異能力は進化する
人間には、例え英雄だとしても自らを回復する手段は持ち合わせては居ない。
それがこの世界での常識だった。
テイルでさえ、最初はそう思い込んでいた。
気づいたのはもはや日課と成っていた『瞑想』を続けていた時であった。
精神統一を行い、心を無に……または一つの物事に心を集中させる事を行う修行の事であった。
最初の頃は武の在り方を考える事に集中していた。
しかしある日ひょんなミスで切り傷を作ってしまった事があった。
氷帝に頼んで直してもらう手段もあったのだが、わざわざこんなかすり傷を頼んでまで直す必要等無かった。
元よりこの世界での人間は、地球に居た頃のそれと比べると明らかに治癒能力が高い。
恐らく魔力循環の影響も有るだろうが、この程度の傷で有れば一日あれば何もなかったかの様に塞がるだろう。
だかこそ放っておいたのだが、如何せん瞑想時に集中力が切れる程にチクチクと痛みを感じる程度に妨害されてしまった。
薬でも付けておくべきだったとその時になって後悔したが、瞑想を始めてしまっている手前、途中で辞めるのは何かと億劫だ。
強引に無視して瞑想を続けていたのだが、逆にその傷口の痛みに集中する様になってしまった。
もうこうなってしまえばと、傷口が治る様なイメージを続ける事で脳を騙し痛みを堪えようと言う思考をその時に描いたのだ。
するとどうだ。
思った以上にそれが効果的で、全くもって痛みを感じなくなったでは無いか。
余りの変化に驚き、瞑想途中にも関わらず目を見開いてしまった程だ。
そして……テイルは傷口に視線を向けさらに驚いた。
右手の人差し指を浅く切った筈の傷口が、完全に塞がっているのだ。
思った以上にこの世界での治癒能力が高いのかとも思ったが、これを偶然で片づけるにはあまりにも惜しい気がした。
当時の自分ははっきり言って頭が可笑しかっただろう。
いつも瞑想を行う為に作った、和風の部屋の中央にある囲炉裏。
その中にある炭を掴む為にある火箸をおもむろに掴むと、手の甲に思い切り突きたてた。
間隔がマヒしているのも有るだろう、明らかに地球に居た頃よりは痛みに鈍感になっているからこそ出来る行為だ。
手を貫いた火箸を抜き取る、傷口へ視線を向ける。
大きな穴では無いが、それ相応の流血を起こしている。
これは勘違いでは済まされないなと思いながらも、テイルはその時ゆっくりと目を閉じた。
そして手に感じる痛みに集中し、ゆっくりと治癒されるイメージを立てる。
瞑想をしている時と同じ作法で呼吸を深くゆっくりと繰り返す。
徐々に徐々に、痛みが消え去る手の間隔を感じながら、数分その行為を繰り返した。
そして痛みが完全に消えた時に、両目をゆっくりと開いた。
やはり……傷口が消え去っていたのである。
地球に居た頃から名残で日課としていた瞑想が、まさか此方の世界ではこれ程の効果があるものなのだとは思いもしなかった。
年甲斐も無く興奮した事をテイルは覚えている。
この技術は誰も知らない筈だ。
英雄の軌跡を綴っていた古い資料に目を通しても、人間に英雄に単身で治癒が行える等と言った記述は無かった。
つまりこの技術は今自分しか知らないと言う事だ。
テイルは心が躍った。
多少時間が掛かるものの、異能力以外で自分だけの力を手に入れた事に強く沸き立った。
この技術がある事で急激な強さが手に入る訳では無い。
単体での戦いで、言うなれば現状の様に相手が此方に情けを掛けると言う様な状況に限って言えば、再び此方にチャンスを向ける事が出来る可能性を秘めている。
下賤な事を言えば、光帝の不死身の異能力の方が圧倒的に上位互換となっている事は敢えて言うまい。
勝ちを確信した相手に一瞬の動揺さえ与えられれば良いのだ。
テイルはゆっくりと刀聖を見上げた。
そして、片側の口角を上げた。
「……驚いたな、あんた手品師だったのか」
半ば強引に自分の中で納得の行く答えを無理矢理捻りだしたのだろう。
明らかにふざけ方のキレが落ちている。
良いぞ、その動揺が明らかな油断を生む。
「……覚悟!!」
言いながらテイルは瞬時に『大袋』から取り出した予備の棒を振り抜く。
「ぐぁっ!!」
此方の動作に全く反応出来なかった様に、刀聖は直撃を受けると同時に吹き飛んだ。
先程までの彼なら恐らく反応出来た事だろう。
多少の油断が有ろうとも、壁を越えた事によって巻き返された実力の差は、彼方の方が間違いなく上だった。
地面に一度背中を激突させた刀聖は、空かさず受け身を取ると後方へ飛び跳ねながら体勢を立て直す。
しかしテイルは既に彼の目の前へ接近を済ませている。
少なくとも刀聖はそう感じている筈だ。
棒を振り回しながら縦横無尽に刀聖へと叩きつける。
先程はその全てに反応する処か、此方に一切の攻撃を許さない程の連撃を見せていた刀聖が、此方の一つ一つの動作に反応するだけでもやっとと言った状況になっている。
驚いている事だろう。
此方の動きが急激に早くなったと感じているだろう。
此方の力が瞬時に上がったと思い込んでいる事だろう。
だが違う。
自分は先程から何一つ変わっていない。
常に全力で、現状も何ら変わらない程の本気を出し尽くしているのだ。
変わったのは刀聖の方だ。
「若き芽を摘む事に対し、一つだけ贖罪をしよう。先人の知恵とでも思って聞くが良い」
手は止めない。
この状況で刀聖に此方の言葉が届いているかは定かでは無いが始末すると決めた相手だ、この際どうでもいいだろう。
冥土の土産とでもしておこう。
この現象を起こしたのは他でも無い、テイルの異能力に過ぎない。
弱体化の異能力によって刀聖は再び能力が下がっているのだ。
先程と何が変わったと言うのだろうか。
大きく変わったのだ。
これも修行の賜物とでも言っておくべきか。
「鍛錬で伸びるものは身体能力や魔力だけでは無い」
刀聖の瞳が見開かれた事を認識した、どうやらしっかりと聞こえているらしい。
そして既に気づいたらしい。
「そうだ……『異能力は進化』する」
テイルがこの世界に来てから最も鍛錬を行ったのは他でも無い異能力だ。
対象が一人と言う状況がなんとかならない物かと躍起になったが、その苦労が報われる事は無かった。
だが自分が予想だにしない形で異能力は進化した。
始めの頃は最初に刀聖に掛けていた時の様に、対象の能力せいぜい半減にする程度だった。
そしてその異能力を使い続ける事によって、やがてゆっくりとその現象能力の幅が増え始めた。
「お主はもう某には勝てん。そう何度も何度も一瞬で壁を超える事はあるまいて」
自分は先程と比べて何一つ強くなっていない。
だが不思議と刀聖の行動の一つ一つが遅くなった影響で、多少は強くなったのでは無いかと錯覚を起こすのも事実だ。
錯覚でも良い、刀聖よりも強いと思えるのならもうそれで良い。
プライドが邪魔をして、この全開での異能力を使用せずとも勝利を収めたいと思っていた。
それが叶わぬと分かった今、何をしててでも勝つと思考を変えた。
そうなれば後は簡単だった。
刀聖に掛ける弱体化の威力を強めて、一方的に殴打してしまえば良いのだ。
もう二度と奇跡は起きない。
今度は容赦無く潰す。
若き英雄よ、某の踏み台と成れ。
「刀聖よ……お主の今の力は、本来の『三分の一』となっておるぞ」
言いながら、テイルは刀聖の頬を棒で打ち抜くのだった。
――――……。