リブ
循環している全身の魔力を両足に集中する。
腰を屈め、上体は低く保ち、さらに爪先に絞る。
踏み込みは重ければ重いほどいい。固い地面が深く窪み、驚異的な速度で瞬時に間合いを縮める。
地を這うようにして風を切り敵の懐に潜り込む。腰を軸にして上半身をひねり右腕を弓のように引く。
弛緩と緊張──。
衝撃の瞬間まで力まず、かといって脱力し過ぎない。
「4匹目!」
息を小さく吐くと一直線に拳を打ち出す。敵の顔面に触れる刹那、魔力を足先から拳へと移す。さらに拳を傷めないよう表皮を土魔法で覆う。
──グベッ──
襲撃してきた敵──《ゴブリン》は渾身の一撃で大きく吹き飛ぶ。背丈は自分より頭一個分大きく、茶褐色の体に邪悪な顔をしている。錆びた鎧の切れ端や毛皮を纏い、手斧や短剣を所持している。
「やったー!。流石は私の子分ね。これぐらいはやってもらわないと困っちゃうわ」
エレンの肩に乗ったリブはおおはしゃぎする。
「おいおい……その齢で魔力操作が上手すぎるぜ。誰に教えてもらったんだ?」
エレンも驚いたように声をあげる。
「見よう見まねです。みんなが訓練しているのを見学させてもらってますから」
「……その水準にいる連中なんて、ここいらでも数える程しかいねえよ。俺にはそんな芸当無理だぜ」
「ザックは天才なのよ!。私を守る騎士なんだから当然よ」
「……奴隷にかしづく騎士か……おかしい気がしないでもないけど、浪漫はあるね」
俺はリブの言動に疑問符を投げかけるが否定はしない。ご機嫌を取っていれば、引き続き魔物退治《小遣い稼ぎ》が出来るからだ。
本格的に魔の森から魔物がやって来ると、集落の至るところに松明が焚かれる。
月夜であっても暗がりはあるし、夜目の効く魔物相手ではこちらがかなり不利だ。
俺とエレンがリブを迎えに行く際、数十の灯が、煌々と付近を照らす。
「どうやら間に合ったようだね」
俺はほんのすこしだけ不安だったが、それは杞憂だったようだ。こちらが着く前に、あちらから見知った女の子が走ってきた。
蜂蜜色の髪を団子のようにまとめあげた、目元の大きい女の子。身長は自分よりひと回り大きく、態度もでかい。右手に棍棒を握り、俺たちを見つけると嬉しそうに振りまわした。
「…………あれならゴブリンぐらい余裕じゃないか?。それに知ってるだろ?。リブの親父さんはこの村きっての猛者だ。上位種の《ホブゴブリン》も片手で絞めちまうからな」
エレンが複雑そうな表情で手を振り返す。
「僕と同じ6歳ですよ。か弱い女の子です………………多分……恐らく……」
激しく同意だ。軽く二三匹は撲殺できそうだ。
程なくしてリブと俺たちは合流した。
「はぁはぁ、どうして迎えに来てくれたの?。集会所でなにかあったの?」
「お前さんの友達から聞いたんだよ。我慢できねえって──」
息を切らせるリブにエレンは馬鹿正直に答えようとする。
「我慢できなくて──心配で迎えに来たんだ。集会所にリブがいなかったからね」
さり気なく横から口を挟む。自宅に戻った理由が理由なら、隠していた方が良い。
リブの反応を見れば自ずと正解だとわかる。
「ふんっ、ザックにしては感心ね。殊勝な心掛けはいつも私の為に取っておきなさい」
相変わらずの傲岸不遜の態度。これが無ければ可愛らしい女の子なのに。
「努力するよ。来る途中危ない目に逢わなかったかい?」
「ゴブリンのこと?。家を出る時に一匹いたから頭を潰してやったわ」
「……もう村の中まで侵入して来たのか。危ないからすぐに逃げようね。囲まれると大人でも大変だから」
「な、言ったとおりだろ。リブの家族は異常なんだよ。力だけなら国境警備隊の隊長より強いからな。俺も一度手合わせしたことがあるが、二度とやりたくねえよ」
エレンは俺の耳元で囁く。この屈強な男にここまで言わせるリブの両親は確かに傑物だ。戦いの際はつねに先陣を切って勇猛果敢に立ち回り、さらに集落の長まで任されている。
故に一人娘のリブは特別であり無碍に扱えない存在だ。下手なことをすれば集落から追放されるかもしれない。
「それじゃあみんなの所に戻りましょう」
「そうだな。オリアナさんも心配してるだろうし、早く戻ろうぜ」
エレンもリブに同調して集会所に行こうとする。
「……僕はこのまま魔物を退治してくるよ」
俺は二人に逆らうようにして言った。
「え、どうして?」
「…………それが本当の目的か?。だと思ったぜ」
流石のエレンも分かっていたのか肩を竦める。
「母さんを助ける為にどうしても魔物を倒さないといけない。聖水さえあればきっと良くなるはずなんだ」
「……へえ、そんな話初めて聞いたわ。でも聖水って村の雑貨屋さんで売っている物でしょ?。お金もたくさん必要だし、私たち子供は大人と一緒じゃないと村に入れないはずよ」
「その点は大丈夫。お金はだいぶ溜まってきてるし、伝手もある」
「金か………………お前、普段から魔の森に入ってるな?」
苦虫を潰したような顔でエレンは、
「村の掟を破ったらどうなるか知っているだろ!。魔物を刺激しないよう厳しく言われているはずだ!。良くて磔刑、最悪オリアナさんまで殺されちまうぞ!」
激高する。あまりの気迫にリブが俺の背後に隠れる。子供からしたら鬼に会ったような気分だ。
エレンの言葉は正しい。俺たち奴隷には様々な制約と掟がある。特に厳しいのはアベドンの村に危害が及ぶ場合だ。魔の森に入るのは国境警備隊の許可が下りない限り禁忌とされている。
「待っていても母さんは助かりません。悪魔の爪痕に罹ると間違いなく死んでしまいます。エレンさんもお知り合いが亡くなったと言っていましたよね?」
「……何人も死んでいったのを見てきたぜ」
「僕だって危険な真似はしたくありません。魔の森に入る時は夜の間だけで、我が家から目と鼻先です。それに今は魔物襲撃による非常時です。子供が一人で集落の敷地内を出歩いたところでたいした罪にはなりませんよ」
「まあ……それはそうだな」
興奮が収まってきたエレンは頷く。
「エレンさんはリブを連れて先に戻っていてください。母さんにはお腹が痛くなってトイレに閉じこもっていると伝えてください」
適当に誤魔化せば時間が稼げる。他の大人たちに狩られる前に稼いでおきたい。
「リブ、ここでの話は内緒だよ。さあ、エレンさんと一緒に──」
「わ、私も手伝うわ!。従者を守るのも主の務めだもの」
リブは棍棒を振りまわす。涙目で虚勢を張る姿はちょっと愛らしい。
「だめだよ。リブを危険な目に晒すことはできないから。おとなしく行くんだ」
「私に指図するなんて百年早いわ。ゴブリンぐらいなら私でも戦えるわ」
「そういう問題ではないよ。リダまで罪を着せられるかもしれない」
「それぐらいパパがなんとかしてくれるわ。私が良いと言ったらいいの!」
頑として引かないリブ。こうなると手に負えない。自分の意見は曲げずに周囲の人間が折れるまで終わりはない。
この傲慢さというか、誰にも屈しない胆力は他の子供たちにとって、とても魅力的に映る。面倒見が良いこともあって、子分は増え続け、すでに両手の指では足らないほどだ。
「…………半刻だ。それ以上は待てないぜ」
二人のやり取りを見かねてか、エレンが渋々了承する。
リブに屈する人がまた増えた。