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第三幕 三重野の推理


 三重野たちは中西ビルに到着する。道中、井出と甲斐田は汗一つかいていなかったが三重野と中西は半死人のような顔になっていた。


 「おい、三重野。お前スポーツジムに通っているって言ってなかったか?」


 体力の限界を迎えた三重野は何も答えない。返事の代わりに手を横に振っていた。


 「ははは。ハードボイルドの名探偵さんじゃなかったみたいだね。よし、私がスポーツドリンクを買ってくるよ」


 井出は小走りでビルの一階にある自販機に向った。中西は額に浮いた汗を自前のハンカチで拭いている。時節は仲夏の猛威が去って一段落したところだが、日中は常に三十度を超えている。デスクワーク専門の五十代の中西が外歩きをするには厳しい状況ともいえる。

 ちなみに今年三十八歳となる三重野に至っては日陰で呻くだけで精一杯である。


 「中西社長、あの二人はお若いですね…」


 「あの二人は特別だよ。きっと通販で強力な精力剤でも買っているんだ」


 「…ですね」


 三重野はフロアの隅から玄関口を見る。どこにでもあった雑居ビルといった風情で特に注目するような場所は無かった。


 (失踪事件には特徴的なオブジェがある物だがな。…いや推理小説の話だけどね)


 「どうも三重野さん。一応、人数分買ってきたんだけど好きな物を飲んでいいよ」


 「すいません…」


 三重野はトマトジュースを手に取った。そして胸ポケットから長財布を出して代金を払おうとする。


 「いえいえ、お代の方は結構ですよ」と井出に断られてしまった。

 三重野は小さく頷くと缶ジュースのプルタブを開ける。今は一秒でも早く水部補給を済ませたい心境だった。


 「ふう。喉が渇いた時にはトマトジュースがいいですね」


 「…相変わらず爺むさいヤツだ。ところでさっき入る前にビルの外側を回っていたみたいだが何か感づいたのか?」


 「ちょっとした好奇心というものですよ、甲斐田さん。仮に誘拐犯が城田さんを強引に運び出したとしたら痕跡を残っているかもしれませんから」


 甲斐田は背が高く体格の良い城田の風貌を思い出しながら考える。彼は格闘技の経験があるとは言っていなかったが、有事では素人相手に後れを取るような人間ではない事は警察官だった頃の経験から察していた。


 「城田が誘拐ねえ。アイツ、ガタイはいいんだ。犯人やっこさんは睡眠薬でも使ったのかね?」


 三重野は甲斐田のボヤキをそれとなく聞き入れながら事件現場に向かった。事件現場である某社の会議室だった部屋には黄色の関係者以外立ち入り禁止のテープが残されていた。本来ならばテープを撤去する事も可能だったが、中西が警察に頼んでそのままにしてあったらしい。


 「よいしょっと。…失礼しますね」


 三重野は頭上近くに貼ってあったテープの下をくぐる。そして通りに面した方角の窓と出入り口を入念に調査していた。


 「おいおい。それくらい警察官が捜査してんだろ。日本の警察は腰は重いが優秀だぜ?」


 甲斐田はあくまでステレオタイプの捜査を続ける三重野を窘める。


 「ふむ。これで城田さんが窓から外に出されたという可能性は無くなりましたね。結果、何らかの方法で出入り口が使われたのは間違いありませんがポイントが二つあります」


 三重野は扉の下側を指さす。三人の男たちは自然とそちらに注目した。


 「まず城田さんを地面に下ろしていない。リノリウムの床ですが成人男性を運ぼうとすれば必ず跡が残りますから」


 甲斐田が警察から聞き出した情報によれば血痕が発見されたのは部屋の中央であり、その他では見られなかった。城田が生きていて自力で脱出した可能性もあったのだろうが、井出の話では既に死んだ後だったらしい。


 「つまり意識の無い状態の城田を袋か何かに入れて運んだと、そういうわかか?」


 「はい。電話帳と毛糸とロウソクのトリックで」


 三重野はクスリと笑いながら古典的なミステリーのトリックについて語った。


 「ンなわけあるか‼」


 甲斐田は三重野のこういった子供じみた冗談を言うクセを知っていたので思わず怒鳴ってしまう。

 しかしそれを知らない中西と井出は緊張しながら三重野の言葉を聞き入っていた。


 「やっぱりそういうトリックで実在するんだ」


 「本物の探偵さんはすごいね、井出君」


 三重野は手慣れた様子で城田の倒れていた場所に移動する。その部分だけ机や椅子が撤去され、白いテープが貼られていた。床には検査試薬が使用された形跡がある。さらに周辺には床を削った箇所があった。最早考えるまでもなく警察は城田が死んだ物として捜査を進めていることだろう。


 「ここまで手慣れていると犯人はプロの死体移送を目的とした組織である可能性が高いなあ…」


 三重野は近くの机の裏側を調べていた。机の脚と裏側に血を拭き取った際に使用した薄緑色の薬剤を発見する。警察もこれには気がついていたらしく周囲にやはり鑢で削った後がある。三重野は両腕を組んで仁王立ちをしている甲斐田を呼んだ。


 「甲斐田さん、これどう思います?」


 甲斐田は三重野の示した箇所を眺める。

 現時点において警察は殺人の線で本格的な捜査を始めているだろう。中西にその事を伝えないのは、中西と井出も容疑者に含まれている証拠でもあった。


 「まあ概ねお前の言う通り犯罪のプロが城田を誘拐したんだろうさ」


 そこで甲斐田は中西ビルの近く同じような事件が発生している可能性を考えていた。


 (ちょっと待った。今の俺は警察官じゃねえんだ。今さらそんな事を考えてどうするんだよ…)


 甲斐田は首を振って雑念を払う。


 「それでは城田さんが犯罪者に命を狙われるような心当たりはありますか?」


 「…。城田とは、入社する前に同業者からの推薦状と面接は済ませている。問題は無かったと思うぜ?いや…、待てよ」


 甲斐田の頭の中に一つだけ気になる事があった。城田が入社して少し時間が経過してからだろうか、急にアルバイト候補を紹介されるようになったのである。

 当時は例の流行病が原因で減給を理由に多くの正社員が会社を辞めてしまった。

 残ってくれたのは旧知の井出と城田ぐらいだった。城田は”学生時代の知り合いだ”と言って多数の若者を紹介してくれた事も、甲斐田の記憶には新しい。正直、甲斐田は役所から紹介されたフリーアルバイターたちの職業意識の低さには辟易していた。

 失踪した上岸ケイジも、城田が連れてきた一人である。


 「ああ、今思い出したよ。城田からはかなりの数のアルバイトを紹介されたよ。今でもウチで働いているヤツもいる」


 これまで城田が連れてきた臨時職員が出向先で問題を起こしたという話は聞いた事が無い。短期アルバイトの希望者も契約が切れる直前にはしっかりと甲斐田に連絡をするくらいだった。


 「へえ、城田さんが人材の推薦をしたんですか。アレ、でも雇ってからそれほど年数が経っていませんよね?」


 甲斐田は三重野が何故城田の雇用年数を気にしているかを考えずに即答した。


 「最初は俺も抵抗があったさ。だけどその時は本当に経営に行き詰っていてな…」


 「甲斐田さん、他に何か気になる事はありませんでしたか?」


 「特に無いな。今風の若者から働き口を失ったおっさん連中まで、みんな俺の話を聞いてくれるいい連中だったよ」


 三重野は甲斐田の話を聞いて少し考え込んでいる。今の話の中で何か思い当たる部分があったらしい。


 「言葉、そうだ語り口です。関西出身者が多かったとか、そういう事はありませんでしたか?」


 「はあ?…城田から紹介された連中はみんな関東寄りだったよ。別に関西人がいても文句は言わねえけどな」


 甲斐田は煩わしそうに答える。三重野の中では目星がついてるのだろうが、彼の師匠と同様にわざわざもったいをつけてから打ち明けるという性格を甲斐田は特に嫌っていた。三重野は瞳を爛々と輝いかせている。甲斐田の予想は的中しているようだった。


 「ククッ…、もう少し情報が必要ですね。焦らず、慌てず、着実に私の得意とする戦術ですよ」


 三重野は含み笑いを見せながら窓の外を眺めていた。


 「うるせえよ。…他に何がわかったんだ。さっさと吐きやがれってんだ」


 「城田さんはこの部屋で襲われたというのに、なぜ外に助けを求めなかったんでしょうね。窓はあるのに」


 「ああ、そうか。これじゃわからないよな。ここは会議室だからブラインドやカーテンも防音仕様なんだ。全部閉め切ったら多少でかい声を出しても…。ッッッ‼‼‼糞がッ‼そういう話かッ‼」


 「何だよ、藪から棒に…」


 甲斐田は井出の方を見る。犯人側にとって突然の乱入者は井出の方だったのだ。


 「まだ夏ですからね。夕方でも部屋を完全に閉めるのは自殺行為に等しい。だが犯人と城田さんはここに集まらなければならなかった、不測の事態に対応する為に」


 不測の事態という単語を聞いた三重野を覗く三人の男たちは唾を飲み込む。甲斐田は井出が噂の真偽を確かめる為に調査に出た事を、そして中西と井出は例の怪談”ラジオ男”の噂が外部に出回った事を考えていた。まず最初に甲斐田が質問をしてきた。


 「それは三重野、ウチの井出がビルの中を見て回った事か?」


 「それも要因の一つでしょう。だが決定的ではない。犯人側からすれば井出さんがビルの見回りをする日を避ければ良いだけの話ですからね。何か他にここ一か月の間、決定的な変化がありませんでしたか?」


 三重野と甲斐田は発言の機会を待っている中西と井出の方を見た。


 「ははは…いつの間にかウチのビルに”ラジオ男”っていう幽霊が出る話が出来ちゃってさ。それの事かい?」


 中西の隣にいた井出は何度も首を縦に振っている。


 「他に上岸ケイジ君っていうアルバイトの若者が行方不明になって。彼のお兄さんの上岸ダイゴ君って若者が様子を見に来たりしたんだ」


 今度は井出が話を切り出して隣の中西が相槌を打っていた。


 「なるほど、なるほど。ラジオ男ね、決定打はおそらくそれだ。外部にラジオの事が漏れてしまったのが原因でしょうよ。ところで上岸さんとお兄さんはどうなったんですか?」


 「城田も含めて目下捜索中だ。考えたくはない話だが既に殺されている線も十分に考えられるな…」


 「ちょっとトラちゃん、縁起でもないよ」

 

 井出がすっかり厳めしい顔つきになった甲斐田に注意を促す。だがこの場に集まった三人は既に城田と上岸兄弟がこの世の住人ではなくなっていることに薄々と気がついている。それは怪談の主”ラジオ男”の手によるものではない、生きた人間が悪意を持って他者の命を奪ったという事実でもある。


 「ふむ。ここで情報を少し整理しましょうか。まず犯人はここで城田さんと定期的に何かの情報を交換していた。その現場を誰かに聞かれたか、見られたかをして例の”ラジオ男”という怪談が出来上がってしまったのでしょう…」


 「何でラジオなんだ?今はもっと気の利いた道具があるだろ。ケータイだって音楽を聴ける便利な道具だぜ?」


 そこで三重野は右手の人差し指をピッと立て、片目を閉じる。三重野のキザったらしい仕草に甲斐田は内心腹を立たせていた。


 「その通りです、甲斐田さん。携帯電話が発達する事で私たちはCDを交換したり、カセットテープを巻き戻したりするという煩わしい作業から解放された。しかし犯人にはどういう理由わけか旧式のラジオカセットレコーダーが必要だったのです」


 「何で?」


 「そうですね。CDはPCでデータを抽出してしまえば問題ありませんが、カセットテープはそうはいかない。どこかで再生させなければ中身を確認することは出来ないでしょうよ」


 甲斐田はブラインドカーテンを、中西は防音仕様になっている壁を、井出はガラス窓を見た。中々素晴らしい連携が出来るトリオである。三重野は三者三様の姿を見て微笑んでしまう。


 「はあ…トリオ芸人みたいで悪かったな。俺たちを乗せたお前が悪いんだよ」


 甲斐田は赤面をしながら三重野に文句を言う。


 「それは失礼、余計な心配をさせてしまいました。ですがそれが真実の一歩手前です。”ラジオ男”の誕生こそが奇しくも事件発生の引き金になってしまいました…」


 三重野の表情にはまだ迷いが残っていた。


 「それで三重野さん、ラジオ男ってのは結局誰なんですか?」


 井出は三重野の様子を気にしながら尋ねた。無理もない。彼は犯人と思しき人物に殺されかけたのだから無理からぬ事だろう。三重野は窓の外、古びた隣のビルを見ながら答えた。


 「おそらくはカセットテープに録音されていた声の持ち主でしょうね。心当たりはありますか?」


 三重野は井出を見ようとしない。今回の事件に関して井出は一方的な被害者の立場であるというのが三重野の考えだった。


 「ええ、一応は…」


 井出は自分の無神経な発言で三重野を怒らせてしまったのではと思い、声が小さくなってしまう。だが井出の予期せぬ発言に三重野は心底、驚いていた。


 「ちょっと待ってください‼ええと、それはどういったお話でしょうか?」


 「実は城田さんが抱えていたラジオなんですが、アレ私以前に見たことがあるんですよ。このビルに入っていた大沢不動産の社長のところで…」


 「そういえば井出君、そういう話をしていたよね。大沢さんの会社が倒産した時に借金のカタに家財道具一式持って行かれたっていうのにラジオは残ってたって…」


 甲斐田と中西は井出の話を思い出してか同時に頷いていた。二人とも井出同様に大沢を嫌っていたが彼が不在であるからといって名誉を傷つけるような真似はしない。


 「大沢ツグオのラジオ…。これで点と点が繋がりましたよ、井出さん。この奇怪な連続失踪事件の始まりは大沢ツグオさんにあったんですよ」


 三重野は井出を肩を掴んで揺さぶった。井出はすっかり面食らってしまった様子で苦笑いをしている。


 「三重野さん…、大沢さんのラジカセに何があるっていうんですか?」


 「おそらくは今回の事件全ての秘密が隠されています。今頃犯人はきっと血眼になってカセットテープを探している事でしょう。井出さん、貴方は素晴らしい今回の事件のMVPをあげてもいいくらいだ‼」


 「はあ…」


 井出はどうにも要領を得ないといった様子で首を傾げていた。


 その後、三重野は中西の会社と他数社を尋ねて捜査を続ける。三重野は自分の名刺を配りながら頭を下げて回っていたが、事件の捜査はこれといって進展は無かった。結局、ビル内を本格的に調査したが城田本人の行方はわからいまま一日が経過する。

 三重野たちが調査を終えると中西は社長としての責務を全うする為に会社に戻る。三重野は最後にまたビルに出入りする会社員たちに挨拶をしてから、今日一日の締めくくりとして甲斐田の会社に向った。

 甲斐田ビル管理は中西の所有するビルの系列で、自分の甲斐田は母親を通じて中西の母からビルと社屋を賃貸していた。そこは三階縦の小さなビルで三重野は甲斐田に城田の履歴書を拝見できないものか、と頼んでいた。

 甲斐田は先刻の中西ビルでの三重野の振る舞いから何かを感じ取っていた様子で特に考える様子もなく城田と上岸ケイジの履歴書を三重野に見せていた。

 他に城田に紹介された人材の文も見せるのかと甲斐田に尋ねられたが三重野はすぐに断った。


 それから二時間、三重野は甲斐田の会社の会議室で資料を読む。その間、井出と甲斐田が様子を見に来たが三重野からは特に気になった点などを聞く事は出来なかった。三重野は古びた黒革の手帳に城田と上岸の職歴と学歴を写す。無論、甲斐田からは他言無用を約束されている。


 そして三重野は甲斐田と中西と一緒に近所の飲み屋で夕食をすませてから自分の事務所に戻った。


 「久しぶりに食べたなあ…チキン南蛮。しばらくお肉の味、忘れていましたよ。今頃佐渡君はトロとか食べているんだろうな」


 どうやら甲斐田の会社から出る時に助手の佐渡が中西の両親と一緒に回転寿司に行った事を知ったらしい。


 「今度連れて行ってやるから我慢しろ。ところで三重野、本当に大丈夫なんだろうな?今回の事件、解決したって」


 「ええ。ほとんどはエサも撒いておきましたから明後日には決着がつくでしょう」


 満腹になって精神こころに余裕が出てきた三重野の言葉を聞いた井出が盛大なため息を吐いた。


 「それにしても何だってこんな事に…。”なりすまし”なんて、てっきり他人事だと思っていましたよ」


 「それが普通だ。まさか元警察官の俺の会社にそんな連中が出入りしていたなんて考えたくもねえよ…」


 甲斐田は内ポケットから胃薬を取り出して飲んでいる。胃薬は甲斐田が警備会社の社長になってから手放せない存在となっていた。


 「全ては偶然の産物ですよ、御二方。まあ見てごらんなさい。この名探偵にして奇術師である三重野トオルが虚構の何たるかを犯人一味に教えてさしあげようと思いますので…」


 三重野はどこからともなくカードを一枚だけ取り出す。カードを回すと”スペードのエース”だった。


 「乞うご期待を」


 「頼むぞ、名探偵さんよ」


 三重野は井出と甲斐田とはそこで別かれた。


 そして、ここから事件は一気に解決に向かう。ビルの中で消えた人々はどこに行ってしまったのか?ラジオ男とは何者なのか?物語はいまだに数々の謎を残したままである。全ては解明編で明かされるだろう。


 しばしのお待ちを…。


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