003 魔法の詠唱
――洗礼を受けて、十年が過ぎた。
まさか『くまモ〇』を祀る国に転生するとは思わなかった。しかも、ところどころに俺の故郷・熊本の影を感じる。
俺が住む町は「シースイ」。酪農が盛んな土地だ。領地全体の名は「キクーチェ」と呼ばれる。どう考えても「泗水」と「菊池」だ。
王都の名は「ベアモト」で熊本とは関係なさそうだったが、この国の名を聞いたときは息を呑んだ。
――クムァモトゥ。
……まんまだった。
さらに祀られている神の名も同様。
――クムァムーン。
……まんまだった。
女神が言っていた「ある神」とは、このクムァムーン様のことなのだろうか。あの朗らかに微笑む神が、なぜ俺を転生させたかったのか――疑問は尽きない。
とはいえ十歳の俺にできることは限られている。今は学校に通い、剣術と魔法、そして勉学に勤しむしかない。
俺の父親は、この町を治める騎士爵を持つ貴族だ。もとは冒険者で、その剣の腕を買われてキクーチェ公爵に仕え、爵位を与えられたという。
そのとき廃嫡となった貴族の娘――カエデと出会い、結婚したらしい。まだ若いのに冒険者として活躍し、爵位まで得たのだから、親父は本当にすごい。
だけど、親父にも叶わなかった夢があった。剣術を教えてくれたとき、懐かしそうに語ってくれた顔が胸に焼き付いている。
いつか親父の夢を継ぐと誓いを立て、剣を振り続けた。
そんな俺も、親父の才能を少しは受け継いでいるらしい。剣術では学校で一、二を争うほどだ。だが、俺が本当に極めたいのは――魔法だ。
そう思った俺は、両親にお願いして初級魔法書を買ってもらった。
大学生の頭脳を持つ俺はすぐに文字を覚え、この世界の知識を得るため、次々と本を読み漁った。
母の実家は廃嫡されたとはいえ元貴族で、立派な書斎を持っていた。母が帰省するたびに俺もついて行き、その書斎に籠もった。
――そして六歳の誕生日。
知識欲の強さを認めた両親は、かなり高価な魔法書を贈ってくれた。
その夜、俺は我慢できず、皆が眠るとこっそり魔法書を開いた。ページを捲るたびに、目が見開かれる。
――そこに記されていたのは、初級魔法の詠唱文だけ。冒頭には「魔法とはイメージだ」と書かれ、詠唱はそのイメージを補助するに過ぎないとあった。
思っていたより単純だ。けれど――イメージなら、前世の知識を持つ俺なら無双できる。そう確信した。
俺は書かれている通り、魔力を指先に集めた。僅かに熱が宿るのを感じ、空気中の酸素と反応するイメージを浮かべながら、そっと詠唱を口にする。
すると、指先に小さな火球が浮かび上がった。……しかし本に描かれていた大きさには程遠い。魔力が足りないのかもしれない。
けれど、胸に広がったのは失望ではなく――確かな喜びだった。初めて自分の力で魔法を生み出せたのだ。
俺は小さな火球を見つめながら、明日からもっと練習を重ねようと心に誓った。その夜は、火球の残像を抱いたまま、幸福な眠りに落ちていった。
――――――――――――
「すげな、ソウガ。こんなでかい火球、見たことないぜ」
目を丸くして見つめているのは、この町のガキ大将――腕白なコテツくんだ。
「ほんとにすごいね、ソウガお兄ちゃん。お父さんの魔法よりも大きいよ」
同じく驚いているのは、二つ年下のハナちゃん。金髪を後ろにまとめた可愛らしい女の子。最近、この村を訪れては一緒に遊んでいる。
――二人から尊敬の眼差しを向けられ、微妙な表情になる。
たしかに子どもが作った火球にしてはすごい。けれど大人と比べれば、それほどでもない。普通より少し大きい程度だ。
六歳のとき魔法書を手にしてから、四年間ずっと試行錯誤を重ねてきたが、大した成果はなかった。
「魔法はイメージ」と本には書かれていた。しかし、どんなにリアルに想像しても、威力が増すことはなかった。
むしろ正確に詠唱文を唱えた方が、よほど大きな火球を出せる。
次に魔力が足りないのだと考えた俺は、必死に魔力を鍛えた。
魔力が枯渇するまで魔法を使い、倒れるように眠る。それを繰り返し、大人以上の魔力量を得ることができた。
だが、膨大な魔力を持つ今の俺は、上級や最上級魔法を連発でもしなければ枯渇しない。これ以上の成長は見込めなかった。
しかも、魔力量が増えても魔法の威力は変わらなかった。……あんなに楽しかった魔法が、今は使うたびに虚しい。
火球を浮かべる俺の隣で、目を輝かせるコテツくんとハナちゃん。その姿を横目に、思わずため息が漏れた。
空を赤く染める夕焼けを見つめながら黄昏れる。魔法も魔力量も、人並み以上――これで満足すべきだ。
そう自分に言い聞かせて、コテツくんとハナちゃんと別れ、家路についた。なぜか、そのとき向けられたハナちゃんの視線が気になった。
彼女の眼差しを思い返しながら歩く。屋敷までは、まだかなりの距離がある。九月を過ぎても暑さは衰えず、汗が滲む。本当の故郷・熊本も、残暑は厳しかった。
ふと、その日差しを思い出す。
顔を上げれば、遥か上空にワイバーンが飛んでいた。距離は十分ある。襲われる心配はない。
ただ、心の奥に虚しさが広がる。俺はゆっくりと手を掲げ、魔力を込めてみる。詠唱をしない手の先には、何も生まれない。
ジリジリと蝉の声が響き、暑さをいや増す。思わず、昔よく口にした言葉が零れた。
「あつか~」
その瞬間、掌に膨大な熱が宿り、真っ青な火球が浮かび上がった。呆然としたまま、訳も分からずワイバーンへ放つ。
轟音を立てて飛んでいく火球は、途中で獣の顔のように形を変え、ワイバーンを襲った。
青き炎に包まれたワイバーンは、断末魔を上げる間もなく力尽き、山の向こうへと墜ちていった。
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