031 零源洞の五琳書、目覚めない鍵言
古びた本を拾い上げ、見つめるソウガ君。視線の先には「五琳書」と書かれた表紙があった。その文字を見て思い出す。禁望山にまつわる伝説を――。
昔、武芸を極めた達人がいた。彼は晩年をこの霊峰で過ごした。多くの者に狙われ、襲撃に備えて祠に籠ったらしい。
不意打ちを嫌い、絶えず壁を背にしていた彼は、その祠で生涯を終えた。最後に自身の兵法や人生観をまとめた兵法書を残して――。
たしかその兵法書の名が「五琳書」だったはずだ。そして、そのほこらは「零源洞」と呼ばれていたと聞いた。
祖父が語ってくれた話を懐かしんでいると、ソウガ君がぱらぱらと本をめくり始めた。
そっとのぞき込むと、見覚えのない字だった。少し古代文字に似ている。
しばらく見ていた彼は小さく首を横に振って本を閉じた。眉を曇らせ、困惑している。やはり彼も読めなかったらしい。
ただ、目を止めたページの文字の合間には、古代文字ですらない見慣れない綴りがひとつ、ふたつ、紛れて見えた。
そのとき、「キー、…ワード」とソウガ君の口が小さく動いた。
沈黙が落ちる中、彼は静かに漆黒のプレートアーマーに触れ、小さく呟いた。
「なおす」
一瞬で鎧が消えた。治癒魔法かと思ったが、違う。「治す」または「直す」――その詠唱は、私の知る言葉とは違う意味を帯びていた。
彼の方言魔法が規格外なのは分かっていた。それでも驚く。以前見た「あとぜき」と同系統の、空間をいじる魔法に。
容易に伝説級の魔法を操る姿を呆然と見つめていると、ソウガ君が振り返り、声をかける。
「ナツメ、ここがどこだか分かるか。もし知っていたら教えてくれ」
金色の瞳に射抜かれる。いつになく真剣な表情に目を奪われ、言葉が詰まる。ごまかすように大きく肩をすくめ、祖父から聞いた話を伝えた。
顎に手を当て、黙って耳を傾けていた彼は、手をかざした。
「きなっせ」
刹那、空間がめくれ、散らばった木片が揺れる。かすかな金属の匂いが鼻をかすめ、再び漆黒のプレートアーマーが現れた。
驚きはもうない。黙って見つめる私の前で、彼は直立不動の鎧に向かって告げた。
「金峰山、霊巌洞、地水火風、……空。だめか。それじゃ、宮本武蔵」
なじみのある言葉が続き、最後に聞き覚えのない単語を発した。どこか人の名のような響きがあった。だが、どれにも鎧は反応しなかった。
ため息をついた。肩を落としつつ鎧を空間に収め、五琳書を鞄にしまう。そして、ふと視線を落とした。
足元に土埃をまとった、破壊を免れた木像が一体あった。
そっと膝をつき、拾い上げて埃を払う。彼はじっと見つめ、厳かに地面へ戻すと、立ち上がり両手を合わせた。
かすかに洞窟の空気が和んだ――そんな感覚を覚え、ふとソウガ君に視線を送る。彼は何も言わず背を向け、颯爽と歩き出した。
その視線は、私たちの担任であり機人工学の第一人者――リュウゾウ先生に向けられている。そう思わざるを得なかった。
「続きも読もうかな」と思えたらブクマを。
★の評価も、よければポチッとお願いします<(_ _)>




