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婚約破棄? あら、それって何時からでしたっけ

作者: 松本雀

――午前十時、王都某所。


エマ=ベルフィールド嬢は、目覚めと共に察した。


「…………やらかしましたわね?」


パッチリと目を開いた瞬間、天井が知らんぷりを決め込む中、彼女の脳内には然るべきスケジュールがフルカラーで蘇った。今日は、婚約者である第三王子・リオネル殿下との『婚約破棄お披露目パーティー』当日なのである。


そう、わざわざ『パーティー』と銘打たれているのだ。理由は簡単、リオネル殿下が真実の愛を貫くため、庶民出身の令嬢と結ばれるという『感動の告白』を、貴族たちの前で公開演出したいという、たいそうロマンチストな思想からだった。


「まったく……婚約破棄されるのに、なぜドレスコード付きなのかしら」


寝癖をバリバリに立てたまま、エマは鏡の前で一人、静かに吐き捨てた。


ドレス? 間に合いません。

化粧? まだ顔がむくんでいます。

馬車? もうとっくに行ってます。


「これ、もう行く意味あります?」


たぶん、会場では既にリオネル殿下が「エマ=ベルフィールド嬢、貴女との婚約を――」と、堂々とやらかしている頃合いである。いない本人を前に、「婚約破棄する」というのもなかなかシュールな光景だが、どうせなら最後までお好きにどうぞという気持ちだ。


だが――その瞬間、運命の扉が勢いよく開かれた。


「お嬢様ァァァ!! 大変です! 婚約破棄がッ! まだされておりませぇぇん!!」


扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、専属メイドのティナ。顔を林檎みたいに真っ赤にしながら、叫び声を上げている。


「間に合いますの!?」


「間に合いますっ! お嬢様が来ないからって、殿下、演出できずにプチパニックですっ!」


「……よし。着替えますわ、私! セットアップ、スタンバイ!!」


寝坊令嬢の朝は、いま始まった。



三十分後。

靴は左右でヒールの高さが違い、髪型は片方だけ盛れていない。

ドレスはどう見ても後ろ前。

それでもエマは、頬を上気させながら堂々と会場に駆け込んだ。


「お待たせいたしました、リオネル殿下! 婚約破棄されに来ましたわ!!」


会場の時が止まった。

新婦のような勢いで入ってきた令嬢と、困惑する王子。そして彼の隣でぽつねんと立つ、新しい恋人候補(※民間人)が気まずそうに俯く。


「エマ……おま、今さら何で来た……?」


「婚約破棄されるなら、正面から受け止めなきゃ失礼だと思いましたの! 記念撮影のご用意もありますわよ!!」


「そんな用意はしなくていい!!!」


場がグズグズと混乱に沈む中、エマは満面の笑みで深呼吸した。


「さ、殿下。思う存分に婚約破棄なさってくださいませ!!!」


「なんでそんなにノリノリなんだよ君はァ!!!!」


最終的に、王子は婚約破棄のタイミングを完全に見失い、庶民の令嬢は泣きながら退場し、エマはカナッペをモリモリ食べて、満腹で帰った。


本人いわく、「良い夢見た後って、だいたい現実は反対なのよね」だそうです。



翌朝。


エマ=ベルフィールド嬢は、やや寝不足気味の顔で紅茶をすすっていた。昨日の婚約破棄お披露目パーティーの反響はすさまじく、王都社交界の話題はすでに彼女一色であった。


「――で? なんで私が『王子に逆婚約破棄を仕掛けた悪役令嬢』になってるのか、詳しく説明していただけます?」


「……噂って、こわいですねぇ……」


メイドのティナは、スプーンで紅茶の砂糖をかき回しながら現実逃避中。


曰く、昨夜の出来事はすでにこう変換されているらしい

•エマ嬢、王子の新恋人お披露目パーティーに殴り込み

•王子の新恋人を公開処刑

•王子に婚約破棄させる隙を与えず、逆に「婚約破棄するのはこっちよ!私を振るだなんて、百年早いですわ!!」と捨て台詞

•その後、カナッペとスイーツを独り占めして退場

•「あの鋭い眼差し、近づき難い雰囲気……まさに悪役令嬢……」という証言も複数あり(※たぶん寝不足のせい)


「私はただ――寝坊して、婚約破棄されに行っただけなんですけど?」


「お嬢様……それ、弁明になっていませんよ……」


そのとき、玄関のベルが鳴った。


「お届けものでーす! 『王都ゴシップ速報・セントスプリング』の号外でーす!」


ティナが慌てて受け取り開いた一面には、堂々とした活字が踊っていた。


『悲劇の令嬢か、稀代の策士か――エマ=ベルフィールド嬢の真意とは!?』


「……どちらでもありませんわ」


ため息をつきながら新聞を眺めるエマの瞳は、新作スイーツと枕特集に焦点を合わせていた。



その日の午後。エマは久々に王都の街に繰り出した。


変装はしていない。堂々と羽つき帽子を被った頭を上げ、ドレスの裾をふわりと翻す。すると――


「……あれが、例の……」

「逆婚約破棄の悪役令嬢エマ様……」

「視線で王子の恋人候補を三人殺したって噂の……」


「ちょっと! 視線だけで人が死ぬなら、今ごろ殿下は十回は死んでますわよ!!」


あれよあれよという間に、噂は立派な尾ひれ背びれをつけて独り泳ぎを始めてしまっていた。


しかも最悪なことに、昨夜の「婚約破棄されに来ましたわ!」の名(迷)言がなぜか流行語になっていた。街の子どもまで真似している始末である。


少女が友達の男の子とおままごと中、急に立ち上がって大声で一言。


「あなた、わたくし婚約破棄されに来ましたわ!」

「あらやだ~! うちの子ったら、エマ様ごっこかしら?」


「どの層に刺さってるのよッ!?」


必死で帽子を深くかぶり直すエマを、どこからかひとつの声が呼び止めた。


「……おや、エマじゃないか!」


現れたのは――なんと、リオネル殿下その人であった。

例の民間人令嬢(元恋人)はすでに『婚約破棄お披露目パーティー』での公開処刑に耐えきれず失踪しており、王子は全方位から非難の嵐を浴びているらしい。


「あの……よかったら、やりなおさないか……? 結局、僕たち婚約破棄していないんだし」


「は?」


その瞬間、王都が静まり返った(※気のせいです)。


「今さらですの? もう私は新しい人生を歩む予定ですのよ? 目指せ悪役令嬢の星!!!」


「悪役令嬢の星って何!?」


動揺する王子をよそに、エマはにっこり微笑んだ。


「殿下……私、けっこう楽しいんですの。婚約破棄されるって、自由で、気楽で、スイーツも美味しくて!」


「えっ、どういう理屈???」


「分かりませんわ。でも、もうあなたの演出に付き合うのは、ご遠慮いたします」


そう言い残し、エマはスカートを翻して去っていった。堂々と、颯爽と。


その背中に、小さな女の子が叫ぶ。


「かっこいー! あたしも悪役令嬢になるー!」


「だ、だめだぞー!」


王子の慌て声が響く中、エマ嬢の再評価が始まった。彼女の名前は今、別の意味で伝説になりつつある。



「……で、何通目ですの、これ?」


「本日だけで十七通です、お嬢様。うち五通が『どうか私を踏んでください』系です」


エマ=ベルフィールド嬢は静かに紅茶を置いた。


朝食中だった。パンに蜂蜜をたっぷり塗って、今日の気分は~森の熊さんちょいセレブ風~というテーマにもかかわらず、テーブルの上には謎のプロポーズの手紙の山。

しかもその内容がどうにもこうにもおかしい。


『あの眼差しに見下されたいです』

『婚約破棄パーティーでの高笑い、最高でした』

『僕もカナッペになりたい』


「え、最後のどういう意味?」


「わたくしにもわかりかねます……」


ティナはすでに三通目あたりで脳が蒸発していた。


だが、これが現実。

婚約破棄されに来た令嬢エマの異名は今、社交界のトレンドを爆走中。しかもなぜか『悪役令嬢萌え』という新しいジャンルを開拓してしまい、貴族子息たちの間で大流行している。


「強い女……それが今、来ているんです……!」

「男に頼らず、自分の言葉で未来を切り開け!」

「時代は逆婚約破棄で爆笑をかっさらう系ヒロインへ!!」


と、どこぞのインフルエンサー貴族が、舞踏会で語ったとか語っていないとか。


「……私、べつにウケを狙ってやったわけじゃありませんのよ?」


「寝坊したまま、全力で婚約破棄されにいっただけでしたよね」


「そう、フルスロットル婚約破棄。寝坊がもたらす天然の流れ。奇跡のタイミングですわ」


だがこの奇跡、最悪の連鎖をしていた。



「はじめまして、エマ嬢。君の逆婚約破棄プレイに心を奪われました!」


「逆婚約破棄プレイって何!?」


「この髪飾りは、君がカナッペを貪った直後の口元をイメージして……」


「二度と言わないでください!!」


やってくるのは曲者ばかり。

硬派でクールな冷血宰相の甥、かと思いきや趣味はエマの新聞スクラップ。侯爵家の御曹司は、エマの婚約破棄名言を額装して廊下に飾っていた。


「婚約破棄されに来ましたわ」──金箔入り。


「怖ッ!! それもう宗教ですわよ!? もしくはストーカー!!!!」


エマは逃げた。ティナを抱えて裏口から。

だが、彼女が向かう先にいたのは、見覚えのある――あの男だった。


「……また会ったね、エマ……!」


「どこぞの不審者……じゃなくてリオネル殿下? ええっ、また新しい婚約破棄ですの」


「いや、違う! 今度は違う!! 真面目な話だ!!!」


彼が差し出したのは、真っ白な花々だけで作られた不思議な花束だった。


「……これは、君との関係を白紙からやり直す意味で。僕の反省の象徴なんだ……!」


彼はどこか照れくさそうに笑った。

エマは目を細め、ゆっくりと息を吸い込む。


「ええ、たしかに真っ白ですわね」


そして、ぴしゃりと告げた。


「でも残念ですわ、殿下。私の辞書に、『前科持ちとのやり直し』というページは存在しておりませんのよ」


婚約破棄王子、再チャレンジ撃沈。



最終的に――


エマはすべてのプロポーズを丁寧に断った。


理由はひとつ。

「私はまだ『昼寝』という名の恋人を手放せませんの」


その日も、ふかふかのソファに身を投げながら、彼女はふと思う。


「……寝坊で逆婚約破棄した悪役令嬢になって、人気者になるって、どんな流れですの……?」


たとえ誰かの物語で、悪い役しか与えられなかったとしても。

それを笑って踏み越えられるなら。


脇役も、悪役も、いつか主人公になれるのかもしれない。


美しく、自由に、そして自分らしく――

寝癖すら武器に変えて。


「まあいいですわ。次のパーティーは遅刻しないように、目覚まし時計三個にしておきましょう」


――そう言って、三分後に爆睡したエマ=ベルフィールド嬢は、次のパーティーもやっぱり寝坊するのであった。

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