意味でも必要だ。
そんなことを考えながら、小雨の中を歩いていると、アリーナから少し離れた場所に停まる魔導車が目に映った。
その車体の先端には我が家――ピクセル家の紋章があった。雨に濡れ、鈍く光っている。わざわざ当主――父が試合を見に来るとは思わなかった。
肩をすくめ、魔導車に近づくと助手席の扉が開き、黒の燕尾服をまとった壮年の男性――執事長のテイオが降りてきた。
「お帰りなさいませ、ナツメ様。中でジュンイチ様がお待ちです」
彼は恭しく頭を下げ、ドアを開ける。私は小さく頷き、傘を手渡すと、滑り込むように中へ入った。
広い車内、目つきの鋭い黒髪の男性――父と向かい合うように腰を落とすと、深く頭を下げた。
「お久しぶりです、父さん。珍しいですね、いつもは王宮に詰めているのに。それほど、ソウガのことが気になりましたか?」
書類に目を落とす父は、そのまま口を開く。
「ああ、仮にもお前の婚約者の晴れ舞台だ。気になるのは当然だろう。それにコイズミ陛下も観戦したんだ。今日に限っていえば、王宮も暇だったよ」
そう言いながらも、黙々と書類に目を通し、修正を入れていく。その姿に自然と眉を曇らせる。
父は物心ついて以来、ひと時も休むことなく働いている。
仕事が大事なのだろう、家族よりも。それも仕方がないと思う。ピクセル家は子爵家とはいえ、王家の中枢を担う部署――情報局のトップに歴代就いている。
もちろん、世襲ではない。その実力を認められ、任命される。父も長官に就き、三年が過ぎた。
王都を含めた国のすべての領地の情報を常に監視して、不穏の知らせがあれば調査し、内容によって陛下に報告して対策を練らなければならない。
ただ、今の王家は信用できない。名君と呼ばれていたコイズミ陛下も、今は見る影もない。
強引な制度変更に、度重なる増税――国は徐々に疲弊している。辺境の貴族や豪族が不満を持つのも分かる。
王家と辺境の不穏分子、両方を監視する父の苦労を思うと何も言えない。私にできることはソウガをどちらの勢力にも取り込まれないようにするだけだ。
密かに決意を固め、外を見ると首を傾げる。家に帰るには道が違うようだ。しばらく黙って流れる風景を眺めていると、車が停まる。
そこは奇しくもアリタス家が機人を開発するために建設を進めている工場近くの空き地だった。
建設中の工場からは、ワイヤーの摩擦音やハンマーの衝撃音がかすかに聞こえ、窓から振動が伝わる。
いくつもの防音加工を施している車内でも聞こえるということは、外は耳を劈く騒音だろう。
――なるほど、ここなら盗聴の心配はない。この魔導車自体も厳重な対策はしているが、もし盗聴されても外の騒音が混じり解析できない。
父が初めて顔を上げた。視線は助手席に座るテイオへ向けている。おそらく尾行されていないか確認したのだろう。
ちらりと私も彼を見ると、軽く頷いた。父はようやく、こちらを向く。
「ナツメ、お前にだけは言っておく。夏前に反乱が起こる。まだ場所は言えないが、準備だけはしておけ。最悪、陛下は鎮圧に学生を招集するつもりだ」
息を飲む。混乱して言葉が出てこない。窓を叩く雨脚が急に強くなり、外の様子を隠す。沈黙が車内に満ちる中、懸命に頭を働かせる。
――父がいながら、事前に反乱を抑えることができなかったことにも驚いたが、陛下のお考えに絶句する。
まだ国は安定している。近衛兵団を始め、多くの軍隊が王都に駐留している。さらに武光七翼もいるのだ。わざわざ学生を招集する意味が分からない。
指先が冷たくなる。血の気が引き、寒気が全身を駆け巡る。俯き、スカートの裾を握り締める。その瞬間、そっと肩に手を添えられる。
顔を上げると心配そうに見つめる父の姿があった。
「大丈夫だ、今、私を含めて、多くの者が陛下を説得している。だが、万が一を考え、この学園総体では目立つのは控えろ。招集されるかもしれない。ソウガ君にも、それとなく注意しておいてくれ」
久しぶりに見せる父の優しい顔に、かすかに目頭が熱くなる。それを隠そうと顔を下げ、肩に置かれた父の手を握った。
――――――――――――
その後、父は家に帰らず、途中で私を家に降ろして王宮に戻っていった。暇とは言ったが、反乱が起こるのだ。そんなわけはなかった。
事前に<反乱鎮圧のための学生招集>を伝えるために、わざわざ来てくれたのだ。父の優しさに胸が熱くなった。
家に戻ると、書斎に籠った。王命に対する学園と生徒の権利や義務について調べるためだ。
すぐに書棚に並ぶ法律関係の書籍や、軍隊にまつわる規定書を片っ端から取っていくと、父が愛用している机の上に置いた。
十冊以上積まれた本を見て、ため息をつきそうになる。だけど、父が時間を割いてまで忠告してくれた。無駄にはできない。
私は気合を入れて本を開き、活字を追い始めると、ふとソウガの顔がよぎった。
――彼の総体の予定は私が握る。露出も、接触も、すべて。
少なくともソウガだけは招集には巻き込ませない。まずはハンナとの情報共有とキクーチェ公爵への助力だ。
そう決意を強めると、ふたたび本に視線を落とした。
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