徳田・池の水とは
女中から受話器を受け取り、電話に出た。
「はい。徳田です」
「あ、颯~?」
この気の抜けた声は、兄の秋葉しかいない。
「何かあったか?」
今は夢追池にて、監視を続けてもらっている最中だ。
暇つぶしの電話かと思ったが、この迷惑極まりない兄貴ならば、家に電話などせず携帯の方に多量の着信履歴を残して遊ぶに違いない。
「あ~それがね。ちょっと大変なことが起きててさ」
電話の向こうの兄の声はいつになく真剣だった。
思わず、喉の奥が強張る。
「大変なこと…って言うのは…?」
「それが、池の水がさ。消えたんだ」
「……は?」
池の水が消えた。
兄の電話を受けて、すぐ水野を助手席に乗せ車を出した。
いつになく焦った様子の僕を見て水野も一緒に焦っていたが、運転して暫く経つと水野の慌てふためいた様子も落ち着いてきた。
「水野は、池に行ったことあったか?」
「い、いえ…。図を拝見したことはありますが、実物を見に行くのは初めてです」
「そうか。」
「あ、あの…」
躊躇いながらも、水野が僕を見る。
残念ながら、軽く横眼で見るだけでまともに相槌は返せないが「なんだ」と聞き返した。
「その、一体何があったんですか?
お話の途中で電話されたと思ったら…そのまま池にいく…なんて」
確かに、情報不足だった。
「それが、池の水が消えたらしいんだ」
「は…?消えた…?」
「そうだ。秋葉の言うことだから、信ぴょう性には欠けるがそれでも確認しなくてはならない。
もし、本当だったら大変なことになるからな」
「大変なこと…?
え、あの…池の水が消えるなんてことあり得るんですか?」
セカンドに入れ、ブレーキを踏んだ。
赤信号で止まる。
「さっきの話の続き、してもいいか」
「え、あ…お願いします」
自分ながら唐突だと思う。
だが、話の続きの方が、水野にとっても分かりやすいはずだ。
信号が青に変わった。
セカンドのまま発進し、暫く進んだあと右に曲がる。
この先は暫く道のりのため、運転する身としても話がしやすい。
「女が救いを求めて地獄に落ちたとこまでは話したな?」
「はい」
「それが、女が地獄に落ちたことで狭間の管理者がいなくなったんだよ。
女は罪こそ犯したものの、その存在は他の何にも取って代われぬものだったからな」
「管理者が…いなくなる…
まさか…」
水野の声が凍り付く。
「想像の通りだ。女がいなくなった後。池の水が枯れ果てたんだよ」
「それって…どんな被害が生まれるんです?」
「あの世とこの世の境目が消えたことで、あの世に迷い込んだ生者を返すことが出来なくなったんだ。それに死者も長い時間這い上がればこの世に出てきてしまうことができるようになってしまった」
「そんな…!それじゃあ、この世は大変なことに…!」
「あぁ。当時の記録を読んだら分かるが、それはもう地獄だったらしい」
「地には死者が溢れ、生者を身代わりに地獄に突き落とし、この世には嗅いだことも無い腐敗臭が漂い、崩れ果てていた死者の体の一部がそこら中に転がって、虫やら鳥やらが蠢く塊となって道を作っていたらしい」
「ひぃ…!!」
蚊の鳴くような悲鳴が隣から上がる。
絵巻を見たことがあるが、あんな光景万が一本当だったら気が狂ってしまうだろう。
「だから、徳田の先祖は何とかして池の水を戻すことを考えた。
雨水を貯めて池に戻したり、川の水を移したり。
とにかく水を池に放り込んだらしい」
「…でも、結果は惨敗だ。
水が元に戻ることは無かったんだ」
「そんな……でも…じゃあ、どうして今の池には水が…?」
「そこで考え付いたのが、新しい管理者を作ることだった。」
「管理者を…作る?」
自分で話していても、とんでもないことだと思う。
だが、実際に管理者を作ったことで池の水は元に戻り地獄の反乱も収まったそうだ。
「どうやって作ったか、その詳細は語っていると長いからまた次の機会にな。
まぁ、ざっくりいうと新しい姫を用意して池に沈め、願いを叶えて管理者になってもらう…
みたいな方法らしいが。」
「そんなことが…じゃあ、池の水が消えたってのは…
その管理者に何かあった…ってことですか?」
「多分な。だが、管理者である姫はここ10年何事もなく穏やかに過ごしていたはずだ。
なのに、どうして急に…」
泉美波。
16歳にして姫として池の管理者に選ばれた存在。
彼女の望みは想い人である宮坂桜と一緒にいることだった。
時間はかかってしまったが、美波の元に宮坂桜を届けることはできた。
管理者の願いはかなったはずだ。
なのに…なぜ、池の水が消えたんだ。
池の水が消えるということは、管理者が消えたということに他ならない。
一体、どうして。何があったというんだ。
疑問はつきない。
池のある香山まであと一時間。




