表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/12

第11章:祝福の旋律と対決

 朝の空気が一段と冷え込み、街の通りを白い吐息が満たすころ、アリアはホテルの窓辺に立ち尽くしていた。声を奪われてから数日が経つが、医師の見立てによれば喉の炎症は徐々に治まっているらしく、ぼちぼち小さな声が戻り始めている。実際、昨夜は少しだけ言葉を発することができた。だがそれ以上に、アンドリッドの暗躍が続き、街は依然として不穏な空気に包まれているのが現実だった。


 カンタビレ・グランドフェス当日には一度、アンドリッドを打ち消し、それ以上の惨劇を食い止めたかに見えた。けれど、逆行カノンは完全には仕上がらず、アリアも声を引き換えに一時的な勝利を得たような形だ。街の人々がすぐに明るさを取り戻すかと思いきや、むしろ歪んだ悲しみが残骸のように漂い、散発的なトラブルがあちこちで報告されている。誰もが「本当に呪いは消えたのか?」と疑念を抱き、街の雰囲気は停滞したままだ。


「そろそろ戻る?」

 背後でノエルが声をかける。彼はそっとアリアの肩に手を置き、窓の外を一緒に見つめた。朝の日差しが薄く射し込んでいるが、空は曇天で深く重い。アリアは小さく頷き、掠れ声で「うん……」と返事をする。声が出るたびに胸が締めつけられるような痛みがあるが、喋れないほどではない。医師の言う通り、時間の経過とともに徐々に回復してきているのがわかる。


「昨日、リディアから連絡があったよ。仲間たちが旧校舎に集まって最後の仕上げをしようって話になってるんだ。アンドリッドはまだ消えてないかもしれないし、もう一度、きちんと“Song of Undred”を完成させる必要があるって。」

 ノエルの言葉に、アリアの中で小さな灯がまたともった。自分が声を失っていた間も、仲間たちは諦めずに調べ続けてくれたのだろう。「Song of Undred」の本来の姿を取り戻すことで、街を覆う悲しみを本当に祓い去る可能性を信じている。そのためには、あの三重和声の謎を解き明かさなければならない。


「……行こう。私……もう一度、歌いたい。」

 自分でも驚くほど弱々しい声が出たが、意思は伝わった。ノエルは目を潤ませながら微笑み、「わかった」と答える。互いの決意を確認し合うように小さくうなずき合い、二人はホテルを後にする。廊下で合流したリディアが「体調はどう?」と心配そうに聞き、アリアはまだ声が出ないと申し訳なさそうに首を振る。その代わり、僅かな掠れ声で「だいじょうぶ、行ける」と伝える。リディアもほっと息を吐いた。


 この日、ノエルたちが向かうのは学院の旧校舎。フェスの大舞台で一度は敗北しかけながら、何とかアンドリッドを退けたものの、再来の可能性が拭えない今、再度団結して逆行カノンを完成させる以外に道はないだろうというのが大方の意見だ。メンバーにはエトワやラシェル、ステラ、ライナーなど、これまで苦楽を共にしてきた者が集まる予定になっている。あくまでも非公式の活動だが、もはや誰にも止めることはできない。


 旧校舎へ近づくと、建物の外観は相変わらず薄暗く、風に揺れる窓が軋む音が耳につく。アリアは多少の怖さを感じながらも、もう迷うことなく足を踏み出した。廊下を進むと、奥の一室からバイオリンや管楽器の調律音が聞こえてくる。エトワやステラたちが既に集まり、軽く音合わせをしているらしい。アリアは手で口元を覆い、「ただいま」と心の中で呟いた。


「アリア! ノエル、リディアも!」

 エトワがすぐに気づき、手を振って迎える。続いてラシェルや他の仲間も「よかった、やっと来た」「体は大丈夫?」と口々に声をかけ、アリアを囲むように集まった。アリアは申し訳なさそうに微笑むしかない。まだ歌声が完全には戻っていないが、来てくれただけでも皆が安心する。ノエルが代わりに事情を簡単に説明し、「今は完全には話せないけど、歌う気力はある」と伝えた。


「そっか……アリア、無理しないでね。でも、いつかまたあの澄んだ歌を聴かせてほしいよ。」

 ステラが優しく言い、アリアは力強く頷いた。ここにいる人々こそ、あの呪われた曲を光に変えようと尽力してきた盟友たちだ。彼らはアリアが大切な声を引き換えにしたような形で一度は完成しかけたことを知っている。だからこそ、もう一度、誰も犠牲にならない形で祝福のメロディを取り戻したいという意志が共通していた。


 ライナーが壁にもたれかかって腕を組み、「じゃあ、早速始めようか。三重和声の謎、まだ全部は解けてないんだろ?」と声を掛ける。ノエルは頷き、かばんの中から古いメモの束を取り出す。そこには両親が残した記録や、先日火事の跡で見つかった一部が貼り付けられ、読みやすい形に整理したノートがある。


「いろいろ書かれてるが、要するに“Song of Undred”のレクイエム部分を逆行させ、三重和声を重ねることで本来の祝福を完成させる。最後に何か大きな力が必要というのは変わらないが……“生贄”とか“代償”っていう物騒な単語が具体的に何を指すのか、まだ分かっていない。」

 ノエルが説明すると、エトワは「代償って、やっぱり誰かの命とか、声とか、想いとか……そういう話なのかな」と顔を曇らせる。ラシェルやステラも思わず目を伏せ、同じ不安を共有する。最近のフェス本番で、実際にアリアが声を奪われかけたのを間近で見た彼らにとっては、シャレにならない問題だ。


「だけど、前回のステージで実質的にアンドリッドを追い払ったのは、アリアが大きな犠牲を払ったから――という見方もできるわ。でも、アンドリッドを完全に消せたわけじゃない。つまり、まだ本質的な解決ではなかった。だとすると、“代償”を支払うだけじゃダメってことじゃないかしら。」

 ラシェルが冷静な推測を述べる。ノエルやリディアも同意するように頷き、では「どうすればいいのか」という焦点にたどり着く。しかし、答えはすぐには出ない。この部屋の中には多くの楽器や譜面が散乱しており、何度も試しては失敗してきた逆行カノンの断片が散らばっている。


「……もしかしたら、“代償”というのは、個人の犠牲ではなく、みんなの思いをひとつにすることを指すのかもよ?」

 ふいにステラが口を開く。地味な印象のクラリネット担当だが、感受性が高い彼女はレクイエムから祝福への転換に不思議な共鳴を感じてきたという。「みんなで最後の音を重ねるとき、それぞれが本当に何かを捨てる覚悟が必要なのかも。例えば、過去の悲しみとか、罪悪感とか……。」


「確かに、アンドリッドって人々の悲しみや苦しみを糧にしてる。なら、その悲しみを吹き飛ばすには、私たちが過去やわだかまりを解放する必要があるのかもしれない。」

 リディアが目を伏せ、ノエルも難しい顔をする。彼の場合、両親を失ったトラウマが強すぎて、ずっと音楽から逃げてきた。それを乗り越えつつあるとはいえ、完全に克服したわけではない。アリアは声を出せないまま、「ノエルはもう十分苦しんでいるのに、これ以上どうしろというの」と胸が痛む。


「よし、考えても仕方ないから、実際に演奏してみよう。アリアはまだ声が完全には出せないだろうけど、無理のない範囲でハミングだけでも合わせてくれたらありがたい。最終形は音が途切れると成立しないはずだから……。」

 ライナーが仕切るように提案し、全員が楽器を手に散らばる。ノエルはピアノに座り、譜面をめくって調律を確かめる。アリアはマイクスタンドは用意せず、体に負担をかけないよう椅子に座ったままハミングで音を合わせることにした。別の数名の仲間が弦楽器や管楽器を支え、リディアがフルートを構える。いつもの旧校舎の部屋が、まるで小さなオーケストラピットのようだ。


「いくよ……せーの。」

 エトワが軽くカウントを取り、ノエルの左手が悲しげなコードを鳴らす。続けて右手がレクイエム動機を逆行させる短いフレーズを重ね、弦や管楽器がそこへ絡む。聴こえてくるのは、もはや呪いというより憂いと希望が交錯する神秘的な響きだ。アリアは掠れ声のまま、ハミングをゆっくり重ねていく。


「……本番のときより、音が安定してるかも。」

 ノエルは心の中で驚く。いつもより和音の濁りが少なく、レクイエム特有の重苦しさがやや軽くなっている気がする。アリアの歌声が不完全にもかかわらず、みんなの音が合わさると逆行カノンが格段にクリアに聴こえるのだ。どうやらフェスの舞台で一度大きく力を使ったあと、何かが変わったのかもしれない。


 演奏が続き、ついに曲の終盤に近づいたところで、黒い影の気配が部屋を覆う。ギシッという柱の軋む音が鳴り、数人が思わず身をすくめる。「やっぱり来たか……!」とエトワが舌打ちし、ノエルは鍵盤を弾く手を止めない。これまで何度もこうしてアンドリッドに妨害されてきたが、ここからが勝負だというのを全員が分かっていた。


「大丈夫……負けない……!」

 リディアが震える声でそう言いつつ、フルートを限界まで吹き込む。ノエルは三重和声のコード進行を組み立てた譜面を睨んで、未解明だった最後の音へ指を伸ばす。このままでは不十分と知りながらも、なりふり構わず鍵盤を押さえ込んだ。すると、部屋全体に突き刺さるような強烈な不協和音が響き渡る。


「うっ……!」

 アリアは頭を押さえ、他のメンバーも思わず演奏を止めかける。だが、その瞬間、ノエルの脳裏に両親の面影がよぎった。過去を恐れる自分を振り払うかのように、さらに鍵盤を連打する。すると、不協和音の底に隠れていた微かな安らぎの旋律が顔を出し、部屋の空気が急激に光を帯びる感覚が生まれた。


「これ……!」

 ラシェルが驚きの声をあげ、チェロ担当が弓を走らせる。続いてエトワやステラがそれに呼応し、複雑な三重和声が分厚い音の壁を作る。レクイエムの負の要素を飲み込むかのように、逆行カノンが急速に美しく、希望に満ちた形へ変化していった。まるで完成形を示すように、楽器の響きが部屋の隅々まで浄化するように伝わる。


 黒い影がうごめき、不気味な揺れを発するが、音の洪水に飲まれゆくようにじわじわと退縮していく。ノエルは汗だくで鍵盤を叩き、リディアのフルートが澄んだラインを描き、エトワら弦隊が荘厳なハーモニーを紡ぐ。アリアは椅子から立ち上がりたくとも喉が痛むが、まるで最後の力を絞り出すようにハミングを重ねた。上擦った声が振動するうちに、何かが心の奥で解き放たれていく感覚がある。


「私……歌える……。」

 アリアはそう思うが、声を失う恐怖が同時に頭をよぎる。しかし、この曲を救うにはもう一度、全力の歌声が必要なのだと悟った。覚悟を決めてマイク代わりのスタンドを取り、喉の奥に意識を集中させる。「痛くてもかまわない……私が歌ってこそ、みんなの音が完成する……!」そう心で叫び、声を出す。


 そこには確かに激痛が走った。しかし、不思議と阻害されていた何かが解き放たれるように、アリアの声は伸びていった。いつもの透き通った響きにはまだ程遠いが、少なくとも呟き以上のボリュームが確保できている。仲間たちは目を見開き、「アリア、声が……!」と唖然とする。ノエルは思わずニヤリと口元をほころばせ、「やった……!」と音を連ねる手を止めない。


「……ぁ……あぁ……」

 アリアの歌声はまだ掠れているが、確実に旋律を描き始める。レクイエムから逆行カノンへの移行を導き、三重和声の頂点へたどり着くための一手。音が重なりあううちに、黒い影が再び抵抗を見せるが、メンバーは誰も怯まない。むしろ「これが最後の決戦だ」という気概で、全楽器が一つになって奏で続けた。


「来るなら来い……俺たちは音を止めないぞ……!」

 ノエルがふいに叫んだ瞬間、部屋中に白い光が差し込んだかのような感覚が生じる。天井の灯りが揺れ、古い壁が軋むが、不思議と崩れ落ちることはない。黒い影が歪んだ咆哮を上げつつも、徐々に形を失っていく。まるで悲しみの権化であるそれが、祝福の音に浄化されるかのようだ。


「あと少し……アリア、お願い……!」

 リディアが涙声でアリアを鼓舞し、アリアは苦しみをこらえながら声量を上げる。掠れ声が次第にハリを帯び、むしろ前より力強さを増していくように感じた。限界を超えたところで、喉の炎症がどうこうという問題ではなく、「Song of Undred」の本質そのものが彼女に歌う力を与えているのかもしれない。


 ノエルは鍵盤を叩きながら、両親が残したメモの最後の文字を思い浮かべていた。「歪みを正すには三重和声が必要。だが生贄ではなく、奏者の総意を結集せよ」。かつては「代償」が命や声を失うことだと思っていたが、どうやらそれは「全員が心から悲しみを手放し、音を融合させること」を意味していたのだろう。各々の悲しみやわだかまりを捨てることが、音楽としての犠牲となるのだ。


「悲しみを、どうぞ持っていけ……俺はもう要らないんだ……!」

 ノエルはそう思うと、不思議と鍵盤に迷いがなくなり、勢いよく和音を転がす。三重和声の頂点に達した瞬間、レクイエムは完全に逆行され、長い暗闇のトンネルがぱっと開けるような光が部屋を包む。アリアが高らかに最後のフレーズを歌い上げると、黒い影は強烈な閃光の中に溶け込むように消滅した。


「……消えた……!」

 エトワやラシェルが大声で叫び、他のメンバーも楽器を一斉に止める。息をのむ静寂が部屋を満たし、しばらく誰も動けない。ノエルは両手を鍵盤に置いたまま大きく息を吐き、アリアは前傾姿勢のまま微動だにしない。リディアはフルートを下ろし、涙で頬を濡らしながら「終わったの……?」と震える声で確認する。


 次の瞬間、アリアがゆっくりと体を起こした。顔に浮かぶのは驚きと安堵が入り混じった表情。その唇がかすかに動き、「あ……あぁ……」と声を発しようとするが、その音色は確かに痛々しくも力強さを取り戻している。彼女は思わずノエルを見つめ、声を張り上げるようにして短い呼びかけを発した。


「ノ、ノエル……!」

 一言だけだったが、今まで出なかったはずの音域が響いている。ノエルの瞳が揺れ、駆け寄って彼女を支える。「声、出るんだな……!」アリアは涙を流してうなずき、放心状態のまま息を整えた。こうして彼女は再び「歌う力」を得たのだ。しかも先ほどの一瞬、これまで以上の澄んだ響きを感じた気がする。


「祝福の形が……完成したんだね……!」

 リディアは感極まって膝から崩れ落ちるように床に座り込み、エトワも「すげえよ……」と感動を噛みしめている。ラシェルやステラが抱き合って涙を流し、他の仲間たちも拍手や歓声に似た音を上げる。旧校舎の薄暗い部屋は、長い間アンドリッドの気配に支配されてきたが、今はまるで清浄な光が差し込むように見える。どこからか風が吹き抜け、埃が舞うが、それすらも祝福の粒子のように感じられた。


「みんな……ありがとう……。」

 アリアはまだ声が不安定だが、はっきりとそう言葉を発する。声帯に痛みはあるものの、歌声を失うほどの深刻な損傷は起きていなかったのだろう。代わりに、長い間ずっと悩まされていたレクイエムの悲しみが嘘のように晴れ、心が軽く感じられる。「Song of Undred」の呪いから解放された安心感なのかもしれない。


 そこでノエルがふと我に返り、「これ、実際に曲を通して弾けるんだよな……?」と訊ねる。全員が顔を見合わせ、静かに頷き合う。この瞬間、部屋にある楽器全員が揃って音を出せば、ついに“真の祝福”を響かせることができるはず。アンドリッドの完全消滅を確かめたい思いもあり、メンバーは再度、演奏に取りかかる準備を整えた。


「……今度こそ、フルバージョンで弾いてみよう。」

 ノエルは鍵盤に指を置き、アリアとリディアが視線で合図を交わす。エトワやステラら他のパートもスタンバイし、旧校舎の奥で小さなオーケストラが姿を成す。全員が息を飲んでから、ノエルが鍵盤を下ろすと、レクイエムはもう以前のような重苦しさを宿してはいなかった。逆行カノンが最初から最後まで滑らかに繋がり、悲しみを薄めつつ、透明な光を増幅していく。


 そして終盤の三重和声に差しかかると、先ほどまでの不協和音が嘘のように美しい調和を奏で、レクイエムが完全に祝福へ昇華する。ノエルは涙を落としながら、それでも笑顔で鍵盤を叩く。家族を失った苦しみが、曲の中へ溶け込んで浄化されていくのを感じる。アリアは声を真っ直ぐ伸ばし、「ああ……!」と感嘆のように歌い上げる。先ほどよりもはっきりした、高く澄んだ音が室内を満たす。レクイエムの澱んだ空気は、もう影も形もない。


「できた……完成したんだ……!」

 リディアがフルートを下ろし、興奮ぎみに息を吐く。エトワやステラらも同様で、演奏を止めてからしばし呆然と立ち尽くす。その時、ノエルがそっと指を離し、鍵盤から手を引いた。部屋には長い余韻が残り、誰一人として軽々しく口を開けない。完璧な静寂の中で、世界が一瞬止まったかのように思える。


「これが……“Song of Undred”の本来の姿……。」

 アリアは張り詰めていたものが切れたのか、ぽろぽろと涙を流しながら呟く。今はもう、一切の悲愴感がない。鎮魂を宿していたはずの曲が、まるで多くの命を包み込む祝福の旋律へと変わったのだ。かつてフェスの舞台で失敗した日とは、比べ物にならないほど柔らかい光が彼女の心を満たしている。


 すると、誰もが言葉を失っている中、ノエルが小さく拍手をした。それは自分自身と仲間たち、そして両親に対する賞賛のようでもあった。その拍手に釣られるように、エトワやリディアも手を叩き、やがて部屋全体が拍手に包まれる。全員が涙ぐみながら、腕を振って喜びを表した。ようやく長い歪みから解放されたのだと確信して。


「ありがとう、みんな……!」

 アリアがかすれ声でそれだけ言うと、一同は笑いながら大きくうなずく。そこには何の迷いもなく、ただ一体感だけが存在していた。誰もが「やっと成功した」と安堵している。その瞬間、部屋の隅に淡い光が集まり、一瞬だけ人影のようなものが浮かんだ。ノエルは驚いてそちらを見るが、それはすぐに消えていった。もしかするとアンドリッドの名残や両親の魂なのかもしれない。だが、今はもう恐れる必要はないと感じられた。


「さあ、街へ行こう。この曲を本当に届けるんだ。」

 ノエルが笑顔で提案する。アリアたちは拍手をやめ、互いに目を見合わす。フェスは既に終わってしまったが、街の多くの人が悲しみを抱えたままだ。そこで、新たに誕生した「祝福のSong of Undred」を今こそ披露し、アンドリッドの呪いから解放してみせることが、自分たちに残された使命だろう。


 実際、学院の外へ出てみると、相変わらず沈鬱な雰囲気が漂っていた。通りを行き交う人々は笑顔が少なく、誰もが肩を落とし足早に歩いている。事件が続いた恐怖もあり、広場や商店街にはあまり人が集まらない。しかし、ここに「Song of Undred」の真の旋律が響けば、ひょっとすると状況を変えられるかもしれない。


「よし、みんなで路上演奏しよう。フェスの大舞台じゃないけど、町の人たちに直接届けるんだ!」

 リディアが興奮気味に言い、エトワやステラらも頷く。ノエルは戸惑いながらも、「悪くない。アンドリッドの残滓がまだ街に残ってるなら、ここで祝福の音を鳴らして一掃してしまおう」と笑う。アリアはまだ声を完全に出せるわけではないが、ハミングだけでも参加しようと瞳を輝かせた。


 こうして小さな楽団が即席でまとまり、商店街の一角に陣取って楽器を構え始める。道行く人が何事かと足を止め、「演奏会か?」と首をかしげる。ノエルはポータブルの電子キーボードを用意し、エトワやステラ、リディアらが簡単に調律を済ませると、先ほど完成させたばかりの祝福の「Song of Undred」序曲を弾き始めた。


「……おお、なんかきれいな音だな……。」

 通行人が思わず耳を傾ける。最初はわずかな関心しか寄せられなかったが、弦楽器と管楽器、そしてノエルの鍵盤が連なるにつれ、柔らかな光が空間を包み始めたのが感じられる。アリアは声を失うことを恐れずに、掠れ声のまま慎重に合わせていく。驚くべきことに、喉に痛みはあるが、さっきほどの強烈な抵抗は感じない。彼女が本気で歌えるときがもうすぐそこまで来ているのだと感じた。


 数分ほど演奏を続けると、通りかかった人々が「すごい……何これ。こんなに心が洗われる曲、聴いたことない」と口々に言い始める。疲れた顔をしていた会社員の男性が思わず足を止め、涙をこぼして「ありがとう……このところずっと沈んでたんだ。助かったよ」とつぶやき、主婦らしき女性が「なんだか胸が軽くなるわ」と微笑みを浮かべる。逆行カノンが街の悲しみを浄化しているかのような光景が、そこにはあった。


 やがて警備員らしき人物が「ここで大音量は困るよ」と近づいてきたものの、演奏を聴くうちに苦情を言えなくなったのか、渋い顔をしながら黙って見守っている。ノエルはその様子を見て「あと少しだ」と思い、曲のクライマックスへと導いていく。アリアは意を決し、痛む喉を奮い立たせて最後のフレーズを歌う。声は完全に戻ってはいないが、先ほどのように差し込む光が確かに感じられた。


 周囲の人々が手を叩いたり、涙を流したりする中、演奏はフィナーレを迎えた。音が消えてゆく瞬間、街の気温がほんの少し上がったように暖かく感じられる。空は相変わらず曇天だが、人々の表情には先ほどまでなかった和らぎが生まれていた。


「これが本来の“Song of Undred”……祝福の姿なんだね。」

 一人の老人がしみじみと語り、拍手を送る。仲間たちも深く頭を下げ、「聴いてくれてありがとうございます」と口々に感謝を伝える。こうして路上でも、小さな奇跡が起きていた。アンドリッドの負のオーラがほんのりと消えていく気配を感じ、アリアたちは満ち足りた気持ちで顔を見合わせる。


 もちろん、一度の路上演奏ですべてが解決するわけではない。街のあちこちにはまだ悲しみが残り、アンドリッドの名残が完全に消えたかどうかは分からない。けれど、希望を示すには十分だった。アリアは声を出せる範囲で「ありがとう……」と小さく呟き、ノエルやリディア、エトワらもにっこりと笑う。その時、両親を失った痛みすらもどこかで浄化されている気がした。


「いよいよ、これが僕らの“Song of Undred”なんだね。」

 ノエルが鍵盤を閉じながらぼそりとつぶやく。アリアは今度こそはっきりと頷き、小さな声で「うん、そうだよ」と答えた。仲間たちは互いに拍手し合い、達成感を共有する。この曲が真に祝福の旋律として完成されたことで、アンドリッドとの最終衝突にも決着がついたのかもしれない。


 後日、アリアたちは町のいろいろな場所で小規模の演奏を行い、逆行カノンを広めていった。悲しみに沈んでいた人々が少しずつ笑顔を取り戻し、「あの呪われた曲がこんなに優しい音楽になるなんて……」と感嘆する声が広がる。もはや「Song of Undred」をレクイエムだと呼ぶ者は減り、噂の多くが「祝福の不思議な曲」へと変わりつつあった。


 そうして街の変化を肌で感じるころ、ノエルやアリア、リディアはひとつの区切りを迎えることとなる。大きなホールの小ステージで、再び観客を前に「新しいSong of Undred」を披露する機会が訪れた。これはフェスの延長で開かれる後夜祭のような催しで、各演奏者が自由に演奏できる場を設けるという趣旨だった。アリアたちは本番こそ失敗したものの、その後の奮闘が評価されて特別に招かれたのだ。


 ステージに立ち、アリアは今度こそ笑顔を浮かべる。もう喉の痛みはほとんどなく、自分の声が出せる自信がある。ノエルも鍵盤に手を置き、リディアはフルートを携えて二人と視線を合わせた。客席にはエトワやステラ、ラシェルら仲間たちが見守り、多くの聴衆が興味を示している。


「聴いてください。私たちは、かつてレクイエムだと呼ばれた“Song of Undred”に、祝福のカノンを宿すことに成功しました。これは、悲しみに沈んでいた世界を光へ導く……そんな音楽です。」

 アリアははっきりした声で挨拶をし、深い礼をしてから背筋を伸ばす。続いてノエルとリディアが小さく合図を交わし、逆行カノンの序章をスタートさせる。低く沈むレクイエム動機が、逆方向へ流れ出すや否や、それまで騒がしかった会場が静寂に包まれた。観客はすぐにその不思議な響きに引き込まれていく。


 そして三重和声が生み出す頂点で、アリアが歌い上げる祝福の旋律。アンドリッドとの対決を経て確立されたその音は、もはや一切の闇を宿してはいない。かつて呪われたレクイエムと呼ばれた面影は微塵も感じられず、むしろ大きな包容力と優しさで聴き手を包む。“悲しみを抱いたすべての人を救いたい”という願いが、音の一つひとつに滲んでいた。


「美しい……こんな音楽があったんだ……。」

 客席のあちこちから感嘆の息が漏れ、ときにハンカチで涙を拭う人もいる。ノエルは鍵盤を叩きながら泣きそうになるのを堪える。両親の無念を晴らし、自分も悲しみを超えて音楽を再び愛せるようになった。リディアは横でフルートを吹き、微笑みを浮かべている。アリアはマイクを握り、力強くも温かい声を舞台の隅々まで届ける。


 クライマックスでは、三重和声の最終ポイントへ突入。そこにいたるまでかつては不協和音が生じ、悲しみや苦痛を呼んでいたが、今やすべてが調和し、観客の心を震わす最高の音楽へと昇華されている。かつて「代償」とささやかれたものは、皆が捨てた悲しみや恐れで十分だったのかもしれない。誰も命を落とさず、アリアも声を失わずにここまで来たのだ。


 最後の和音が解け、ホールに長い余韻が満ちる。呼吸を整えるアリアは瞳に涙を浮かべながら、ノエルと視線を交わし合う。二人の間にはもう言葉はいらない。これこそが、“Song of Undred”の本来の姿。呪いなんかじゃない、深い鎮魂を通して祝福をもたらす世界――レクイエムだったはずのメロディが、人々を優しく導く光へと変わったのだ。


 客席は水を打ったように静まり返り、一秒、二秒……やがてスタンディングオベーションの大きな拍手と歓声が沸き起こる。涙ながらに拍手を送る者、ハンカチを振って興奮する者、口を押さえて感動を噛みしめる者——まさに晴れの舞台で、アリアやノエルは呆然としながらも笑顔になり、何度も礼を繰り返した。リディアもフルートを胸に抱き、仲間たちを見て笑う。ステージ上にあの黒い影など一切なく、むしろ光に包まれているようだった。


「ありがとう、みんな……。そして、本当に……“Song of Undred”、ありがとう……。」

 アリアはそう呟き、最後の深いお辞儀をする。ノエルは鍵盤から立ち上がり、観客に頭を下げ、声なき声で「母さん、父さん……やっと完成したよ」と唇を動かした。きっと遠くから両親は見守ってくれているはずだ。もしかすると、音楽の世界で叶わなかった夢を、今の彼が継いだのかもしれない。そう思うと胸がいっぱいになり、涙をこぼしてしまう。


 やがて拍手が落ち着き、人々が帰り支度を始めるころには、アリアたちの周りに多くのファンや関係者が集まり、「もう一度聴かせてほしい」「あの曲はこれからどうするんだ」と質問が飛び交う。ノエルはやや戸惑いながらも「これが『Song of Undred』の本来の姿です。呪われたレクイエムなんかじゃない、祝福の音楽なんですよ」と微笑んで答えた。


 その翌日以降、街からは完全にアンドリッドの気配が消え、不可解な事件が急速に収束に向かった。人々の表情も明るさを取り戻し、フェス当日まで引きずっていた沈鬱なムードが、嘘のように晴れ渡る。「あの曲のおかげだ」という声がじわじわと広まり、SNSやメディアで話題になる。ノエルやアリア、リディアに取材が殺到するほどの状況となったが、彼らはいたって穏やかな対応を続けた。


「私たちはただ、音楽を元に戻しただけです。“Song of Undred”が持っていた祝福の力を、みんなの力で解放したという形ですね。」

 リディアがインタビューでそう答え、アリアはまだ声が万全ではないが微笑みながらうなずいた。ノエルは「だから誰も命を落とさずに済んだんだ」と心の中で感謝する。アンドリッドとの最終衝突は凄まじかったが、結果的に街は救われ、自分たちも完成形にたどり着くことができた。両親の遺志も無事に継げたといえよう。


 やがて日常が戻り始め、学院でも特に大きな騒ぎは収まった。しかし、アリアたちのもとには「もう一度あの曲を聴きたい」「別の場所でも演奏してほしい」という要望が絶えず来るようになる。ノエルは苦笑しつつも、「前みたいにアンドリッドが顕現しないなら、いくらでも弾くさ」と肩をすくめる。どうやら本物の平和と安堵を享受できる時が訪れたようだ。


「それじゃ、近いうちにまたステージに立とうか。今度はレクイエムじゃなくて、本物の祝福としての『Song of Undred』を世界中に広めたい。」

 アリアが再び意欲を燃やし始めると、ノエルも頷き、「俺も付き合うよ。ピアノを弾くのがこんなに楽しいなんて、久しぶりに思えたからな」と笑う。リディアは「私もフルートを磨いておくわ」と微笑み、エトワやステラ、ラシェルら仲間たちも同じ気持ちだ。もう恐れるものはない。悲しみを餌にするアンドリッドは消え去り、この世界には優しい光が満ちている。


 こうして、「Song of Undred」は真の祝福の旋律を取り戻した。かつて呪いと呼ばれていたメロディが、逆行カノンと三重和声を通じて蘇り、人々の心を癒す巨大な力へと変化したのである。最後の対決でアリアが喉を失いかけた時点では絶望が漂ったが、最終的にはアンドリッドの呪縛を打ち破り、声を完全復活させることに成功した。今や彼女の歌は前よりも深く、優しい響きをもって多くの人の魂を照らしている。


 ステージ上で鎮魂と救済を同時に実現する光景は、多くの観客を感動と涙で包み込んだ。暗い闇の中に潜んでいたアンドリッドは、祝福の音によって包まれ、消え去ったのだ。誰もが初めて聴く“祝福のSong of Undred”に感嘆し、拍手と歓喜に包まれる。街は長い悲しみの夜を抜け、ようやく安らぎの朝を迎えたとも言えよう。


「これで、本当に終わったんだね……。やっと、みんなが笑顔になれる……。」

 アリアはそう呟き、ノエル、リディアと共にステージ袖で控える。仲間たちの拍手や笑顔に迎えられながら、三人は深く抱き合って喜び合う。学院での苦労とフェスでの挫折、アンドリッドの暗躍による絶望とトラウマ……すべてを超えて、今この瞬間があるのだ。


 翌朝、街は青空が広がり、明るい陽射しが降り注いでいた。事件が絶えなかった雑踏にも、人々が活気を取り戻している。ノエルたちは小さくラジオをつけ、ニュースで「不可解な悲しみの連鎖が終息を迎えつつある」と報じているのを耳にする。「カンタビレ・グランドフェス」そのものも大盛況のまま幕を下ろし、“祝福のSong of Undred”が一時期話題をかっさらったらしい。呪いの曲が真逆の称号を得たことに興味を示すメディアも多く、取材オファーが殺到しているという。


 アリアはノエルやリディアと一緒に朝の町を散歩していた。公園には子どもたちが笑顔で遊び、ベンチに腰かける高齢者たちが和やかに談笑している。あの陰鬱なムードはどこへやら、さわやかな空気が風とともに流れているのが感じられた。


「ホント、嘘みたいだね。こんなにあっさり街が明るくなるなんて……でも、それだけあの呪いが強烈だったんだろうね。」

 リディアがしみじみと語る。ノエルは「俺たちも必死だったけど、結果オーライってところかな」と苦笑いする。アリアはまだ完全に喉が回復したわけではないが、小さな声で「うん……」と応え、次の言葉を探すように空を見上げた。


「……ノエル、リディア……ありがとう。みんな……ありがとう……。」

 それだけでも泣きそうになる。ノエルは「いや、こっちこそ」と言い、リディアも柔らかい笑顔で「私も感謝してるよ。あなたたちに出会わなかったら、こんなに素敵な音を作れなかったと思う」と返す。三人が立ち止まって見渡す街は、まるで新しい世界のように見える。どんな悲しみも、祝福の音があれば乗り越えられるのだと実感できる場所になった。


 さて、「Song of Undred」の完成により、アンドリッドとの最終衝突は決着を見た。呪われたレクイエムを解放し、新しい光を広めることができたからこそ、負の感情を糧にするアンドリッドは消し去られたのだろう。今後、二度と現れないかどうかは分からないが、少なくともこの街を覆っていた深い闇は晴れ渡った。


 人々の心は完全に救われたわけではなく、悲しみはいつでも湧き起こるものだが、そこに“祝福のSong of Undred”があれば、立ち直るきっかけを得られる。アリアとノエル、そして仲間たちが紡ぎ出した音楽は、もはや単なる鎮魂歌ではない。大切なものを失った人を優しく包み、未来を指し示す希望の旋律として息づいているのだ。


 深い青空を見上げたノエルは、両親の面影を心の中で思い出す。「あの人たちが目指した形に、俺はたどり着けたのかな……」と問いかけたところで、遠くの雲がふわりとちぎれ、光が差し込んだ気がした。まるで両親が「よくやった」と微笑んでいるかのようで、ノエルは胸が熱くなるのを感じる。


「さあ、次は何をする? これで終わりじゃないんだよね?」

 リディアが期待に満ちた目でノエルに尋ねる。アリアも「またフェスみたいに、いろんな場所で演奏しようよ。街だけじゃなく、世界にも広めたい……この祝福の曲を」と小さな声ながら強い意志を示す。ノエルは思わず照れ笑いして、「俺ももう逃げないさ。ピアノで、どこまでも付き合ってやる」と答えた。


「行こう、みんなで!」

 アリアが嬉しそうに声をあげ、三人は一緒に歩き出す。街の先には、それを待ちわびている人がきっとたくさんいるだろう。かつてはレクイエムとして恐れられた“Song of Undred”が、祝福の旋律としてどんな奇跡を起こすのか。今はまだ誰にもわからない。だが、アンドリッドとの最後の対決を制し、光を取り戻した彼らには確固たる自信があった。


 夕暮れ時、学院の屋上に立つと、美しいオレンジ色の空が広がっている。ノエルとアリアは並んで腰を下ろし、リディアやエトワたちが後ろで談笑する姿を眺めながら、ふと笑みを交わした。互いに苦しみを経てようやく手にした音楽が、これほど多くの人を救うなんて夢のようだ。これが「鎮魂と救済」という言葉の本当の意味かもしれない、とノエルは思う。


「アリア、声……本当によかったね。前より艶がある気がするよ。」

 ノエルが素直な感想を述べると、アリアは照れたように肩をすくめ、「まだ少しかすれはあるけど、戻ってきたことに感謝してる。ノエルのピアノも、すごく伸びやかになったよね」と返す。そう言われるとノエルはくすぐったく、恥ずかしそうに頭をかくが、それも彼らの微笑ましい光景の一部だ。


 アンドリッドとの最終衝突は壮絶だったが、そのおかげで「Song of Undred」は真の力を取り戻し、アリアもノエルも己の悲しみを超えることができた。レクイエムを祝福へ導く過程で生まれた絆こそ、これからの二人を支える大切な宝物になるだろう。街に広がる笑顔を見れば、誰もが「もう呪いなんかないんだ」と心から思えるようになった。


 そして、いつか彼らは新しい舞台に立ち、再びあの祝福の旋律を奏でるはずだ。そこには悲哀もあるが、必ず光が射す。“Song of Undred”が宿していた深い哀しみは、こうして全てを包み込む優しさへと変貌を遂げた。アンドリッドが巨大化しようとも、最後の力を振り絞った演奏で悲しみを打ち消し、完全に消し去ることに成功した。その結末は、決して虚しい犠牲ではなく、純粋な救済の形だった。


「さあ、明日からはどうする? また練習する? それとも新曲を作る?」

 リディアが楽しそうに声をかける。エトワが「俺はまだまだこの曲を極めたいけどな。もっといろんなアレンジができるんじゃないか?」と応じ、ノエルは「それもいいな。いろんなバージョンがあってもいいかもしれない」と微笑む。アリアは夕陽を背に立ち上がり、まだ不完全な声で「よし……やろう」と力強く宣言した。


「これから、世界中に“Song of Undred”を届けたい。私たちが悲しみを光に変えたみたいに、世界中の人が幸せになるように……。」

 その小さな言葉に全員が賛同し、新たな希望に満ちた拍手が起こる。誰もが笑顔だ。祝福の旋律と対決した結果、生まれたのはかつてない絆と自由さだ。もうアンドリッドの影に怯えることなく、堂々と音を鳴らせる。レクイエムを恐れる必要などない。呪われた曲をここまで変容させたのは、自分たちの力であり、意志だという自信がある。


 この町の夕空はかつての陰鬱さを微塵も感じさせず、穏やかなオレンジ色に染まっている。人々の足取りも軽く、笑顔が増えてきた。そう、あの黒い影がもたらした悲しみは、もう消え去ったのだ。アリアとノエル、リディアたちの“小さな楽団”は、さらなるステージへ飛び立とうとしている。深い暗闇を体験したからこそ、自分たちが奏でる光の旋律はより尊く、温かいものだと確信できる。


「ありがとう、“Song of Undred”……そしてさようなら、アンドリッド……。」

 アリアは心の中でそう呟き、ノエル、リディアと手を取り合って屋上を後にする。階段を降りる足音が妙に軽く感じられ、扉を開けると外の世界にはにぎわいと笑顔が広がっていた。誰もがいつでも悲しみを抱え得る存在だが、そのたびにこの祝福の音を思い出せばいい。もう二度と、悲しみに負ける必要はないのだから。


 こうして物語は「祝福の旋律と対決」という名の終幕を迎えた。長い道のりの果てに、鎮魂歌だった“Song of Undred”は真の姿を取り戻し、アンドリッドとの最終衝突を制した。失われそうだったアリアの声も復活し、ノエルもピアノへの恐怖を乗り越えて曲を完結させた。リディアや仲間たちの支えもあり、悲嘆は完全に浄化され、レクイエムは祝福の象徴へ生まれ変わったのだ。


 もはや呪いも封印もない。そこにあるのは、音楽がもたらす慈しみと輝きである。もし再び悲しみが襲ってきても、彼らは迷わず音を鳴らすだろう。だって“Song of Undred”は彼らが守り抜いた希望の音楽なのだから。ステージを降りた先には、無数の笑顔が待っている。その先で、さらなるアレンジや新曲が生まれるかもしれない。すべては、祝福された未来へ向かう一歩に過ぎない。


 こうして世界は穏やかさを取り戻し、街には笑い声が戻る。人々が互いに支え合い、音を共有する日々が再開した。アンドリッドの残滓はもう見当たらず、どこにも悲嘆の影はない。アリアとノエル、リディアたちは学院での生活に戻りながらも、いつかまた大きなステージで“Song of Undred”を奏で、さらに多くの心を照らす計画を立てている。闇を知らなければ見つからなかった光を手に、彼らは未来へと歩み続けるのだ。祝福の旋律がこの世界にいつまでも響き渡ることを願いながら——。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ