畔と海
溺れた、という言葉は私の頭の中にはまるっきり無かった。
むしろ、水に溶けるような心地よい感触があった。
目を開ける。
そこは、夢の中だった。
久しぶりに、夢に戻ってこれたのだ。
これで、続きが書ける。
やはり、あの本は夢を見るための道具だったのだ。
だが、ぐらりと景色が変わった時、私は海と砂浜の間に立っていた。
いつもの池ではない。
岩に座っているわけでもない。
海にいた。
鉛を溶かしたような暗い海には、灰色のどんよりとした雲がかかっている。
美しいであろう砂も本来の色をすっかり失い、見ているだけで不安になった。
「……美波…」
口をついて出た言葉に、私はたいして驚きもしなかった。
なぜかここに美波がいる気がしたのだ。
艶やかな美波には似つかわしくないこの不条理な海に、美波が濡羽の髪を透かして泳いでいるような、そんな気すら沸いてくる。
私は少し散歩してみることにした。
ふいに、美波ー、と声を出してみる。
返事はない。
私はそのたび、方向を変えて色んな場所を歩き回った。
面白いことに、疲れる、という感覚が無かった。
歩けば歩くほど、足は軽くなり、どこまでも歩んでいけるような気がする。
だが、あまり海から離れるわけにはいかない。
細長い円を描くように何度も砂浜を歩いていると、その遠くで人影を見つけた。
長い髪のシルエットだった。
手足は棒のように細いが、しっかりと地に足つけて立っている。
私は最初、美波かと思って駆け寄ろうとした。
だが、すぐに足は止まる。
それは見ず知らずの女だった。
垂れ目がちな瞳は黒く濁り、白目がない。
真っ赤にひび割れた口元は、閉じる力もないのか半開きになっていた。
張のあったであろう肌はただれ、水分を多く含みすぎた海月のように弛んでいる。
「……見つけた」
突然、女がそういった。
「見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。」
「見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。」
覇気のない声で女は繰り返す。
私は一歩後ろに下がった。
今度は女が一歩進んだ。
自然と頬が引き攣る。
冗談じゃない。
私はこんな女など、知らない。
意を決して、女に背を向け、走り出した。
すぐ後ろから女の覇気のない声が聞こえ続ける。
私は決して振り返ることなくただ、砂浜をまっすぐに走り続けた。
どれだけ走っただろう。
次第に、肺あたりがひどく痛んできた。
息がうまく吸えない。
私は膝から崩れるように、砂浜に伏せた。
細かい粒が口の中に入ってじゃりじゃり音を立てている。
咳き込みながら吐き出すが、吐いても吐いても、砂はずっと口内に入ってきた。
諦めて、肘をついて立ち上がった。
後ろを向くが、女は追ってきていないようだ。
安心からか、今度は背中から力がぬけた。
そのまま砂の上に倒れこむ。
黒い雲を眺めながら、息を整えようと静かに目を閉じた。
「みーつけた」




