去るもの、来るもの
僕は、時々、自分に実験をします。今回は、「己を渇望させよう」と試みました。なぜなら、僕の精神が緩くなってきたからです。まず、健康を気にして、マヨネーズの量を微妙に減らし、お好み焼きの味を台無しにしました。それから、車の調子が悪いのに、必要な点検を暫く渋りました。これは、僕の軸が揺れている印にほかならないと思うのです。ある日の朝、納豆のパックの容器を開いて、僕は手を止めました。ほら、もう、辛子とタレが中に入っていて、当然のごとく手に入るではないですか。勿論、僕は、その便利さを喜んで利用している一人です。しかし、一方で、僕は、油断して、甘えのある自分を指摘します。こうして、様々な矛盾があるものの、僕は、時折、理由も確かでない研究を楽しんでいるのです。
僕は、今回、「財布のお金が小銭数枚になるまで、銀行には行かない」を自分に課しました。一見、簡単そうに見えますが、先月の末から、「冷蔵庫が空になるまで買い物には行かない」という荒行も続けており、同時進行という難しさがあります。僕の住んでいる場所は田舎ですから、現金がまだ幅を利かせています。金銭が財布に入っていないのは、心細いものです。僕は、潤沢な資金の時は、食料品店で欲しい物をカートに入れていたのですが、何度目かの買い物の後、お金が少なくなると「枯渇」の意味を噛みしめるようになりました。そして、ようやく、銀行に行く時が来ました。それは、商店街のくじ引きで当たりの鐘を鳴らされる瞬間のようでした。
この実験は、大成功でした。なぜなら、砂漠で一滴の水を欲しがるような気分を経験した僕の姿勢は、他の人とは様子が違っていました。銀行に行き、現金自動預払機へ脇目も振らずに向かいます。僕は、車の点検の支払いもあり、多めにお金を引き出しました。
取り出し口を「さあ、どうぞ」と開けた機械からは、待望のお金が現れました。僕は、嬉しさの笑みを浮かべましたが、直ぐに凍り付きました。明らかに、札が束なのです。僕の予想は、数枚のお札のはずでした。僕は、封筒が無かったので、財布にその束を無理やり詰め込みました。僕はそれらが全て千円札であることを初めて知りました。僕の財布は、いきなりの満杯です。僕は、迷いました。このまま、何もなかった様子で生活していくこともできます。
僕は、もう二歩程度で銀行から出るという時に、窓口へ体の向きを直角に変えました。やはり、会計時の不便を考え、両替をしてもらおうと思ったのです。その日は、極端な閑散期であるらしく、僕だけが客でした。それでも、僕は番号札を取り、順番を待ちます。綺麗なお姉さんが事務処理をする机の掲示板に僕の番号が付きました。僕は、「突然、いつもと違って千円札でお金が出てきたので、両替してほしい」とお姉さんに話しました。僕が分厚い紙幣の塊を財布から引っ張り出す間、お姉さんは、お金の扱いに不慣れな僕を静かに見ていました。そして、潤いのある声で幾ら両替するのかと聞きました。僕は、四枚を一万円札に換え、残りは、そのまま千円札で貰うことにしました。お姉さんは、去り際の僕に、自動支払機は、五万五千と単位を打ち込まないと、万札が出てこないことを教えてくれました。そういえば、僕は、55千と入力したのです。僕は、過去の自分を動画を巻き戻すようにして思い出し、その中に番号を急いで押していた姿を見つけて納得しました。
僕の車は故障していて、バッテリーの買い替えが必要でした。世の中、よくできているなーと感心したのは、その費用が四万円でした。それで、両替した4枚の万札は、財布から真っ先に出て行ったのです。それから、僕は、財布の中に残った千円札たちを何だか穏やかな気持ちで眺めました。
「給料日まで頑張ろうな」僕は、爽快な手応えを感じながら、財布の留め具を閉めました。