104 青筋の微笑
シンヤさんが去り、医務室は静寂に包まれた。微かに聞こえるのは、冷気を送るファンが回る音だけだ。
体調を取り戻したソウガに、私がハンナと睨み合うことになった経緯を説明しようとした途端、彼はベッドに戻り、シーツの中に潜り込んでしまった。
今もシーツから出る気配がない。震えているのか、ときよりシーツが擦れる音が耳に届く。
このままでは埒が明かないが、小鹿のように震えるソウガを見ているのは楽しかった。散々、私やハンナを振り回してきたのだ。これぐらいの仕返しはいいだろう。
じっと見つめていると、ハンナがベッドに近寄り、シーツの上からソウガを優しく擦った。
「ソウガ、無理しないで。ナツメさんと睨み合うことになった原因は、私にあるんだから。そ、その……寝ているソウガに、思わず顔を近づけてしまって……」
その瞬間、シーツがびくんと跳ね、頬を真っ赤にしたソウガがそっと顔を出した。だが、私が殺気を込めて睨みつけると、またシーツに潜った。
再び震え出したソウガを見て、ハンナが私を睨みつける。
「ナツメさん、もういいでしょう。ソウガは魔力枯渇で頭痛と倦怠感に襲われているんです。さっきも言いましたが、あのような原因を作ったのは私です。彼を責めるべきではありません!」
正論だが、感情はそう簡単に整理できるものではない。そう思った瞬間、自分らしくないと気づく。
いつも冷静で理路整然とし、利害を重視する私が、感情に揺さぶられている。しかも、その感情が嫉妬とは――苦笑してしまった。
「……ふっ、分かった。たしかにソウガを責めるべきじゃないかもね。婚約者二人の仲介もできないのは、男として情けないけど。それはこれからしっかり教育すれば――いいしね」
そこで言葉を切り、シーツの中に隠れるソウガを見やる。その瞬間、「うっ」とうめき声が上がり、シーツが跳ねた。
「今回の件はハンナが原因だけど、悪いことをしたわけじゃないし――わ、私のし、嫉妬もあるから水に流そう。でも、きっかけはハンナだよね。そこで相談だけど、ソウガは私が送っていく。いいかな?」
途中、言葉が引っかかったが、なんとか言い切る。
ハンナへの当てつけもあるが、五大機能『火』――魔法剣について確認したいこともある。ここは譲れない。私は彼女を真っすぐ射抜く。
次の瞬間、ハンナは息を呑むが、すぐに鋭く睨み返す。だが、自分に落ち度があったことを思い出したのか、すぐに表情を戻し、力なく頷いた。
「分かりました、ソウガをお願いします。ですが、明後日の試合では、私が彼を会場まで送らせていただきます」
やはりキクーチェ公爵の令嬢だ。簡単に引き下がることはなかった。だが、それも織り込み済みだった私は、悔しそうに頷きながら、次の一手を数えた。
◆
頭を抱えてシーツの中で震える俺を、ナツメは強引に引っ張り出し、医務室から連れ出した。
途中、心配そうに俺を見るハンナと目が合い、助けを求めたが、彼女は伸ばしかけた手を引っ込めた。
その瞬間、俺の頭の中でドナドナの歌が流れ出した。まさに売られていく子牛の心境そのものだ。
このままナツメの魔導車に乗せられたら、何をされるのか分からない。頭痛よりも恐怖が勝る。喉は渇き、冷たい汗が背中を伝う。
先ほどとは違う意味で震え出した俺は、しっかりと握られた手を見つめる。
俺のほうが力が強いはずなのに、振りほどくことができない。おそらくナツメは合気か、何かを修めているのだろう。
そういえば、母さんも合気の達人だった。よく夫婦喧嘩をしては、親父を投げ飛ばし、関節を極めて押さえ込んでいた。子供ながら、やり過ぎではないかと思った。
現実から逃げ、過去の懐かしい――いや、懐かしいのかも怪しい記憶を思い返していると、豪奢な黒い魔導車の前に着く。ボンネットの先頭には銀色のピクセル家の紋章が輝いていた。
――――――――――――
俺たちが魔導車に乗り込み、ドアが閉まると、魔燃機関が唸りを上げ、窓の外を流れる景色はまたたく間に速度を増していった。
梅雨も明け、日差しは強いが、濃いスモークガラスが遮って、車内は冷房の魔導具が稼働して快適だった。
魔力枯渇で気分は優れないが、車酔いする心配はなさそうだ。俺が安堵の息を吐くと、ナツメが口を開いた。
「……ソウガ、魔法剣を撃つことができるって、なんで黙っていたの?」
かすかな鈍痛を奥歯で噛み殺し、ナツメを見る。その表情は真剣そのものだった。下手な言い訳はできないと悟る。
「別に隠していたわけじゃない。ただの思いつきだ。魔法剣も魔法の一種なら、イメージすれば火球のように撃つこともできるんじゃないかと思っただけだ」
俺はナツメに感情を読まれないよう、素っ気なく答えた。
実は昨日、五大機能『火』を起動したとき、斬るイメージを強くしたら、魔法剣も薄く平らになり、切っ先が鋭く尖った。
そして続けて、刺突をイメージしたら、その形状はレイピアのように細く鋭利な円錐状へと変化した。
その瞬間、俺はピストルのように撃つイメージをすれば、発射することも可能ではないかと思いついた。
そのことを黙っていた負い目はあるが、今さら言うわけにはいかない。俺は悟られぬよう、こめかみを押さえて表情を隠す。
「ふーん、そうなんだ。よく試合中に出来るかどうか分からないことを試そうと思ったね。あんなに優勝に拘っていたのに」
鋭い指摘に動揺して肩が揺れる。それを見逃すナツメではなかった。
「どうせ賭けに出るなら、超高速移動の方が確実だったんじゃないかな? 一度は阻止されたけど、シンヤさんから離れて移動すれば、問題なかったよね?」
さらに追い詰めるナツメ。もはや言い逃れは難しいようだ。できれば急いで逃げ出したいが、ここは魔導車の中――それは不可能だ。
覚悟を決めた俺はこめかみを押さえていた手を離し、じっとナツメを見つめる。
「な、なに、急に真剣な表情になって。どういうつもりだい?」
なぜか頬を染めるナツメに首を傾げそうになるのをぐっと堪え、俺は座席から身を起こして、彼女に近づく。
さらに顔を真っ赤にするナツメ。意味は分からないが、俺は勢いよく膝をついて、頭を床に押し当てた。
「すみません、ナツメさん! 実は昨日から、もしかしたら撃てるんじゃね、と思っていました。本当に黙ってて、申し訳ありませんでした!」
深々と頭を下げ、誠意を見せた。だが、いくら待ってもナツメからは言葉が返ってこない。俺は恐る恐る顔を上げ、彼女を見上げた。
そこには満面の笑みで、こめかみに青筋を立てた複雑な表情を浮かべるナツメの姿があった。
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