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7. あなたが必要なの

「申し訳ありません、ガートルード様……。わたくしのせいで……」


 部屋に閉じこもってから、アンナは少しネガティブになった。といっても、まだ一週間弱しか経っていないけど。それでもアンナは目に見えて落ち込んでいて、私が暗い顔でもするものならすぐに謝ってくる。でもアンナが変態じゃなかったとしても、結局私たちはターシャに言いがかりをつけられていたはずだ。遅かれ早かれ私をハメる計画は実行されていただろうし、恐らく私がアンナを罵倒していたのとターシャが来たタイミングが重なったのは偶然だ。

 だから、こうなったのはアンナのせいなんかじゃない。もしアンナのせいだとしたら、アンナをそんな変態にしてしまった私が責任を問われるべきだ。


「大丈夫よ、アンナ。最悪、ここを追い出されたって死ぬわけじゃないもの。結婚も……きっとどうにかなるわ」

「でも……。自分が不甲斐なくて……」

「そう思い詰めないで。ちょっとした休暇だと思えばいいのよ。のんびりしましょ」


 私は木製の椅子に座ってうなだれるアンナに寄り添おうと――して。叩かれた扉がそれを妨げた。

 日中は指導の時間だ。そんな時に客なんて来るだろうか。まさか、ターシャや取り巻きが冷やかしに……?

 私は様々な憶測を繰り広げたが、全ては邪推に終わった。恐る恐る開けた先にいたのはイヴェットさんだった。


「ミス・ガートルード、元気にしていましたか。ふむ、やつれてなどはいないようですね。安心しました」

「あの……何か?」


 私はイヴェットさんに敵対心があるわけではなかった。しかし、この人が来たということは、私に何か伝えるべきことがあるということで――つまりは天国か地獄が待っているわけだ。思わず身構えて、固くなってしまう。

 固くなったところで、固くなりきれていない自分に気づく。だって、そりゃあイヴェットさんが来たのには緊張するけど、イヴェットさんの恰好が……。

 イヴェットは肩から小さなカバンを掛けていて、中からは童話みたいな量の手紙が覗いていた。

 かわいらしくてつい頬が緩んでしまう。


「もう察しているようですが、あなた宛に手紙です。中は見ていませんが、必要があるのならすぐに返事を出しなさい。そのための紙とペンも持ってきましたから」

「あ、ありがとうございます……」

「しばらくしたらまた訪ねます。それでは――」


 イヴェットさんは退室しつつ扉を閉めかけたところで動きを止めた。今度は逆再生しているようにまた扉を開けて私を見る。


「ミス・ガートルード、生徒たちへの手紙の配達は仕方なくやっているだけで、この格好も私の趣味じゃありません。勘違いしないように」

「えっ!? い、いえ、私は何も……!」

「顔に出ていましたので。いいですか、この前なんてユスティナという子が五十通もの手紙をいっぺんに出すとかで大変だったのですから。今日もこの手紙を全部届けなければならないのですよ。激務です。微笑ましいなどと思わないように」

「はい! すいませんでした……!」


 今度こそ本当に扉が閉まって、イヴェットさんは仕事に戻った。

 私は急いで封のされた手紙を開く。差出人はアトラス様だった。

 アトラス様の文字はとても綺麗で、それでいて、それに見惚れる暇もないほど手紙の内容は衝撃的だった。


『街中でガートルードが侍女に暴力を振るうことに快感を覚える暴力令嬢だと噂になっている。他にも悪評がいっぱいだ。ハーリフォードで学友や指導員に迷惑をかけたりとか、最終的にはカネによって卒業を買おうとしているとか……』


 衝撃的だったのは、手紙があまりにも本当の私と違っていたからだ。

 そもそも私は家の名に恥をかかせまいと、完璧を意識して今日まで生きてきた。だから大事になるほど悪いことなんて絶対にしていない。

 だとするとこのゆがんだ情報は、今回の件で流れ出てしまったものだろう。噂がひとり歩きして膨らんでしまったのかもしれない。でも今回の事件はハーリフォードの中で起きたことだ。誰も卒業するまでここを出ることはできないし、脱走なんかすればもっと噂になって私の耳にも届くはず。外に今回の失態が漏れることなんて考えもしなかった。学校としてもまだ私が白か黒は不確定で、この件を世間に公表するのは早いはず。

 すると、学校にいる誰かが私をおとしめるために意図的に情報を流したとしか考えられない。


「ターシャね……!」


 私の直感がそう告げていた――いや、もはや誰でもそう思うだろう。

 アイツが外に漏らしたんだ。ご丁寧にありもしない私の罪まで付け足して。情報を外に流すくらいなら簡単だ。イヴェットさんはさっきユスティナという人が五十通も手紙を出したとか言っていた。手紙はいくら外に出しても許されるということだ。ターシャもきっとそうしたに違いない。

 それにしてもアトラス様の耳に届くほどまで広まるなんて……。

 これでターシャのお望み通り、クリンプトン家の方々から私への印象は最悪だろう。


 ただ救いなのはアトラス様がまだ私を信じてくれていることだった。


『君がこんなことをするわけがないと、僕はそう思ってる。だけど、今やもう君のことをよく言う人は少なくなってしまった。君には正直に答えてほしいんだ。そのためにこの手紙を出したのだから――』


 そんな内容で手紙は締めくくられていた。

 信じてくれている――とはいえ、彼の内心がどうだとしてそれが世間に反映されるわけでもない。それは私の中の光ではあったけれど、私の方から誤解を解消する行動を起こさない限りは評判が悪くなるばかりだろう。

 結婚できるか否かの前に、私のせいでドベスバルクが壊滅してしまう恐れさえある。

 お父様とお母様はどうしているのだろう。二人とも、風評被害を受けていなければいいけど。


「アンナ。あなたもこれを読んでおいて。私たちの現状が書かれているから」

「よろしいのですか……? それなら、失礼して……」


 問題は私とアンナにできることが限られている点だ。

 私たちはここから出られないし、それどころかこのままサヨナラなんてこともあるかもしれない。そもそもどうすればみんなが誤解だったと納得してくれるだろう。

 私が潔白だという証拠も、ターシャが悪者だという証拠もないから、結局舌戦になってしまう。となれば、こっちもアイツと同じようにネガティブキャンペーンをするべきか。しかし、それだと私の印象回復にはならない。私がやりたいのはあちらに傷を負わせることじゃなくて、こっちの傷を治すことだ。


「うーん……」


 ベッドに腰掛け、腕を組んで考えてもどうすればいいかわからなかった。

 いっそ両親の力を借りる……? でもドベスバルクとキャヴェンディッシュにそこまで大きな力の差はない。権力で一方的に解決なんて力技はできなさそうだ。

 それに、やっぱりターシャのせいでこうなったという証拠がない。あの家の人たちや世間から言いがかりをつけているだけだと言われたら、ドベスバルクの印象がさらに悪くなるに違いない。


「読み終えました……。ガートルード様、このままだとお家柄のイメージが――」

「そうよね。でも正直、私たちに何ができるのか……。取り巻きが多いし、きっとこっちが大声で叫んでも負けるし」

「で、でも、ガートルード様の誠実なお人柄を知っている人がきっと……!」

「その『誠実なお人柄』を知ってくれてるのはあなただけよ。悔しいけど、もう多数決で私は負けてる。価値観だって善悪だっていつもそうなんだから……」


 カネや権力。その差が私とアイツの間に大きくあるわけじゃない。でもその使い方によって、こんなにも力関係が変わってしまう。正しいことを――と思っていても、私のことを正しいと信じてくれる人がいないんじゃ意味がない。

 完璧だろうとした私の人生は無駄じゃないはずだ。でも今、限りなく無駄であったと言う自分がいる。もっと汚く生きていたら、ターシャのような征服する側だったらと思う。


 らしくないなあ、こんな悲観するの……。

 私なんてアンナに無茶させるくらい向こう見ずな性格だったはずなのに。


「わたくし、もうガートルード様の暗いお顔を見たくありません」


 ぴしゃりとアンナが言った。

 それは慰めの言葉ではなく、アンナの中での覚悟がこもった言葉だった。


「ターシャ様の奴隷になります……! どんな仕事でもするから、ガートルード様に関する嘘を全部撤回しろと、そう直談判してきます!」

「やめてってば。だめ、そんなこと絶対に私が許さない――」

「でもどうすれば! わたくし、ガートルード様ほど素敵な方を知らないのに、こんなことになるのが悔しくて……!」


 アンナは涙ぐんでいた。私がそれだけ罵倒しても、つらい仕事を要求してもそんなことはなかったのに。


「わたくしはガートルード様を尊敬しております。だから、お望みになることは全てやるし、それがとても楽しくて……。誰にもしないはずの罵倒も、ソフトタッチでお優しすぎる暴力も、わたくしは全部受け取ってきました。ガートルード様の愛を、感じてきました……。だからいっそ、この身を投げてでも恩返しさせてください……!」

「させるわけないでしょうが……!」


 アンナの声で怒りを覚えたのは初めてだった。

 厳密にはアンナを苦しめた現状への怒りなのかもしれない。でも、私は少なからずアンナの生贄のような作戦に呆れていたし、自然と語気も強くなってしまう。


「あなた、どれだけうちに必要な存在だと思ってるのよ! 完璧完璧って気ぃ張ってる私に好き勝手踏まれたがってドン引かせて、それが私の支えになったってわからないの!? あなたの前ならどれだけ柄が悪くてもむしろ喜ぶし、軽い言葉遣いだって許される。知ってる? 一流のお嬢様なんて侍女にもずーっと丁寧な言葉遣いしてるのよ。そんなんじゃ私の頭、爆発するっての。普通の侍女じゃない、あなたの前でしかできないことなの。しかも何、あのクズ女の奴隷ですって!? あなたバカじゃないの! そんなところ行かせるくらいなら、ここで二人死んだほうがまだいいわ。さすがに自分のことを過小評価しすぎよ」


 ふう、と息をつく。

 言うだけ言っておいて自分の声量が気になった。明らかに怒鳴り声だったから、もし部屋の外に誰かがいたら悪印象を加速させるに違いない。でもまあ、もう言いたいことは言い切ったけど。


「アンナ、あなたは大事なの。私の唯一無二の侍女なの。だから、どこにも行かないで」

「ありがとう、ございます……」


 アンナは泣いていた――が、同時に笑顔だった。


 実際、私の侍女がアンナじゃなければもっと窮屈な生活をしていただろうと思う。

 年齢も近いし、私に対して萎縮しない。かといって失礼だと感じることもない。侍女や家族よりももっと親友みたいな、柔らかくて安心できる関係みたいな人だ。


「ほら、もう泣かないの。私だってあなたの泣き顔なんか見たくないんだから」

「すいません……! ガートルード様から『バカじゃないの』と言われ、あまりの感動に涙が……」

「え、そこ……? まあ、なんでもいいか」


 もうアンナには自分を犠牲にするなんて考えてほしくない。と、同時に一度そう思わせてしまった私の力不足が悔しい。

 私は一瞬、そんな気持ちになったが、すぐにある女の顔が思い浮かんで別の感情を覚えた。

 ターシャ――アイツが全部悪い。アイツが憎い。復讐したい。

 こんなにも鮮明な復讐心は生まれてはじめて持ったかもしれない。


 今まで家の名を背負い、完璧でいい子を見せる必要があったが、こうなったら少し爆発してやろう。

 アイツに思い知らせてやる。私たちはただの箱入り娘なんかじゃないって。


「アンナ。ターシャに私の悪評は全て嘘だって認めさせるわ。それで謝ってもらう。すぐに私の噂がなくなるかはわからないけど、もうアイツを謝らせないと気が済まない」

「はい……! ですが、どうやって……」

「ひとつ考えがあるの。でも、どうしてもアンナの力が必要になるわ。それどころか、アンナが中心かも」

「お任せください。どんなことでもやってのけますから」


 アンナはいつでも頼もしい。けど、もし順位をつけるなら今この瞬間が一番だった。

 私はアンナに何をどうするのか説明しようとして――。


「失礼しますよ、ミス・ガートルード。返事の手紙は書き終えましたか」

「え……!? あぁっ、ごめんなさい! すぐ書きます!」


 私はその前にやらなきゃいけないことを忘れていた。

 それはアトラス様に手紙を出すだけでなく、私の復讐心がやれと伝えている作戦に必要なことだった。

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