学生編3 こっちにもそれ、やってくれない?
Aは自己評価の高い人間だ。だが、彼は決して自己中心的ではない。
私は彼ほど優しい人間を知らない。
昨今の優しさというものはひどく偽善的であると私は思う。その親切な行為にはたびたび相互利益というものが顔を見せ、恩を売る…むしろ恩を押し売りしているようなそんな酷いものが近頃の社会には溢れてしまっている。
だぎ、彼にはそんなものはない。彼の親切には、一切の見返りへの期待はなく、ただそうしたいからした。それ以上のことは何もないのである。
以前こんなことがあった。
私のクラスメイト、ここではイケイケ君と呼称させていただく、が勉強を教えて欲しいとAに迫った。
イケイケ君は勉強が嫌いである。テストはいつも低い点数を出すのだが、それが最近親の目に入り、とうとうその怒りを買ってしまったようである。彼はどうしても点数を取らなければならなかった。
Aは特に悩むそぶりすら見せず了承した。ここからAによる特訓が始まったのだが、これがまあ酷い。
イケイケ君は勉強への意欲が本当にないのだ。側から見ていてもやる気が一切感じられず、しまいにはAの出す問題が難しすぎるだの、もう少し分かりやすく教えてくれだのと文句を言い始めた。
私はなんとか一言言ってやらねばならないと、イケイケ君に詰め寄ろうとしたが、Aがそれを制止した。そして、明日もう一度来てくれとイケイケ君に頼み、何も言わずに解散してしまったのである。
さて、次の日。同じくあまりやる気の感じられないイケイケ君との勉強会が始まった。
どうせ何も変わらぬだろう。そう思って見ていた。
Aはいつものように問題集を取り出し、イケイケ君に持たせると…
唐突に虚数の素晴らしさについて語り始めた。
人類が整数という分かりやすい指標を用い始め、次第に少数やゼロ、すなわちないことすらも数に置きかれられることを発見し、そして数というものについてもはやこれ以上考えることがない。もう未発見のものはないと思い込んでいた数学者たちをしかし、イタリアのカルダノは見えぬ数字に手を出したのだと。
虚数の導入により、同じ位置に存在し得ないとしていた今までの常識が覆り、電波と人とが共存することを数式に表せるようになったのだと。
すなわち今の携帯社会を支えているのがこれから習う虚数であるのだと。
途端、イケイケ君の目の色が変わり始めた。それを見逃さぬようにAは自分の作った初歩の初歩のような問題のプリントを渡し、彼に解かせた。
正直、中学生でも解けそうなレベルだったが、Aはイケイケ君が一問解けるごとに溢れんばかりの歓声を浴びせた。
結局、イケイケ君は次のテストで数学の点数を4倍にした。
教えていたAもなぜか点数を伸ばした。
イケイケ君は何度も感謝の言葉をAに言ったが、Aは常に俺もとても参考になったと彼に返した。
その後、イケイケ君とは疎遠になってしまったが、Aはそれを不義理だとは言わなかった。
彼にとって親切とは他人に無条件に与えられるものである。
一方で、その親切行為によって自分が利益を享受することもまた重要である。
結局、この時のことは教師としての業務に生きている。
親切が最終的にAの利益にもつながっているのだ。
自己評価の高さは利己心とは結びつかない。
むしろ自己評価を高く持ち、自分に余裕を持つことによって、人は他者を思いやれるようになるのである。
全く、今回ばかりはAの凄さに驚嘆せずにはいられない。
テストの点数部分を丁寧に折り曲げながら、私はそう思った。




