036 五琳書と制限解除
ソウガから一冊の古びた本を手渡された。表紙には「五琳書」とある。機人関係の文献ならほぼ読破している俺でも、聞いたことのない題名だった。
好奇心に負け、ページを捲る。中身は表題と異なり、古代文字に似た見覚えのない字がびっしりと綴られている。
古代文字なら少しは分かる。とりあえず読める箇所だけ拾い進めると、わずかだが、この機人についての手がかりが得られた。
詳細は、古文書学に通じた友人に分析を頼むしかない。――正直、あの女は苦手だが、背に腹は代えられない。
腐れ縁の友人の顔が浮かび、ため息が出そうになる。眉を下げ、頭を振ったところで、ソウガと視線が重なった。
「どうですか、リュウゾウ先生。何か分かりましたか?」
全員の視線が集まる。率直に言えば収穫は少ない。だが、無いわけではない。三人寄れば文殊の知恵という。苦笑して口を開いた。
「少しは読めたが、ほとんどが知らない文字だ。解読できたのは一割ほどだ」
言葉を切り、周囲を見渡す。落胆の色が広がる。学生には実感が薄いのだろう。未知を研究するのは、容易ではない。
――まだまだ教えることは山ほどある。そう思うと、自然と口角が上がった。
教師としての喜びを飲み込む。とりあえず、わずかに知り得た機人の構造や設計思想など専門部分は省き、続けて伝える。
「ほかに分かったのは、これが『別の世界の神』が創ったとされていること、そして起動にはその神から授かった言葉が要る、という二点だ」
説明を受けて全員が考えを巡らせている。口を閉じ、顎に手を当てるヤクモをちらりと見やる。その向かいにはソウガが腕を組み、目をつむっている。
室内に沈黙が満ちる中、ナツメがすっと機人へ近づいた。
「五琳書。零源祠。クムァムーン様。禁望山。クムァモトゥ……」
思いつく限りの言葉を次々と口にするが、起動の兆しはない。周囲を見れば、突然の行動に全員が目を見開いていた。
最初に反応したのはハンナだった。
「ど、どういうつもりですか、ナツメさん! もし起動したらどうするのですか。これはお兄ちゃんの物ですよ!」
キッと睨むハンナに、ナツメは肩をすくめるだけ。苦笑しつつ仲裁に入ろうとした瞬間、ヤクモが機人へ歩み寄った。
「ヤクモ・エクスペリアが命ずる、起動せよ。……古の名――『ラフカ・ディオ・ハーン』をもって宣言する。起動しろ」
とっさに止めようとしたが遅かった。まさか王家秘匿の<古代名>まで用いるとは。冷や汗が背を伝う。
――あの世界とのつながりを示す隠語。決して公言していいものではない。王太子といえど、越権――王律違反すれすれだ。
しかし、ナツメもハンナも意味を理解していない様子だ。ただ、ソウガだけがわずかに眉を上げた。
王都から離れたシースイの騎士爵家で育ったソウガには、知り得ないはずの言葉。公爵家でも当主以外は知らない。
ソウガには、やはり何かがある。俺たちの知らない知識と力を隠している。だが、それを悪用する男ではない――この一か月間で、それは確信に変わった。
ソウガへの興味をいったん押しやり、機人へ視線を戻す。王導機人の適性をもつヤクモでさえ、起動はできなかった。
やはり「五琳書」の記述どおり、起動には<神の言葉>が要るのだろう。機人は当面ソウガの管理のもと、共同研究とする。
――そう提案しようとしたとき、ソウガが沈黙を破った。
「制限解除」
その瞬間、窓の外から湿り気を帯びた生温い風が吹き込む。やがて始まる五月雨の気配が、機人の鉄と油の匂いを攫っていった。
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