泉美波の願いだったもの
「……っ!!!」
目を開けると、そこは夢で見ていた砂浜だった。
「なんで…ここに…」
記憶を遡ってみる。
確か、いいものを見せる、と編集者である徳田颯に言われて池に来たはずだ。
そして、そのまま”落とされた”。
そうだ。
ここは池の中である。
その結論に行きついた自分は、思い切って頬を叩いてみた。
パチン、と大きな破裂音が鳴り響く。
赤くなった皮膚はじんじんと後から熱を帯びてくるとじわりと痛みが広がった。
夢、ではない。
自分の体は今、確かにこの不可思議な空間の中にあるのだ。
「……さくら」
突然、背後から目を塞がれた。
「だーれだ」
柔らかい声。
目元を覆う冷たくて小さい手。
「……さくら、みーつけた」
何度も何度も聞きたかったその声を、自分はどうして忘れることができようか。
「久しぶり。美波」
美波の手に、自分の手を重ねた。
柔らかい。
マシュマロのように程よい肉づきのその手はパッと自分から離れていった。
振り返る。
「せいかーい」
穏やかな笑みを浮かべた美波が、自分のすぐ後ろに立っていた。
白い着物が風もないのに緩やかに踊る。
自分は、美波と手を繋いで、海と砂浜のぎりぎりを歩いていた。
時々、押し寄せた波が足を包み込んで引いてゆく。
何とも言えない心地よさがあった。
「久しぶり……って言っていいのかな?中学?以来だっけ?」
「そうだよ」
声少なく美波は笑う。
「でも、どうしてここに美波がいるの?」
そう聞くと、困ったように美波は立ち止まってしまった。
「それは…家の事情というか…
前に、さくらに話したことあったよね。
家の都合で高校には進学できないって」
「え、うん…」
「あれね。私がこの池を守らなきゃならなかったからなの」
「池?」
恐らく、池というのは夢で何度も出てきたあの不可思議な池に違いないだろう。
でも、美波が今いるのはこの”海”だ。
「あ、どうして海にいるのかって顔してるでしょ」
「え…?嘘…?してた?」
「してたよ」
美波は、もう一度笑って歩き始めた。
釣られるように、私も足を進める。
「池を守る…それが私の役目だった。
でもね、池を管理する上の人間たちが、勘違いを起こしちゃったの」
静かな砂浜を歩きながら美波が語りだした。
私は、黙ってそれを聞く。
「私の願いを叶えるたえに、さくら。
貴方をこの池に落としちゃった」
「…え?」
「私はそんなこと望んでなかったのに…」
俯いて、美波の足は止まる。
一体どういうことだろう。
それに、私が美波の願いとは一体どういう意味を持つのだろうか。
「ごめんね。さくら。
私はただ、貴方に健康に生きていてほしかった。
確かに、私はこの場所で、あの世とこの世の狭間であるこの池で。
大好きなさくらと一緒に過ごせたらどれだけ嬉しいかって、考えたことはある」
「でも!!
でも、それはさくらの幸せを奪ってまで叶えたい願いじゃなかったの!!!」
そういって、美波は下を向いてしまった。
涙を堪えようとしているみたいだが、止まらない落涙は黒い砂浜を白く光らせた。
「美波…」
私は何と言ったらいいか分からず、ただ、美波の手を握り返すことしかできない。
その時。
暗かったはずの海の向こうから光が差してきた。
「なに…あれ……」
「……やっと…来た」
美波がゆっくり首を上げる。
その視線は光の方へと向いていた。
「さくら。私、さくらをこの世界に落としたやつらが憎い。
勝手に私の幸せを決めつけて、さくらを酷い目に合わせて、この世界に落としてしまった」
「美波…?何を言って…」
「この世界はね、一度落ちたら二度と戻ってくることができないの」
「え……?」
そう、口から驚きが飛び出たが、自分の心の中はたいして驚いてもいなかった。
恐らく、薄々気づいていたのだと思う。
あの夢を見続けることはきっと悪いことなのだ、と。
この海に、あの池に取り込まれたら、それが自分の人生の最後なのだと。
「なんだ。さくら…気づいてたんだ」
涙ぐみながら美波が自分の頬に触れた。
「…別に…気づいていたというか…そんな予感がしただけだよ」
私も、美波の手に自分の手を重ねる。
「あのね。さくら。
少し、話が長くなるんだけど、この海が何なのか話してもいい?」
「もちろん」
私達は波打ち際から少し離れた砂浜へ腰を下ろした。
「ねぇ、さくらこっちに座ってもいい?」
そういって美波は、私の足の間に入り込んできた。
「いいよ。というか答える前に座ってるじゃん」
「だって、さくらなら断らないと思ったから」
それは、確かにその通りだ。
私は、細い美波の体に腕を伸ばした。
背後から、抱きしめる形で彼女を座らせる。
「……この海はね」
暫くの沈黙の後、美波がそういった。
「本来ならあっちゃいけない場所なんだ」




