021 初めての食堂
午前中の魔法実技が終わると、すぐに教室へ戻った。
まだ誰もいないことを確認すると、気合を入れて作った弁当を鞄に残し、泣く泣く食堂へと向かった。
理由はもちろん、ナツメから逃げるためだ。
ヤツに負けたあと、俺は体調不良を訴えて見学に回らせてもらった。あんなに上空に吹き飛ばされたのだ。このときばかりは誰もが心配してくれた。
だが体に異常はない。問題は心だった。木陰に座って授業を眺めていると、たまにナツメがこちらを振り返り、ニッコリと微笑む。……あれが何より怖かった。
――きっと、とんでもないことをお願いされる。
そう悟った俺は、教室での昼食を諦め、食堂へ避難することを選んだ。
――――――――――――
中へ入ると、まだ生徒は疎らだった。入口の横に設置された食券機で日替わりランチを購入し、カウンターに並ぶ。
昨日の依頼の報酬で懐は温かかったが、つい癖で一番安いメニューのボタンを押してしまう。それでも割高に思えた――学生相手に六百モンは少し高い。
――もし生徒会に入ったら、『五百モン化』を提案しよう。もちろん、絶対に入らないけどな!
そのとき一瞬、クムァムーン様が脳裏をよぎり、「それはフラグだモン」と囁いた気がしたが、気のせいだと打ち消した。
やがて俺の番となり、大きなステーキが載ったトレーが差し出される。思った以上のボリュームに感動しつつ、屋外のテラス席へ。
五月の強い日差しの中、冷たい風が心地よい。――生徒も増え始め、ちらちらと視線が向けられた。
さきほどの授業で俺の『スカイジャンピング』を見た者だろう。無視して食べ続けていると、突然テーブルに影が落ちた。
嫌な予感が胸をかすめる。恐る恐る顔を上げると、青髪の美女が微笑んでいた。その美しさは食堂の空気を一変させるほどだ。
「こんにちは、ちょっといいかしら?」
息を呑む俺に柔らかな声。何がいいのか分からないが、こんな美女に笑顔を向けられたら頷くしかない。
「はい、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「ええ、少しね。まず名前を聞いてもいいかしら? 私はチサト・ティアモリー。この学校の三年生よ」
風で乱れた髪を整えながら、透き通る青い瞳でじっと見つめてくる。少しばかり圧を感じながらも答えた。
「俺はソウガ。ソウガ・アクオス、一年です。それで何か用ですか?」
美女に見つめられ緊張する。それ以上に、不安が膨らんでいく。早く立ち去った方がいい――そう直感する。
警戒していると、彼女は勝手に向かいの席に腰を下ろした。強引さに目を丸くした俺へ、静かに告げる。
「ねえ、ここが生徒会メンバーの指定席って知ってて座ったの?」
その言葉に思わず周囲を見渡すと、こちらを見ていた生徒たちが一斉に目を逸らした。さっきの視線の正体を理解する。
だが、テーブルには「生徒会専用」などと書かれていないし、他のテーブルと何も変わらない。指定席だとは気づけなかった。
初めての食堂なら知らないルールがあっても不思議ではない。素直に謝って立ち上がろうとしたそのとき――
肩を掴まれ、強引に席へ押し戻された。振り返ると、背中まで茶色の髪を伸ばした美丈夫が立っていた。
◆
目の前の黒髪の青年――ソウガ君を観察する。髪は無造作に伸び、表情は読み取りづらい。だが、ときおり覗く金色の瞳は鋭く光り、強い印象を残した。
その瞳から、私たちを警戒していることが分かる。隣に座る副会長のマサヒコ君に睨まれたら、仕方ないのかもしれない。
それとも、私に見つめられて照れているのだろうか――そう思いたいが、瞳の色は明らかに違った。私は肩をすくめ、声をかける。
「ごめんなさい、脅かすつもりはなかったの。それに、彼の自己紹介がまだだったわね。彼は生徒会副会長のマサヒコ君よ。私のことは入学式で挨拶したから知っていると思うけど、生徒会長をしているわ」
その言葉に、彼は目を丸くした。呆れたことに、私が生徒会長だと気づいていなかったようだ。思わず苦笑が漏れる。
隣を見ると、マサヒコ君の顔が険しくなっていた。侮辱と受け取ったのだろう。彼は生徒会に誇りを持っている。ソウガ君の態度が許せないのだ。
気持ちも分かるが、今は用件を伝えるのが先決だ。
「……そう、気づいてなかったのね。まあ、それはいいわ。それでこのテーブルに座ったということは、生徒会に興味があると思っていいのよね?」
「いいえ、まったくありません。初めての食堂で、ここが生徒会専用の席と知らなかっただけです。本当にすみませんでした。失礼します」
笑顔で問いかけた私に、まくしたてるように答えたソウガ君は、すっと立ち上がり深く頭を下げた。
そのまま顔を上げると颯爽と立ち去ろうとしたが、マサヒコ君に腕を掴まれる。
「おい、一年。どういうつもりだ。チサト先輩が生徒会に誘っているんだ。それを断り、すぐに席を立つとは、俺たち生徒会を舐めているのか!」
声量は大きくなかったが、食堂全体に響き渡り、場が凍りついた。多くの生徒が手を止め、こちらをうかがう。
そんな中、ソウガ君はマサヒコ君の腕を強引に振り解くと、初めて感情を露わにして言葉を放った。
「マサヒコ――先輩。別に生徒会を軽んじてはいません。気分を悪くしたのなら謝ります。ですが、尊重することもないですね。学校行事を運営するだけの組織なんかには――」
直後、ソウガ君の体が宙を舞った。綺麗な放物線を描きながら、テラスで食事をしていた生徒たちのもとへ突っ込んでいく。
大惨事になると思った瞬間、彼は空中でぴたりと止まり、静かにテーブルの上へ降り立った。
食堂の全員が驚愕した。彼が飛翔魔法を使えることは知っている。私も校舎からあの授業を見ていたから分かる。
しかし、高度な魔法ほど長く複雑な詠唱文が必要。それを彼は一瞬で発動してみせたのだ。超々特級の飛翔魔法を――。
沈黙が満ちる中、彼はふわりとテーブルから降りる。わずかに乱れた制服を正すと、こちらへ歩み寄り、油断なく構えるマサヒコ君に笑顔を向けた。
「ちと、おもか」
――めきり。
突然、マサヒコ君が膝をつき、隣の椅子ごと地面へ押し潰された。必死に立ち上がろうとする彼を無視して、ソウガ君はプレートを持ちこちらを向く。
「チサト先輩、それでは失礼します。もう二度とこの席には座らないので安心してください」
軽く頭を下げ、颯爽と立ち去ろうとする。その姿を見て、私は慌てて声をかけた。
「ちょ、ちょっと、待って! ソウガ君!」
だが彼は振り返らず、歩を進める。私は大声で呼びかけた。
「本当にちょっと待って! あなたが壊したこの椅子、学校の備品だから! 弁償してもらわないといけないの。だから、絶対に放課後、生徒会室に来てね!」
突風がテラスを駆け抜け、砂塵が舞い上がる。誰もが目を閉じる中、私はしっかりと彼を見据えた。
ソウガ君は風に煽られよろめくと、肩を落とし、小さく呟いた。
「……回収、早すぎだろ」
言葉を残し、力なくその場を去っていった。
ブクマで続きやすくなります。
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