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剣の轍 ー車椅子少女アルの騎士物語ー  作者: あわき尊継


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 昼食にはなんと果物が出た。

 いつも通りの簡単な食事を終えて、ゼルヴィアが取り出したのは干しブドウだ。

 濃い紫色の粒は完全に水気を抜かれてしわしわになっており、最初は何か苦そうだと思ったアルだったが、勧められるまま口にしてみて驚いた。


 甘い。


 飛び上がる程の甘さに動かない脚まで動き出しそうだった。


「さっきの精霊はここよりずっと温かい土地で捕獲したものなんだ。古い方法だけど、精霊を宿してしばらくは、その精霊が生じた土地のものを食べると早く身体に馴染むと言われている。この干しブドウは同じ土地で作られたものだよ」


 外地で甘味など野苺かベリーくらいなものだ。

 自分の脚で森へ入れる者なら好きに取ってこれるものだが、アルは兄のロイが時折持ってきてくれるもののおこぼれに預かる程度。

 そもそもの実りが少ないことを考えれば、早い者勝ちで取り尽くされてしまう為、彼女が口に出来た回数は知れている。


 取り尽くす筆頭であるラウロは見た事も無い食べ物とアルの反応に興味を示しているが、話を聞くに振舞われたものではないと分かって顔を顰めている。

 実の所、兄が時折持ってくるものの半分くらいが彼の押し付けたものであるのだが、アルはそんなこたぁ知らない。


「砦にもまだ幾らか保存があるから、しばらくは食後にでも食べておいてくれ」

「はいっ」


 なんということだろう、甘いものを食べる仕事が出来てしまった。

 一粒摘まみ上げ、口の中でじっくりと噛み締める。

 生のものでは瑞々しさと柔らかな甘みをくれるブドウだが、干して凝縮された甘みは強烈で、噛む度に滲み出てくる。

 とろけるような笑みで干しブドウを堪能していたアルがふと目を開けると、物欲しそうなラウロを見付けた。

 彼女は小さく吐息をついて。


「ちょっとだけね。ちょっと、だ、け」


 言い方に苛立つものを感じながらも、甘味の誘惑には勝てずラウロが両手で拝領した干しブドウを食べる。


「甘っ!? え、すご。野苺とかよりずっと甘いじゃん!?」

「でしょお!? あぁ、素敵なお仕事貰っちゃったぁ」

「……っ、っっ、あくまでおまけだおまけ。調子乗んな」

「うっさい、それなら残り返して」

「うーん甘い!!」


 いつものやりとりがあり、微笑まし気に見ていたゼルヴィアが笑う。


「ここだとそんなに甘いものは珍しいのかい?」


「こんな甘いの初めてだよっ」

「ラウロはいっつも森の木の実一人占めしてる癖にー」

 どこで聞いたのかアルが皮肉を混ぜるが、彼はそっぽを向いて干しブドウを噛む。

「今年はなぁ、なんか先回りされてて全然採れなかったんだよ。ったく、秘密の場所までバレちまったし、誰が持ってったんだか」


 結果的にアルの兄へと横流しされる分が減っていた為、総じて甘味は不足していた。

 各家で栽培している分はあるのだが、それは飲み水を確保する為のアルコール用だ。近くに湧き水があるとはいえ、雨が降れば濁るし野生の動物も使う。保存しておく水というのはどうしたって必要になる。


 今もアルやラウロの飲み水には酒が幾らか混ぜられていて、この微妙に感じるアルコール感や酒の味が子どもらには不評だった。

 かといって酒そのものを飲ませると酩酊してしまうし、原料事態が少ないのだから薄めて使うのが精一杯だ。


「農耕可能な土地面積に対して、殆ど利用されていないようにも思える。砂利や栄養の問題があるとはいえ、何か新しいものを持ち込めばずっと豊かになる可能性もあるんじゃないかな」

「……溜め込んだ富はいずれ異民族に全て持っていかれる。ここの者達は一日一日をしっかりと生きていて、過剰な豊かさなど望んでおらん」


 ゼルヴィアの提案にザンが淡々と言い返した。

 出来るのなら、この地に移り住んだ頃に彼がやっている。

 そこで生まれた新しいものは今も幾らか残っているが、大抵の者はその年を生きるに十分な収量が見込めたら畑仕事を止めてしまう。


 貧しいが、その貧しさから脱却しようとはしない。

 全ては逃げるべき道が巨大な壁で塞がれていることと、自分達の土地を餌場としか見ていないような者達に狙われ続けているからか。


「でもコレ蒔いたら同じの生えてこないかな?」

「一個試してみるか?」

「一個じゃ上手くいくわけないって」

「でもなあ」


 ただ若者は、これから成長していく者達はいつでも大きな未来を望んでいる。

 また干しブドウを食べたいから、種を蒔こうと、そう言うのだ。


「ラウロの家は一杯畑仕事するよね。食べ物、裏手に埋めて隠してあるし」

「母ちゃんがな、そういうの必死なんだ。七年前で俺は生かされたけど、下の子はどうにもならないって森に置いてくることになったから」


    ※   ※   ※


 昼過ぎにまた大鐘楼が鳴らされた。

 実は休日だったらしいラウロが慌てて全員を避難させようとしたが、ゼルヴィアが待ったを掛ける。


「確か、今日の昼過ぎに訓練で一度鳴らすと聞いている。この後に細かく二度鳴らす予定だ」


 今年になって完成し備え付けられた大鐘楼も、実際に使用してみなければ余計な混乱を生むだけだ。

 昨日の警報でもそういったことが起こり、避難すべきである筈なのに、何故か部屋に閉じこもる村民や、砦を素通りして壁へ向かって走り出す者まで居たという。

 更には頭の痛い話だが、砦の兵士も具体的な動きが分かっておらず、逃げてくる村民たちを管理するでもなく第一の郭へ放り込んだままにしていた。

 そんなことではいざ本当に襲撃があった際に対応できない。

 昨夜の内に色々と話し合いが持たれ、役割分担が行われたものの、末端にまでは話が通っていなかったらしい。


「一度砦確認してきた方がいいかも知れないね」

「あっ、母さん達も」

「俺が行ってくる」


 ラウロが全て引き受け、軽快に坂道を駆け下りていった。

 アルの様子を見に首を突っ込んだものの、どうやら自分が邪魔になっているらしいことと、彼も幼い頃から知っているザンがしっかり見張っているらしいことを察した為、ここらが引き上げ時と思ったのだろう。

 最後に一度振り返って見送りすらしていないアルへ鼻を鳴らすと、腕っぷし自慢のガキ大将は満足げに笑った。


 見張りに立っていたジーンが二人を見やり、息を落とす。

 彼の背後では、いよいよといった様子で準備が進められていた。


 丁度良い台座が無かった為に、持ち込まれた絨毯を吹き曝しの地面に敷いて、アルを寝かせる。

 彼女の横に置かれた木箱は既に開いており、取り出された物品が並べられる。


「鎧、ですか?」


 しかも脚部のみ、だ。

 見た目には本当に鎧だった。

 光沢を持つ金属の脛当て。足先から腰回りまでしっかり装甲部が覆う形になっており、内側は主に革張り。

 その裏へ隠すように張り巡らされているのは、例の糸だ。

 糸の伸縮による擦れから保護する為だろうあて布には絹を使用していた。


 そういった作りの細かさや掛かっている金額など予想もつかないアルは、まず見たままの感想を口にした。


「…………大きいですね」


「実際に使用する部分はそう大きくないんだけどね、保護する為の部分が肥大化してしまって……その内調整していくから」


 試作品などこんなもんである。

 元は内部構造のみだったものを、一晩突貫で装甲を追加した。


「一応内部の構造は秘密にしないといけないから、見て分からないようにしないといけないし、装甲は可動域を制限する構造にもなっているんだ」


 だからといって、小柄なアルがコレを穿けば、下半身だけが二倍近くに広がってしまう。脚部だけを異様なほど装甲で防護した少女、どう考えても異様だった。


「……こういう部分は下手なままだな」

「最終的には纏めますので、機能としては問題ありません」

「見た目の話をしとる」

「はい、すみません……」

「一先ず付けてみるか」


 アルは既にスカートからズボンに履き替えている。

 先だってラウロの家から強奪したままのものだ。しばらく貸してくれと頼んだら、彼の母は快く受け入れてくれた。いっそ中身ごと貰ってくれと言われたのだが、アルは断固拒否した。


 二人は横に並べた巨大脛当ての装甲を外し、内部機構を露出させると、最終的にはザンが脚を動かして履かせてくれた。

 腰に帯革を三本、腿や脛には二本も通し、肌が白くなるほどキツく固定された挙句、脚を引き摺ったまま運ばれ切り株へ。


 車椅子か、寝台か、それくらいにしか腰掛けた覚えの無いアルにとって、ある意味で新鮮な景色だった。

 馬が高さを味わわせてくれたなら、切り株は低さだ。

 お尻までくると流石に幾らか感覚があるので、慣れない感触にむずむずした。


「さあ、やってみよう。まずは脚を真っ直ぐ伸ばす訓練だ」


 装甲を開く時に見えたが、内部にはあの伸び縮みする糸が幾つも通されている。吸えば縮み、吐けば伸びる。ただ、単純に伸ばせば真っ直ぐになり、縮めれば曲がるというような話ではなく。


「ええと」


 アルは装甲の上から太腿に触れる。

 大きくて捉え辛いが、脚を伸ばすのなら太腿の糸と縮めてやれば出来る筈だ。


「おおっ」


 ガン、と合わさった装甲が音を立てる。

 ぜルヴィアが言っていた通り、縮め過ぎて間接が逆向きに曲がってしまわない様な構造になっている。

 そして。

 アルの脚がピンと伸びていた。

「あ」

 と思ったのも束の間、重さに耐えきれずつま先が横に向く。

 内股が引き摺られて身体が揺れた。


「アル、待った。一度止めて」

「はいっ」


 指示には従うよう厳しく言われてある。

 支えを無くして垂れ下がる脚を見て、また不思議なものを見たような目で彼女は首を傾げた。


「動いた」


「うん。ちゃんと機能してるね。調整が上手くいっていないのは、慣れの問題かな。改良の余地はあると思うけど。もう一度やってみてくれ」

「はい」


 また装甲の硬い音を鳴らして脚が真っ直ぐ伸びる。

 下げて、挙げて、下げて、挙げてを繰り返し、

「どうかしたかい? 上手くいってると思うんだけど」

 しきりに首を傾げるアルにゼルヴィアが問いを投げた。


「うん……はい。ええと、動いてるなって思って」


 聞いたことも無い地名を告げられたみたいな目で言うアルに、見ていた二人はしばし言葉を忘れた。


「そうだな。もっと上手く動かせるよう、練習してみるといい」

「うん」


 ザンの言葉に頷いて、どこか呆っとした様子で脚の上げ下げを繰り返す。

 ある意味で、期待していた感動も驚きも無く、淡々と繰り返される練習を二人は黙って見詰めた。


 生まれて一度も脚を動かしたことのない少女が、自分の意思でそれを動かしている。


 どんな感情が生まれ、何に躓き、悩み、疑問を持つのか、動く者には到底想像がつかない。

 出来るのは近くで無茶をしないように見張り、声を掛けるだけだ。


「稼働させる糸の遊びが多過ぎる。最初からこの数では混乱もするだろう」

「そうですね。もっと機構を単純化して、まずは安定して立つことを目標にします」

「装甲も、もっとマシに出来るだろう。この子は女の子だ」

「はい」


 結局一度も歓声を上げることなく、二人が後の調整を相談する中で淡々とアルは脚を動かし続けていた。

 普段は放っておいても騒ぎ出す娘の沈黙をどう判断すれば良いか分からず、一度休憩をと声を掛けた時だ。


「………………え? あ、はい。ごめんなさい、夢中になってて」


「夢中に?」


「はい。脚を動かすって、難しくって、色々試してみたんですけど、つっかえるし、どうしたらいいかなって考えてて」


「そう、か。いや……そうか、脚の感覚が無いんだったね」


 動かしているという感覚が無い、という事実を見落としていた。

 見た目に動いていることを確認できても、これでは地面を踏んで立てたとして、すぐ姿勢を崩してしまいかねない。


「あぁ。お腹の辺りで感じてます。脚を伸ばすと、こう、重みで下から抑えられるような感じがするから」


 気付けば膝の部分で装甲が合わさった音が鳴らなくなっていた。

 勢い任せに伸び縮みさせていた筈が、滑らかに上下し、緩急をつけ始めている。

 今も立っているゼルヴィアとザンと見て、脚の動きを観察している。右へ、左へ、膝を倒して調整する。まだ荒い部分はかなりあった。時折ひきつけでも起こしたみたいに足全体が震えて、そのまま制御を失いかけもした。

 一度混乱してしまえば力そのものを遮断する、という方法も彼女自ら考えだした。


 夢中になっていた、という言葉の意味を改めて呑み込んで、内地で魔導伯と呼ばれている騎士は唸る。


「あっ」


 ガチン、と装甲が噛んで派手な音がする。

 しかも一部の留め具が壊れて剥がれてしまう。


「一度外そう。強度や、出せる出力に合わせて数を絞らないと危なそうだ」

「えーっ」


 やっと飛び出た彼女らしい感情に笑みを溢しつつ、脱力を厳命してから取り外しを行った。


    ※   ※   ※


 所変わって丘の下。

 車椅子に乗るアルは先ほどと同じ巨大な脛当てを身に付けている。

 周囲で様子を見ているのは、警報を受けて戻ってきた母ジナと兄のロイ。ラウロは一通り声を掛けた後で砦へ向かったらしい。


「今から立ちます!!」


 堂々たる宣言だが、調整を掛けたばかりでまだ一度も試せていない。

 ただ、アルがどうしても家族の前でやりたいと言い出した為、ここまで運び直して装着させた。

 幸いにも丘は村の外れで他の目は集まりにくい。

 警戒がし辛いとジーンが文句を溢していたくらいか。


「それが……さっきのミミズみたいなのをどうこうしたって奴かい?」

「え、アレにミミズが入ってるの? アル……大丈夫かい?」


 母と兄が珍妙な顔をして眺めているが、見せたがりの末っ子はお構いなしだ。

 彼女なりに先ほどの上げ下げで好感触を得たらしく、自分の雄姿を見て貰おうとすっかり張り切っている。


「見ててっ」


 言って、脚に()を込めた。

 が、先ほどまでのようには動かない。

 ぴくりと脚が浮き掛けて、車椅子の上でアルの身体が揺れただけだ。

「ぁ…………」

 ただ、それを見たジナの反応だけが劇的で。


「ああっ、全然動かないんだけどお!!」


「数を減らし過ぎましたか」

「癖もあるだろうからな。主に使っていた部分を取り除いてしまったなら、制御に手間取るかもしれん」

「……そうなるとやはり装甲は邪魔ですね。保護もありますし、外では付けていて貰わないと困るんですが」


「もーーーーっ!!」


 折角の晴れ舞台で恥を掻かされたとアルが叫ぶも、研究畑の二人は己の思考に夢中だった。

 なので、今度こそと息を入れ替えて力を込めた。

 先ほどのように過敏な動きはしない。繊細な力加減が必要無いのなら、もう一度力一杯やってやればいい。上限さえ分かれば順次力を抜いて制御していく。

 感覚が備わっていない部分の為、あくまで見た目と腹部に掛かる重さを感じる程度だったが。


「っと、お……」


 太腿の上側を縮め、下側を伸ばす。

 片側だけで伸び縮みさせていると、不意に姿勢を崩した時に支えるのが遅れる。一度捻じれてしまうと復帰は困難で、それこそミミズを這わせるような慎重な動きが必要になる。

 側面は固定させつつ、動きに合わせて上側と下側で操作を分けた。

 腰元で足全体の重さを受けつつ、膝を浮かせて足先を前へ。車椅子の足置き台から出て、足裏が地面を踏む。

 踏む、という感覚が無い為、アルは前後に揺さぶってそこに平面があることを腹部で感じ取る。見えていても、身体の感覚で確かめることは重要な気がした。

 最初の時の様に力が出ず、数を減らされた弊害か支えるのにも苦労した。

 もう片足も前へ。

 地面を確認し。

「はぁ……すぅ……」

 腕の力で身を前へ。

 車椅子の車輪は固定してある。

 重心を。

 後ろに逸れていると倒れてしまう。

 前へ。

 行き過ぎない。

 馬に乗った時と同じだ。

 お腹の底で感じる揺れと、腕で身体を支えてやる。

 椅子の上から這い上がるようにして。

 お尻が浮いた。

 汗が流れる。

 いつしか夢中になり、表情が抜け落ちた。

 脚の前側と縮め、後ろを伸ばし、維持する。

 維持するのが結構大変だ。

 揺れる。

 踵が動いて姿勢を支えた。

 困難な捩じりを咄嗟に行えた。

 いつしか呼吸も忘れて脚を動かし。

 前を見る。

 母が居た。

 ジナ。

 脚の動かない、こんなお荷物を、父親が死んだ後も懸命に育ててくれた、大好きな母親だ。その横で、同じくアルを助けてくれてきた兄が居る。


 立った。


 立った。


「っ、っっ」


 息を吸う。

 朝日よりも強く輝く笑顔をようやく思い出して、アルは叫んだ。


「立ぁったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 気の強い母が涙を流し、兄が傍らで支えているのが見えた。












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