表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/12

第4章:学内音楽祭と衝突

朝の鐘がいつもより早く聞こえた気がするほど、学院内は妙な熱気に包まれていた。音楽祭の前日ともなれば、多くの学生が作品や演奏を仕上げようと焦りに駆られ、朝早くから教室や練習室へ足を運ぶ。廊下を歩けば、あちこちから忙しそうな声が響き、譜面を抱えたまま小走りする姿が目につく。アリオーソ学院では恒例の行事の一つだが、今年は留学生アリア・セレナーデの挑戦が話題を呼んでいた。誰もが顔を見合わせて噂する──彼女はいったい何を企んでいるのか、と。


一方そのころ、ノエル・フォルティスは重たい足取りで校内を歩いていた。ここ数日、自分にまとわりつく暗い影を振り払えずにいる。おまけに音楽科の学生たちからは相変わらず「元天才少年」だの「フォルティス家の血筋」だのと騒がれて、下手に姿を見せれば面倒ごとに巻き込まれる。さらに追い討ちをかけるように、アリアが「Song of Undred」のレクイエムを本当にステージで歌おうとしているらしい──その話を耳にするたび、ノエルの胸は嫌な鼓動を打っていた。


理由は単純だ。あの曲を、人前で表立って演奏するなど正気の沙汰ではない。ましてやレクイエム版は不吉な噂ばかりが先行し、その旋律に取り憑かれた者は多くの不幸を背負うとさえ言われる。ノエル自身も幼いころ、この曲と“アンドリッド”にまつわる出来事で家族を喪った。いまだ癒えぬトラウマを抱える彼にとって、「Song of Undred」は存在そのものが胸を締めつけるような苦しみを呼び起こす代物なのだ。


しかし、アリアはその事実を知ってか知らずか、とにかく歌うことを決してやめようとしない。学内音楽祭そのものは規模の大きな舞台ではないが、来賓や学院関係者など一定数の聴衆が集まる。ここで好結果を残せば、新人演奏会への弾みになるという考えもあって、彼女のやる気は相当なものだった。リディア・ハルモニアとともにレクイエム版を何とか仕上げようとする姿を、ノエルは否応なく耳にする。あるいは視界の端に捉える。それだけでも気がかりなのに、なぜか彼女たちはノエルをも練習へ巻き込みたがっているような兆候が見えるのだ。


昼休み直前、ノエルは渡り廊下を歩いていた。ふと教室の角からアリアが現れる。彼女は譜面を手にしており、いかにも意気込んだ様子でノエルに駆け寄った。


「ねえ、ちょうどよかった。今からリディアと一緒に『Song of Undred』の練習をするんだけど、あなたも見に来てほしいの。少しでいいから。」


ノエルは思わず顔をしかめる。すぐに拒絶の言葉が出かけたが、アリアの瞳には切実な光が宿っていた。自身の無神経さに気づかないわけではないのだろうが、それでも真っ向から頼み込んでくる。その情熱がノエルにはある種の恐怖でもあり、同時に罪悪感でもあった。


「悪いが……俺は何もできない。」


「何かしてほしいわけじゃないの。ただ、聴いてほしいだけ。レクイエムは今のところ不完全かもしれないけど、あなたの耳には何か掴めるものがあるんじゃないかと思って。」


ノエルは沈黙した。正直に言えば、彼にとって「Song of Undred」は忌まわしい代物でしかない。だが、アリアはそれを「正しく歌いたい」と考えている。もし彼がこの曲に関して何かしら意見を言えば、それはアリアにとって大きな手がかりになるかもしれない。そう理解しつつも、やはり尻込みしてしまう自分がいる。


結局、断りきれないままノエルは小さくうなずき、アリアのあとに続いていくことになった。向かった先は音楽棟の一室。そこは広い練習室というより、どちらかといえば小さな防音室に近い。壁際には古いピアノが置かれ、中央に譜面台と椅子が用意されていた。すでにリディアがフルートを手にスタンバイしており、ノエルが入ってきたのを見ると、少し安心したように微笑んだ。


「ノエル、ごめんね。無理やり呼んだわけじゃないけど、やっぱりあなたの存在は大きいと思うの。私たちだけじゃ耳が足りない部分があるかもしれないし。」


リディアがそう言うと、ノエルは「期待しないでくれ」とだけ返事をした。だが、二人は遠慮なく準備を進める。譜面を見つめ、アリアがゆっくりと呼吸を整える。リディアはフルートを構えて、イントロらしき短い音を吹き始めた。続いてアリアが低めの声でメロディを紡ぎ出す。その旋律は確かにレクイエムらしく、どこか哀切の響きを宿していた。


ノエルは耳を塞ぎたくなる衝動を必死にこらえる。過去の記憶がフラッシュバックしそうになるのを抑え込みながらも、その音の流れを追ってみる。すると、やはりどこかちぐはぐな印象を覚えた。曲としてつながっているようで、全体が調和していない。これが原因でアリアやリディアも完成に苦労しているのだろうと理解できる。けれど、だからといってノエルは「ああすればいい」「こうすればいい」と口を出せるほどの余裕はなかった。


アリアは譜面通りに歌っているのだろうが、途中でピッチがわずかに安定を欠き、フルートの音とずれることがある。レクイエム特有の重厚感を出すには、もう少し和音のサポートが欲しいはずだが、フルートとボーカルだけでは限界がある。にもかかわらず、アリアは根気強く歌い続ける。声が揺らぎ、息苦しそうにしているのを見ているだけで、ノエルは胸が痛んだ。


練習が一段落したところで、アリアが「どうだった?」と目を輝かせて問いかける。ノエルは一瞬言葉を詰まらせた。ここで何も感じなかったと嘘をつくか、それとも本音を言ってレクイエムをやめさせるか。逡巡した挙句、彼は心の奥に潜む苛立ちをそのまま表に出してしまった。


「正直、聞いていられなかった。曲として未完成とかそういう問題じゃない。そんな不吉なレクイエムをわざわざ人前で披露しようとするのが理解できないよ。捨てたほうがいい。」


アリアは強い口調に驚いたようで、一瞬目を見開いた。リディアも「ノエル……」とやんわり諫めるような声を出すが、ノエルは止まらない。自分がどんな思いでここにいるか、少しはわかってほしいという感情が制御できなくなっていた。


「おまえがどれだけ練習しようと、この曲は呪われてるようなものだ。少なくとも、レクイエムの形で人前に出すなんて自殺行為だ。どうなっても知らないぞ。」


そのまま吐き捨てるように言い放ち、ノエルは部屋を出ていこうとする。アリアは傷ついた面持ちで譜面を握りしめたまま、それでもなお口ごもりながら必死に言葉を探していた。


「私は……ただ、本来の姿を見つける過程でレクイエムにも挑戦してるだけ。すべてが呪いだなんて思いたくないし、捨てたら何もわからないままで終わるもの。あなたがこんなに嫌がるのは知ってる。でも、それでも私は……」


ノエルは振り返らず、ドアを開けて廊下に出た。胸が苦しくてたまらない。本当はアリアを責める気持ちと同時に、心の片隅で「何か救われる可能性もあるのではないか」という矛盾した期待を抱いているのを自覚していた。だが、それを認めてしまうと自分の過去や悲しみに正面から向き合わねばならない。それが怖くて仕方がなかった。


やがて音楽祭の前夜になった。学院の講堂ではステージ設営の最終確認や音響の調整が行われ、参加する生徒たちはリハーサルに余念がない。大げさな大舞台ではないものの、保護者や学外の音楽愛好家が来場する小さなイベントであり、アリオーソ学院の雰囲気を外部にも知ってもらう貴重な機会だとされている。ファビアンやローザといった有名どころもこぞってエントリーし、華やかな名曲を披露する予定だ。


その一角で、アリアとリディアはやはり「Song of Undred」の練習を続けていた。アリアが譜面に目を通しながら小さく息を吸うと、リディアがフルートを構えて合わせていく。そこへ現れたノエルは、なぜか成り行きで付き添う羽目になっていた。二人はリディアの提案で「最後にもう一度だけ聴いて、それからどうするか考えよう」と言われ、ズルズルと引っ張られている状態である。


廊下の隅から三人の様子を見ている生徒もちらほらいる。噂に聞く「Song of Undred」がどんな音色を持つのか興味津々なのだろう。しかし、この曲をまともに聴いた者は少なく、さらにアリアが選んだのはレクイエム版とあって、危うさを感じる者もいる。ある者は「これって本当に演奏していいの?」とヒソヒソ声で囁き合い、また別の者は「どんな伝説がある曲かは知らないが、一度聴いてみたい」という好奇心を抑えきれずにいる。


ノエルは視線を感じながらも、無言で耳を傾けていた。アリアの声は少し前より安定しているが、やはり曲全体が落ち着くポイントを見いだせず、聴いている側の感情を不安定にさせるような要素がある。リディアのフルートもどこか不安げで、まとわりつく影を振り払うかのように音を伸ばしてはすぐに引っ込めてしまう。


そんな不完全なまま、時間が過ぎる。ノエルはやりきれない思いでその場をあとにした。アリアは追いかけてこない。彼女もまた、自分の言動に傷ついているのだろうと感じたから、余計に罪悪感が胸を締めつけた。


そして当日。音楽祭の朝は、肌寒い風が吹いていたが、空は澄み渡り、日が高くなるにつれて来場者の姿が次第に増えていく。学院の玄関ホールでは学生スタッフがプログラムを配布し、保護者や来客がステージのある講堂へ案内されていた。ファビアンやローザの名前が書かれた演目は人気が高く、早くも「楽しみだ」と口々に言われている。そんな中、アリア・セレナーデの項目には「『Song of Undred』(Requiem Ver.)」という記載があり、一部の好奇心旺盛な観客は興味をそそられていた。


だが、舞台裏にいるアリアの顔は決して晴れやかなものではなかった。彼女は譜面を確認しながら深呼吸を繰り返している。リディアも側にいて、フルートを握る手が少し震えていた。ノエルは見当たらない。昨晩の衝突から連絡を取っておらず、今朝も姿を現していないようだ。


「大丈夫よ。あなたの歌は伝わるはず。」


リディアが小さく言葉をかけると、アリアはかすかな笑みを浮かべてうなずいた。曲の完成度に不安は残るが、それでも歌いたいという意志が消えたわけではない。もしレクイエム版を歌うことで、何らかの扉が開けるなら──そんな淡い期待が彼女を支えていた。


プログラムが始まると、学院生たちの多彩な演奏が次々と披露された。華やかなヴァイオリン協奏曲、力強いピアノの連弾、繊細なフルートソロに合唱など、さまざまな形式が観客の耳を楽しませる。講堂には拍手や歓声が湧き、全体としては和やかな空気が漂っている。そんな盛り上がりの中、アリアの出番は後半に設定されていた。


そして、いよいよアナウンスが流れる。


「続いては、留学生アリア・セレナーデさんによる『Song of Undred』レクイエムバージョンの披露です。伴奏はフルートのリディア・ハルモニアさん。皆さま、静かにご鑑賞ください。」


会場が徐々にざわめき始める。「Song of Undred?」「あまり聞いたことがないが、どんな曲だろう」といった声が飛び交い、前列に陣取っていた一部の観客は興味と警戒心が入り混じった表情を見せる。客席の端には、なんとか会場に姿を現したノエルがこっそり座っていた。どうしても気になって仕方がなく、足が向いてしまったのだ。


ステージにライトが当たり、アリアが静かに歩み出る。リディアも後ろに立ち、フルートを携えて深い呼吸をする。二人は視線を交わし、軽くうなずいて合図をとった。客席からは期待と不安の入り混じった空気が押し寄せ、アリアは喉が渇くのを感じる。けれど、もう引き返せない。彼女は意を決して譜面を見ずに目を閉じ、レクイエムの冒頭部分を口ずさむ。


それは低く沈んだ音程から始まり、徐々に哀切を帯びていく旋律。リディアのフルートが後追いするように絡み、重苦しい空気をさらに際立たせる。会場のざわざわとした空気が一瞬にして沈黙へと変わり、聴衆はピタリと耳を傾ける。少なくとも出だしは滑らかで、思っていたほど破綻は感じられない。アリアの声には悲痛の色が宿り、フルートの短いフレーズが断続的に魂を浸食するようだ。


客席のノエルは胸が締めつけられるような感覚を覚える。やはり、あの曲特有の嫌な重みがあった。だが同時に、アリアの一途な歌声がレクイエムという形をどうにか昇華しようとしているのも伝わってくる。矛盾した気持ちに戸惑いながら、ノエルは歯を食いしばるしかなかった。


ところが、曲が中盤にさしかかろうとしたとき、ステージの奥で小さな機材トラブルが発生した。マイクのノイズが一瞬走り、スピーカーから耳障りなハウリングが起こる。その音が客席に鋭く響き、何人かが思わず耳を塞いだ。アリアは動揺を抑えつつ、歌い続けようとするが、直後にフルートの音が聞こえなくなる。リディアが突拍子もなく息を外したのか、あるいは雑音に集中を奪われたのかもしれない。


「大丈夫、続けて!」


リディアが必死に口を動かすのが見えるが、音響トラブルのせいか声は届かない。アリアは歌を止めるわけにもいかず、かすれた声を引きずりながら旋律を追う。しかし、ここでさらなる異変が起きる。観客の一部が奇妙な倦怠感に襲われ、うつむき始めたのだ。まるで曲を聴くことで体力を奪われるような、重苦しい雰囲気がホール内を覆っていく。


最初は数人だったが、やがてぽつぽつと「あれ、なんだか体がだるい」「息苦しい」という声が増えていく。一方、ステージ上のアリアは気力で歌おうとするほどに自分まで悲哀の渦に巻き込まれるような錯覚を覚え、意識が遠のきかける。リディアのフルートもか細くなり、ほとんど音を保てなくなっていた。


客席ではスタッフが「どうした?」「大丈夫か?」と声を掛け合い、プログラムの進行係がトラブルへの対処を試みるが、原因がわからないまま混乱が広がる。ノエルはシートを握りしめ、歯ぎしりするような思いでステージを見つめた。やはり最悪の事態が起こり始めている。あの曲をレクイエムとして演奏することは危険だと、あれほど言ったのに──。


すると、マイクや照明の制御装置に何らかの不具合が生じたのか、ステージが一瞬暗転し、奇妙な鳴動が響いた。スピーカーからはピッチの狂った低音が唸りを上げ、客席の照明が点滅を繰り返す。まるで電力が不安定になっているかのようだ。アリアの歌も途切れ途切れになり、リディアのフルートは完全に黙ってしまう。


それでもアリアは、レクイエムを止めるわけにはいかないと必死に声を出そうとした。が、息が詰まるような閉塞感に襲われ、声が出なくなる。「もう限界かも……」という思いが頭をかすめたその瞬間、彼女はふらりと体勢を崩しかけ、譜面が足元に散らばった。客席から悲鳴のような声が上がり、何人かのスタッフがステージへ駆け寄る。


結局、アリアは演奏を中断せざるを得なくなった。司会者が慌ててマイクを取り、「失礼いたしました! 機材トラブルが発生したため、いったん演奏を中止します」とアナウンスする。観客は困惑の表情を浮かべながら、それでも拍手ではなくざわめきを続ける。そのざわつきがホールに渦を巻く中、アリアは床に落ちた楽譜を呆然と見つめ、頬を伝う涙をこぼした。


そこへノエルがスタッフをかき分けるようにしてステージに上がってくる。アリアが顔を上げると、彼は激しい怒りに満ちた表情で叫んだ。


「だからやめろと言ったんだ! なんでわからないんだ。こんな曲、人前でやるべきじゃない!」


アリアは泣きはらした目でノエルを見返し、声も出せない。リディアも駆けつけようとするが、気まずさと混乱と疲労が重なってうまく動けない。ノエルは苛立ちを抑えられず、ステージ上でアリアを責める形になってしまう。その光景を観客の多くが固唾を呑んで見つめていた。


「おまえは自分の好奇心だけで、周りの人間を巻き込んだんだ! こんな結果を見れば誰だってわかる。『Song of Undred』のレクイエムなんて、やる価値があるわけない!」


言葉をぶつけた瞬間、ノエルはアリアの表情に絶望的な色が浮かぶのを感じる。彼女はうつむき、ぽろりと涙をこぼした。その姿にリディアがようやく声を張り上げた。


「やめて、ノエル。アリアだって好きでこんなことになったわけじゃない。機材トラブルや何か原因不明の現象が重なっただけかもしれないじゃない。責めたって仕方ないわ!」


しかしノエルの怒りは治まらず、「それでも俺は言ったはずだ」と吐き捨てる。アリアは振り絞るような声で、か細く言い返した。


「ごめん……ごめんね。でも、私、どうしても……。」


言葉にならない後悔や悲しみが絡み合い、アリアはその場で倒れ込むように膝をつく。リディアが慌てて支えるが、彼女自身もフルートを握った手が震えている。観客が騒然とする中、司会者やスタッフが状況を収拾しようと動くが、もはやステージ上は混乱の極みだ。結局、そのままプログラムを続けるのは困難だと判断され、会場は休憩を挟んで事実上の打ち切りに近い状態へと移行する。


ロビーに移動した聴衆の間では「どうなっているのか」「あの曲は危険だって噂が本当かもしれない」といった声が飛び交い、音楽祭は大失敗に終わったかのように見える。学外から来た客にとっては奇妙な余韻だけが残り、戸惑いを隠せないまま帰路に着く者も多かった。


その後、舞台裏の一室にアリアとリディアは移動させられ、応急処置を受けていた。アリアの身体はさほど深刻な状態ではなかったが、疲労とショックで立ち上がる気力を失っている。リディアもまた、フルートを落としてしまったことを気に病み、唇を噛んでいた。そこへノエルが入ってきたとき、二人はろくに顔を上げもしない。


「アリア、怪我はないのか。」


ノエルが声をかけても、アリアは小さくかぶりを振るだけ。先ほどの彼の怒りの言葉が、アリアの心を深く突き刺しているのは明白だった。リディアが間に立つようにして、「今は何も言わないで」とノエルを制する。だが、ノエルもまた後味の悪さに苛まれながら、引き返すことができないほど感情を抑えきれないでいた。


「……悪かった。でも、これでわかっただろ。『Song of Undred』は……あんな曲は人前で演奏するもんじゃない。ましてやレクイエムなんて。無理にやろうとするから、こんなことになるんだ。」


アリアは震える声で反論する。「あなたは、最初からそう言ってた。だけど私には確かめたいことがあった。知りたいの。どうしてこんなにも悲しい響きなのか、どうしてたくさんの人が苦しんだのか……それを解き明かす可能性があると思ってたの。でも……だめだった。」


「だからって、周りを巻き込むなよ……!」


ノエルはそう怒鳴りかけたが、さすがに声を抑える。二人は視線を合わせようとしないまま、決定的な溝が生まれているのを感じる。音楽科の学生たちも遠巻きに見守っているだけで、声をかけられずにいた。


結果的に、音楽祭は混乱のまま終了し、関係者も疲弊して解散ムードになった。ファビアンやローザといったトップ演奏者が無事に演奏を終えていたため、全体としては形だけのクロージングは行われたが、客の多くはあの奇妙なレクイエム騒ぎの衝撃で心ここにあらず。アリアが途中で歌を断念した事実だけが強く印象に残り、「そういえば『Song of Undred』って危険な曲らしいね」とささやき合う声があちこちで聞こえていた。


夜になり、学院の廊下はしんと静まり返っている。アリアは保健室のような一室でしばし休むことになり、リディアが付き添っている。ノエルは一度も顔を出さないまま姿を消し、まるで逃げるように門を出ていったという話が伝わっていた。すでに二人の関係は、当分修復不可能なほど悪化してしまったかに見える。


「……ノエル、怒るのも無理ない。でも、こんな終わり方、つらすぎるわ。」


リディアはベッドで横になるアリアの手を握りしめながら、ぽつりとこぼす。アリアは痛む胸を押さえながら、声にならない言葉を呑み込み、瞼を閉じた。自分の選択が彼をどれほど苦しめたかを思うと、後悔の念しか浮かばない。それでもなお、心のどこかには「何かを掴みかけた」という気持ちが残っており、それがまた彼女を苦しめていた。


翌朝、学院中で昨夜の騒ぎが話題になった。特に「Song of Undred」をめぐる不気味な現象やトラブルは、生徒たちの興味を一挙に集め、あちこちで憶測や噂が飛び交う。一部では「アンドリッド」という名前もささやかれ始め、正体不明の呪いが学院に潜んでいるのではないかという不安を煽る声もあった。そんな状況で、アリアは人前に出るのを避け、リディアも必要最低限の授業だけ受けて早退するような日々を送ることになる。


一方、ノエルは自室にこもり、ほとんど学院へ足を運ばなくなった。あの場で自分が感情をぶちまけてしまった後悔と、結果として「Song of Undred」の危険性が証明された安心感がないまぜになって、思考が混乱している。アリアに対して強い言葉を浴びせたのは事実だが、それによって彼女を深く傷つけたこともわかっていた。それでも、あの曲をレクイエムとして認めるわけにはいかないという思いが、彼の心を頑なにしていた。


こうして音楽祭は幕を下ろしたが、アリアとノエルの関係は決定的に悪化し、「Song of Undred」をめぐる学院内の不穏な空気はますます濃厚になる。レクイエムを唱うことで巻き起こる悲劇が実際に起きた以上、これ以上の深入りは危険だと考える者もいれば、逆に興味を膨らませる学生も出てくるだろう。リディアは二人の仲を取り持ちたいと願いながらも、今は動けずにいる。あの曲は本当に呪われた存在なのか、それともまだ見ぬ真実が隠されているのか──答えが見えないまま、学院には重苦しい陰が垂れ込めていた。アリアの瞳に宿る悲しみと、ノエルの胸を満たす罪悪感が溶け合うことは、しばらく先になりそうだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ