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幸せな夢の中で  作者: 月影朔夜


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消えた池の水


 逸る気持ちを抑えながら、ギアをセカンドに。

 整ったアスファルトとは違う凹凸の酷い道を進み続けた。


 隣に座る水野は、さきほどの話から顔を青くしたまま緊張した様子で腕を摩っている。

 何か気の利いた一言でもかけようかと思ったけれど、池の水が消えたことで緊張しているのは自分も同じだった。やたらと水が飲みたくて仕方がない。


 ハンドル操作をミスることなく、かつて春宮櫻を案内した池までたどり着いた。

 車を止めて、ドアを開く。

 

 池の畔で倒れている人物が目についた。

 水の張っていた穴に足をだらりと投げ、上半身は冷たい土の上に仰向けになっている。


 「兄さん!!!」

 駆け寄って、抱き起こす。

 腹部の布が破けて、隙間から裂傷が見えた。

 深く抉れているのか、血が止まらない。


 「兄さん!!!」

 再度、体を揺らして声をかけるが、秋葉は目を閉じたまま動かない。


 「水野!!!!すぐに徳田に電話しろ!!!!」

 車の傍にいた水野に振り返って叫んだ。


 「水野!!!!」

 だが、彼は唇を震わせるばかりで一向に動かない。

 

 「ちっ…!!」

 大きく舌打ちすると、水野がビクッと肩を震わせた。

 正気に戻ったのか、急いで助手席のドアを開けようとしている。

 だが、手が震えているのか、一向にあく気配はなかった。

 

 「……はや、て…」

 ふと、自分の袖を引く力を感じた。

 兄を見ると、うっすらと目を開けている。


 「聞こえるか!?」


 「そんな…大声出さなくても聞こえてるから」

 そういっていつものように笑おうとするが、顔に力が入っていない。

 無理をしているのは一目瞭然だった。


 「すぐに、家に運ぶから。少し耐えてくれ」

 兄の体の下に腕を入れた。

 大の男一人くらいなら自力で運べるだろう。

 踵に重心を置き、腕に力をかけて何とか兄を持ち上げる。


 「まって」

 車に連れて行こうとしたとき、兄がか細い声でそういった。


 「緊急事態だろ!!!待ってなんかいられるか!!!」


 「いいから、きけって」

 真剣な声だった。

 有無を言わせない、徳田・元当主の圧は、過去の高圧的だった父親と重なった。

 首が自然に頷いている。

 自分は、兄をそっと地面に下ろした。


 「時間が無いから簡単に言うぞ。

  池の水が枯れた。すぐ近くに来ていた地獄の死者が二人這いだしてきた」


 「死者って…まさか本当に…」

 池に目を向ける。

 底まで見えるほど、透き通っていた美しい池は無くなっていた。

 カラカラに乾ききった薄茶色の土は、風に舞って砂埃をたて飛んでゆく。


 それは、確かに。

 地獄の底まで続く”穴”だった。


 「一人…はなんとか倒せた。地獄から蘇った死者っていっても…まぁ、元は人間だしな…

  でも…その時に…相打ちくらってこのざまだ…」

 

 「兄さん…」

 

 「……颯様…その…電話しましたが…近くの医者を呼ぶまでに一時間はかかる、と…」

 水野が耳打ちしてきた。

 唇を噛み締める。

 この出血量だ。一時間なんて持つわけがない。


 徳田の家柄、あまり表立って活動することはできない。

 そのため、保険には入っていないし、本家以外の子は戸籍すら存在していない。

 

 その辺の病院に行けるわけがない。

 兄も、そのことを知っているはずだ。


 「…もう一人の死者は…山のどこかに逃げて行った…

  かなり強かったよ……長い髪の女だ」


 「兄さん、今それどころじゃないから…

  すぐ、家に、あ、いや、医者に連れて行くから!!!」

 もう一度持ち上げようと力を込めた。


 「もう、いいよ」 

 兄の手が力なく、自分の腕をつかむ。


 「はぁ?何言ってるんだよ…!!

  まだ、勝手に死なれちゃ…困るんだよ!!」


 「ごめん。颯」

 それは、初めて聞く謝罪だった。


 「ダメな兄貴だった自覚はあるからさ、最後にお兄ちゃんらしいことしてみせるさ」


 「は…?なにを言って…」


 「水野…水野雪、だったな」

 兄は言葉を遮って水野にあまり動かない目を向けた。 


 「は、はい!!」

 水野の背がピンと伸びる。


 「あんまり、話してやれなくてごめんな。

  颯、いかつい顔してるけど、根は真面目でいいやつだから。

  たまには揶揄ってやってくれ」


 「秋葉…様…」

 水野の声は涙ぐんでいた。


 ぽつり。

 兄の顔に、雨が降る。

 次第に強くなったそれは、滝のように一筋の水を描いた。


 「颯。愛してる」

 満面の笑みで笑った兄の瞳から色が消える。

 掴んでいたはずの手は、力なく地面に落ちた。


 「秋葉…兄さん……」

 自分が、兄の名前を兄として呼んだのは、実に10年ぶりの事だった。


 池の水が消えている。


 水野の声が遠く聞こえる。


 森のざわめきが激しくなった。


 その途中、獣の唸り声のような気持ち悪い高らかな声が右手の森から聞こえてきた。 

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