第6話 蜜の香りを交わす
蜜が渡った気配は、政にも香りで届いた。
「はぁっ! はぁ……っ!」
届いたとわかった瞬間、政の口から吐き出たのは嗚咽にも近い叫び。
蜜を渡したということは、朱里の『欠片』を渡したに等しい。その伝達手段である『マサ』と言うのは道具でしかないのだ。現実世界を維持するのには、代償も必要。そのひとつとして、『マサ』と名を与えられた彼は異界の存在でもありながら、『現実世界』側に情報の『蜜』を与える道具となり得る存在だ。
朱里も人間でも何でもなく、『異界の繭』でしかない。
異界の維持と、現実世界の橋渡しをするだけの『人形』。可愛く彩られた化粧をしているだけの遺物。可愛いモノから綺麗なモノを寄せ集め、混ぜ合わせた存在。貯まった『想い』を『蜜』にして、異界の情報を現実世界への『予知』として与える道具だ。
互いに、人間のように似せているが。異界にとってはただ役割を与えられただけの『道具』。それでも、意思を持つ存在として現実世界と異界を行き来するモノだと。政は、蜜を届けた代償の嗚咽と倦怠感がある程度落ち着いてから……朱里を見た。
仮宿に置きっぱなしにておいた、ブランケットくらい薄い毛布にくるんだ朱里を見たが。まるで氷のように固まっていた。蜜を届けた証拠にしても、いつ見ても気持ちのいい状態ではない。
「……成に届いたにしたって、溶けるまで俺が見とらんとあかんのかっ」
意味がないと分かっても、毛布でさらに包んで抱き締めるのもいつものこと。手はまるで木乃伊の如く、青褪めて握ろうとしたまま硬直している。その手も包み、少しでも温めたくて政は上から自分の手で包んでやった。黒の布は白に重なっても、暗がりでは映える。
道具が道具を守るだけの存在だとしても、彼らにも救済措置は異界からきちんと言い渡されている。政も朱里も、その結末を必ず迎えるために必死で動いている。だが、確実に為されるか自信がない。
足掻いているように見えるが。誰もが迎えさせたくない為に必死なのだ。
「……朱里。成のために、なんで毎回死にかけの状態にならなあかんのや!? 俺は……ただ、蜜を流すしか出来んのに!!」
飾られた人形の、寄せ集めた偶像崇拝。その祈りの想いを、変換させて蜜状にする。その中に含まれた情報を現実側の『表の編集者』に伝える役割。
『異界の編纂者』などと、カッコつけた役割のように見えるが。要は『命の捨て駒』にされてしまう役割なのだ。互いの世界に、天変地異が起きる瞬間にこそ、その編成がされてしまう。
人間でない、妖怪でもない。神と呼ばれているだろう、力或るモノらが彼らを編成して行くのだ。
存在たちをこれ以上迷わせないように。消えないようにするための、巨大な世界編纂。
気づいたモノらを総て巻き込み、まずは一つの表裏一体から編集していくのだと。政が『タネ』として持つ記憶にはそのように刻まれていた。
「……タネとして。綿埃だけでも」
膝に朱里を乗せ、空いた手に十数枚ものカードを開いていく。適当に放って顕現した存在らは、すぐにイラストが描かれたブランケットとなって政ごと朱里を包んだ。
かと思えば、色のついた粘っこい液体となりふたりを流れていく。落ちたら、ふわっと溶けて朱里だけを包み込んだ。
「……色んな彩に染まり。成のとこにいつか届くように」
虹色の毛布に包まれた朱里は何も答えない。只々、人形のように綺麗に固まっているだけだ。