044 婚約者同士の決闘(2)
巨大な水塊が迫る。明らかに威力は中級以上。だが、詠唱自体は初級だった。多少、言葉を加えていたが、本来それは悪手で威力は落ちる。
ナツメさんもまたソウガと同じ天才なのだろう。努力を重ね、火魔法だけは学年トップの私とは、才能が違う。
だけど、負けるわけにはいかない。ソウガのために。そして、今までの努力が間違っていないと証明するために。
私は八歳のとき、ソウガの方言魔法「あつか」を見てからずっと、あの蒼炎の獣の姿が目に焼きついている。
――いつか私もあんな魔法を使ってみたい。
挫けそうになりながらも、あの光景を思い出し、必死に頑張ってきた。目の前に迫る水塊を睨み、お父様に心の中で謝る。今ここで約束を破ることを。
今まで隠していた聖女の力を解放して、中級の火魔法を展開する。
「いくつもの業火が重なり、わが身を守る城壁へと変わる。ファイヤーウォール!」
水塊の前に、紅蓮の壁が現れる。炎の先に余裕の笑みを浮かべるナツメさんが見える。たしかに中級で特級並みの威力を持つ彼女の魔法は、防げない。
――だが、聖なる力が付与された炎は、すべてを浄化する。
突如、紅蓮の壁はさらに激しく燃え、輝き出した。
次の瞬間、巨大な水塊と激突。螺旋を描いて突き抜けようとした水流を、壁が蒸発させ、魔力ごと消し去っていく。
瞬く間に水魔法は浄化された。だが、聖なる力を帯びた炎は、赤い光を放ち燃え続けている。誰もがその光景に息を呑む。
ケンゴ先輩に視線を向けると、彼は震える声で告げた。
「ち、中級の火魔法の詠唱だった。こちらも規定内だ。問題ない。続けろ」
――等級は術式のみで判断、威力は問わない。なら、合法だ。
その判定に安堵の息を吐き、魔法を解除する。視界は開け、目を見開くナツメさんの姿が映った。
聖魔法に特化して生まれた聖女である私には、他の魔法の才能はなかった。だが、必死に努力を続けた。心が折れそうになるたびに、ソウガの顔を思い出した。
そして、あるとき奇跡が起きた。ひたすら発動し続けた火魔法に、聖なる力が付与されたのだ。それは赤く輝き、光の粒子を含んでいた。
まさに聖なる炎――聖火だった。
その力に目覚めてから、私の火魔法は飛躍的に進化した。初級でも中級程度の威力を出せるようになり、さらに聖なる力を込めれば、それ以上にもなる。
だが、お父様から聖なる力を解放することは固く禁じられた。
聖女の出現は教会権力を動かす。筆頭公爵家に教会の力が重なれば、国を二分しかねない。謀反を企む貴族がすり寄ってくる。
お父様はそれを危惧して、私が聖女であることを隠した。それに、ソウガとの婚約も難しくなる。私が修道院に閉じ込められる可能性があった。
だけど、学園入学前にソウガの両親から正式に婚約を許され、ナツメさんのおかげで広く周知されることになった。
今さら教会が抗ったとしても、婚約は覆せない。
――そのことだけは、彼女に感謝している。
けれど、学園総体でソウガの力を公にさらすことは許せない。私は聖なる力を込めて、火――聖火魔法の詠唱を始めた。
◆
ハンナとナツメ、二人の戦いを見守っている。初級や中級の詠唱で特級並みの魔法を放つナツメが、優勢に見えた。
一つひとつの魔法で上回っていた。やがてナツメは決着をつけるべく、中級魔法の詠唱を始めた。
その内容に首を傾げる。詠唱の核は同じだが、装飾が多い。明らかに威力が落ちる愚策――のはずだった。だが、放たれた魔法は特級すら超えていた。
――息が止まる。かつて自分が試して諦めた詠唱文のアレンジ。その完成形を目の前にして。
轟音を上げ、大きなうねりを伴って迫る水塊に、ハンナの負けを確信する。
支給品の腕輪では耐えられないと察し、空間魔法「あとぜき」で水を吸い込もうとした、そのとき――
光の粒子を帯びた炎の壁が、ナツメの水魔法を防いだ。目を見開く。水は火を打ち消す――水剋火の関係を無視した光景に。
しかも、その壁は魔法自体にも干渉し、現象そのものを消し去った。それは俺の方言魔法でも不可能だ。
相手を上回り飲み込むことはできるが、消滅させることなどできない。
ナツメは天才。だが、ハンナは規格外だった。魔法の常識の外にいる。呆然と見守る中、ハンナが詠唱を始めた。
それは初級のファイヤーボール。先ほど見せた魔法だ。威力は中級程度。ナツメなら筆談魔法で簡単に防げる。
だが、ナツメは警戒して中級の魔法を展開した。本来の詠唱よりも、響きに重みを感じた。
「――天を衝く瀧となる。ウォーターウォール!」
たちまち壮大な水の障壁が出現した。まさに逆流する滝だ。それは優に特級の域を超えていた。
おそらくハンナの魔法は通じない。誰もがそう思った。だが、彼女の目には確信めいた色が浮かんでいた。強い意思を込めて詠唱する。
「――敵を食い破らん。ファイヤーボール。……あつか!」
その言葉に息を呑む。方言を放った。まさかハンナも……。
だが、出現したものは蒼炎の獣ではなかった。そこには、白く燃え盛る鳳――フェニックスが羽ばたいていた。
白炎の鳳が翼を翻すと、熱風が起きて頬を撫でた。その熱は肌を焦がすことなく、優しく癒す不思議な力が宿っていた。
理解が追いつかず、ただ見つめていると、ハンナが手をかざした。鳳は一声鳴くと、逆流する滝へ猛然と突き進んだ。
二つが衝突した刹那、眩い白光が奔った。思わず目を閉じる。
やがて光は収まり、ゆっくりと目を開くと、白炎に囲まれたナツメがいた。そして、身につけた腕輪の青き宝石は粉々に砕かれていた。
だが、不思議とナツメは焼かれることなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
ふと、外に視線を向ける。いつの間にか、雷鳴が遠ざかり、雨音が止んでいた。そして、重い空気を破るように、一筋の光が差し込んだ。
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