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「イザベラ!お前はまたマリーをいじめたのか?」
その怒声に、イザベラ・フォン・ルクレールは思わず足を止めた。
夕陽に染まる学園の門前で、彼女の婚約者、アレク王子が冷ややかな目で彼女を睨みつけていた。その顔立ちは彫刻のように整い、まるでその姿には断罪の決意が込められているかのような緊迫感が漂っている。
「何の話かしら?」
イザベラは冷ややかな笑みを浮かべ、まるで何もなかったかのように振る舞った。その落ち着きが、周囲のざわめきを一層強める。
「また、とぼけるつもりか?マリーはお前のせいで傷ついたと言っているんだ!」
アレクの怒りの声が響き渡り、その背後で震えながら立っている女性が目に入る。華奢で、まるで風が吹けば飛んでしまいそうなほどか弱い。大きな青い瞳は涙で濡れ、瞼は少し赤く腫れており、その姿は見る者に守ってあげたいという衝動を呼び起こさせる。
彼女は伯爵令嬢のマリー・エルドリッジ。マリーは震える声でアレクの背後から小さく呟いた。「イザベラ様が…何度も…」
イザベラはその涙さえも無視したかのように、一歩前に出る。そして、淡々とした口調で返す。
「傷ついた?おや、マリー様が私に何かされたというのなら、証拠でもあるのかしら?」
その挑発的な問いに、群衆が息を呑む音が聞こえ、アレクの表情は一瞬固まり、マリーの顔は青ざめていく。
「証拠なんて必要ない!皆が見ている!」
アレクの怒りは再燃し、声を張り上げた。
「皆が見ている?」
イザベラは冷ややかに周囲を見渡し、口元に冷酷な笑みを浮かべる。
「では、ここにいる皆さん、私がマリーをいじめているところを誰か見たのかしら?」
沈黙が場を支配し、誰もが言葉を発せずに視線を交わし、不安そうに立っている。
イザベラは軽く肩をすくめた。
「ほらね。誰も見ていないのに、ただマリーの言い分だけで私は責められるなんて。おかしな話よね、アレク殿下。」
そして続けた。
「あなたは正義の王子のつもりでしょうけれど、実際には何も確認せず、ただ感情に任せて行動しているだけじゃない?」
アレクの顔が真っ赤になり、怒りに満ちた声で叫ぶ。
「黙れ!お前のような女は婚約者にふさわしくない!」
イザベラは冷たく微笑みながら、
「あら、それは残念ね。でも、私は婚約者の立場にしがみつくほど愚かではないわ。」
と一蹴する。
そう言い放つと、イザベラはその場を優雅に立ち去った。背後から王子の声が追いかけてくるが、「おい!待て!」という叫びが耳に入るも、彼女は振り向くことはなかった。いや、振り向けなかった。彼女はただひたすらに逃げ出したかったのだ。