019 実技の鐘――ナツメの賭け
C級に上がった翌朝、俺はご機嫌に弁当を作っていた。あまりに気分が良かったから、卵焼きを斜めに切ってハート型にして詰める余裕すらあった。
他にもタコさん、カニさんウインナーをたくさん作ってパンの横に並べ、大きめの弁当箱に詰め込む。
いつもより少し重くなった鞄だったが、苦にもならない。
それよりも首から下げた金のクムァムーン様のペンダント――もといC級冒険者の登録証の方が、ずっしりと感じられた。
鼻歌まじりに登校すると、教室にはすでにナツメが座っていた。いつもはもう少し遅いはずなのに、珍しいと思いつつ声をかける。
「おはよう、ナツメ。今日は早いな。何かあったのか?」
「…………」
机に鞄を置き、席に着く。返事をする気配のないナツメに、女心なんて分からない俺は肩をすくめ、とりあえず一時限目の準備を始めた。
今日は魔法の実技。方言魔法が使える俺には関係ないと思ったが、基礎を教える授業では本来の魔法しか評価されない。
教科書通りに詠唱を唱える必要がある。もし失敗したり威力が規定以下なら、評価は低く、赤点すらありえる。
だが、方言魔法に目覚めるまでみっちり研究し努力してきた。しかも魔力量は並みの宮廷魔導士の十倍はある。
おそらく世界でもトップクラスだ。いずれ一番になれるかもしれない。なぜなら今も魔力は増え続けているからだ。
昨日の浄化魔法「きれいか~」でも、大量の魔力を消費したおかげで、今朝にはわずかだが増えていた。感覚的なもので正確には分からないが。
授業が始まるまで少し時間がある。俺は胸に下げたC級冒険者の証――クムァムーン様のペンダントを取り出して眺める。
金色のクムァムーン様のお腹には「C」と刻まれ、俺を祝福するように親指を立てていた。G級の登録証はただ突っ立っているだけで味気なかった。
このまま昇級を続ければ、いろんなポーズのクムァムーン様が見られるかもしれない。そう思うと胸が高鳴る。
うっとりしていると、ナツメが声をかけてきた。
「すごく機嫌がいいね、ソウガ君。そんなにC級が嬉しいのかな。でも忘れてないよね。機人が乗れない君は、ソロでD級以上の依頼は受けられないんだよ」
その言葉に息を呑む。そんな説明は聞いていない。昨日渡された注意事項にも書いてなかったはずだ。
そう告げると、ナツメは意地悪く笑って、鞄から一枚の用紙を取り出した。
「ほら、これが何か分かるかな? 君の冒険者登録時の注意事項の写しだよ。ここにちゃんと書いてある。『D級以上の依頼は、同級以上の冒険者とパーティーを組む必要がある』ってね!」
俺は思わず用紙を奪い取って確認した。たしかに書いてある。ものすごく小さな字だが、その下には俺のサインまである。
――たしかに、こんな行間の隙間に書かれてた極小の字なら、見逃しても仕方ない。きっとカナさんが俺のために急いで書いたんだ。
そう思うと申し訳なくなる。機人が乗れない俺のために余計な仕事をさせてしまった。
――今度、食事にでも誘おう。
そう決意すると、ナツメが半目で睨んでいた。理由は分からないが、事前に教えてくれたことには感謝する。
「ありがとう、ナツメ。じゃあ今日さっそくパーティー募集してみるよ。別に誰でもいいけど、できれば女の子がいいな。年上のお姉さんに冒険者のいろはを教えてもらうんだ」
別にソロで依頼が受けられなくても問題ない。パーティーを組めばいいだけだ。憧れのハーレムパーティーだって夢じゃない。
清楚系シスター、ツンデレ魔法少女、お姉さん女騎士――どれも素晴らしい。どこまでも夢が広がる。
――どうしよう、早く冒険者ギルドに行きたくなってきた。学校早退しようかな。
俺がニヤニヤしていると、ヤクモが教室に入ってきた。俺を見るなり言い放つ。
「朝から気持ち悪いぞ、ソウガ。国家転覆でも企んでいるのか!」
その言葉に教室中がざわついた。
「やっぱり怖えよ、アイツ。ヤクモ殿下の前で堂々と反乱するとか!」
「どうしよ、うちのお姉ちゃん、今年近衛騎士団に入ったばかりなの。あんなのに勝てるわけないし……辞めさせた方がいいかも」
誰もが恐怖に震え、俺を化け物のような目で見ていた。思わず心の中で呟く。
(……そぎゃん、怖がらんでもよかたい)
◆
ソウガ君がクラス中の生徒から恐れられている。いい気味だ。C級になって浮かれすぎた彼を睨む。
さっきも私がとっさに注意事項に書いた一文を鵜呑みにして、カナに感謝していた。口に出していないつもりだろうが、はっきり耳に届いた。
――今度、食事にでも誘おう。
絶対にカナは行かないし、行かせない。彼女は大事な部下だ。こんな下心のある男と二人きりにさせるわけにはいかない。
しかもパーティーを組むと言っていたが、それも無理だ。すでにカナに手配させて、冒険者たちに彼の悪評を広めている。
ギルドに入った瞬間、誰もが視線を逸らすだろう。ひょっとすると、併設の酒場も出禁になるかもしれない。
――そう考えると、少し気が晴れた。
けれど怒りはまだ胸の奥に燻り続けている。ソウガ君に対してだけでなく、キヨコさんにも不満はある。
あれほど彼の昇級は慎重にしてほしいと頼んだのに、翌日にはC級になっていた。
コウセン地区の汚水問題を解決した評価だとしても、他の方法はいくらでもあったはずだ。
区長の推薦はE級までだ。それ以上に昇級させる必要なんてなかった。残りは報奨金で十分だし、その程度なら私が用意できた。
――誰のために動いていると思っているんだ。
彼への怒りが再び込み上げる。このままでは自分でも何をしでかすか分からない。原因を作った張本人には、必ず報いを受けさせる。
そう決意したそのとき、授業の開始を告げる鐘が鳴り響いた。
――――――――――――
授業開始の鐘が鳴り、リュウゾウ先生が入ってきた。すぐに出席をとり、全員を校庭へと向かわせる。
クラスメイトが並ぶ中、私はソウガ君の隣に立った。けれど彼は、まだ浮かれているのか気づきもしない。その様子に、口元が自然と弧を描いた。
「今日は実技の授業だ。各自相手を決めて、魔法で戦ってくれ。ただし、中級までだ。その魔法防御の腕輪が壊れたら負けだ。間違っても、それ以上は攻撃するなよ」
先生の説明が終わると、生徒たちは一斉に腕輪をつけた。真っ青な魔石が埋め込まれ、淡い光を帯びている。
私も腕輪をはめ、すぐに彼へ声をかけた。
「ねえ、ソウガ君。私と戦わない?」
一瞬、彼の顔がしかめられかけたが、機嫌がいいのか笑みに変わる。
「別にいいけど、俺、強いぞ。他のやつと組んだほうがいいんじゃないか?」
「へえ、そうなんだ。でも例の魔法は使えないよね。あれって、そもそも魔法なのかすら怪しいけどさ」
その言葉に、彼は今日初めて不機嫌そうな表情を見せた。その顔を見ただけで、また少し溜飲が下がる。
笑みを崩さない私に、彼は肩をすくめて言った。
「わかったよ、じゃあ相手になってもらおう。ただ、やるからには全力だ。負けても恨むなよ」
「もちろん、問題ないよ。でも、どうせなら何か賭けようか?」
思いがけない提案に、彼はきょとんとした。本気で負けるとは思っていないのだろう。こめかみに青筋が浮かびそうになるのを堪えて続ける。
「……そうだな。ありきたりだけど、負けたら勝ったほうの言うことを聞くってのはどう?」
その瞬間、ソウガ君が噴き出した。余裕の表れだ。その姿に静かに怒りを燃やす。
「ああ、わかった。負けたら言うことを聞けばいいんだな?」
「そうだよ。ただ、私が負けても……やらしいことはしないでね。お願いだから」
冗談のつもりで言ったのに、彼は真顔になり、余裕が消えた。全身から下心が滲み出る。本気で勝ちにきたようだ。
――やはりこの男は危険だ。絶対に負けられない。
賭けをしたことに、ほんの少し後悔しながらも、覚悟を決めて両手に魔力を込めた。
そのとき、雲ひとつない青空に、乾いた雷鳴が響き渡った。
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