池の中
徳田の運転する車は、交通量の多い県道を離れ、次第に山道へと入っていった。
「どこに連れてってくれるの?」
私は運転している徳田に聞いた。
彼は、まっすぐ前を見つめたまま、
「それはついてからのお楽しみですよ~」と軽く流す。
この問答ももう五回目だった。
なんど聞こうと、彼は目的地を教えてくれない。
三回目のときには、ムカついて車から降りてやろうかとも思ったが、怪我をするのは間違いなく私だ。
大人なので、辞めておいた。
大人なので。
車は手入れのされた登山道から、次第に倒木が増え人が通った跡のない山道へと進み始めた。
私はなんだか不安になり、少し強めに聞いてみた。
「ねぇ、本当にこっちであってるの?」
「はい。あってますよ。
もう少しで付きますから。お待ちくださいね」
「そう?」
これ以上は答えてくれなさそうだ。
しかたなく、揺れる車内から外の景色を眺めた。
緑溢れる木々の合間に、白い太陽の光が落ちている。
長年自然に生まれた木々は不自然に曲がり、猫のように丸まったものや、どこまでも太陽に向かって伸びる、向日葵のような木もある。
茶色く伸びたツタの先には黒い木の実がついていた。
名前は知らないが、クロモジとかそんなあたりだろう。
険しい山道を車はぐんぐんと進んでいった。
一時間も乗っていただろうか。
車は偶然にも開けた場所に乗り付けた。
「少し歩きますが、平気ですか?」
「どれくらい?」
「五分ほどです」
「分かった」
車を降りると、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
胸の内に広がっていた黒い蟠りが、息と共に吐きだされてゆく。
「先生、こちらです」
徳田が、手を向けた方へ目を向ける。
それは、人ひとりも通れないような獣道だった。
「本当にこの先にいいものがあるの?」
「えぇ。もちろんです。絶対に先生は気に入ってくださいますよ」
彼は、今までに見たことがないほど、明るい笑顔を浮かべた。
獣道は想像通り、酷いものだった。
足の踏み場は無いし蔦はやたらめったら靴に引っかかる。
なにより、棘のある植物がしきりに顔にささった。
休憩にと、手をついた木に棘が生えていた、なんてこともあった。
体感一時間のいばらの道を切り進み、ようやく目的地が見えてきた。
「これ……は」
声に出ていたかは分からない。
喉の渇きだけではないひりつきが、喉の奥を絞めつけている。
「どうですか、先生。気に入っていただけましたか?」
まだ、意味を理解できない私は、縋るように徳田へ眼を向けた。
「これ、どういうこと!?」
「なんで……!!」
「なんで、夢の中の池が!!!!」
眼前に広がっていたのは、私がよく夢に見ていた”池”だった。
近づかなくてもわかるほど、太陽の光を反射し水面が鏡のように光っている。
池の中央には、夢で何度も座っていた”岩”があった。
私は、徳田の襟元を掴もうと手を伸ばす。
だが、
「危ないですよ。先生」
その手はいとも簡単に徳田に止められた。
「どういうことか、説明して!!」
振り払おうと力をこめるが、体格差もあってびくともしない。
「先生。どうして、気づかなかったんです?」
「は?」
「僕、何度も名乗ってますよ。徳田だって」
「それがどうかし…っ…あ…」
「思い出していただけました?」
どうして忘れていたのだろう。
あの本に全て書いてあったではないか。
夢追池。
徳田家が管理していた多くの女の骨が埋まっている伝説の池。
「で、でも!!あの池は台風で壊滅したって!!」
「あー、それは嘘ですよ。
本に書いてあったこと半分が創作なんです。
先生も薄々気づいていたんじゃないですか?」
「それ…は…」
創作の匂いが強くて、読むのをやめていたのは確かだ。
バカみたいな伝承だと、鼻で笑ったことも覚えている。
だが、読者からありがたいことに、リアリテイのある小説だとお声を頂くことが多かった。
自分自身、あれは正真正銘の夢ではなく、昔体験した”夢”を思い出しているだけに過ぎない、と思うこともあった。
「だいたいですね。先生はね。遅すぎたんです。
本を手に入れてから一年間あったんですよ??
なのに、全然落ちてくれないんですから」
徳田の態度ががらりと変わり、呆れたように、何度も首を振った。
固まっていた口がようやく開く。
私は、掠れる声でやっと言葉を作り出せた。
「……あんたは…何を知ってるの?」
「僕…?あぁ、では、改めて自己紹介しましょうか」
「初めまして。僕の名前は徳田颯。
夢追池代25代目当主で、この度姫に選ばれた”泉美波”様の案内人です」
「みなみ…の…?」
意味が分からない。
状況を理解しようと必死に頭を回していれば、掴まれていた右手に強い圧を感じた。
「それでは、春宮櫻様。いえ、宮坂桜様。
姫の想い人であるあなたを、ご案内させていただきます。」
「は?え、あ、ちょっと…!!」
徳田がすさまじい力で歩き出す。
私は抵抗したが、綱引きのようにずるずると引きずられてしまった。
池の畔が、もうそこにある。
「離してよ!!!!」
「それでは、いってらっしゃいませ」
ふわり。
一瞬の浮遊感。
次には、私は青い空を見ながら、肺が凍るような冷たい水の中に落ちていた。




