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3. 踊りましょ!

 それからしばらくして、私の予想は的中し続けていた。

 テーブルマナー、社交術、芸術、裁縫――私はどれも学校に行く必要がないほど完璧なレベルでこなした。それもそのはず、私は学校に行く必要なんてなかった。小さい頃からずっと教えられてきたのだから。そして今、その全てを駆使してアトラス様のためにやらなければならない。私にとっては困難でもなんでもないが、ひとつひとつを完璧に仕上げた後は彼に近づけたような気がして嬉しかった。

 今までは家名を背負い、家名に泥を塗るまいと頑張っていたからプレッシャーだらけだった。でもアンナと一緒に、アトラス様のために頑張るのはとても楽しかった。

 たまにターシャに会って――別に会いたくもないのにアイツは何人かの取り巻きたちと私を待ち伏せするから面倒でしょうがない。でも、言ってくる言葉は全部負け惜しみにしか聞こえなくなった。

 アイツが何を言おうと、私の成績は変わらない。それに、やっぱりクリンプトン家の誰かが見ていると思うと戦う気は起こらなかった。そして何より、アンナが自分のM気質を我慢しているのだ。彼女が頑張って自分の気持ちを抑制している以上、私だってお手本になるような我慢っぷりを見せないといけなかった。

 だから私は今日も、あわよくばターシャの悪評が広まってしまえと呪いをかけながらスルーしていたのだった。


「アンナ、次はどこだったっけ」

「舞踏場です。次はダンスのご指導がありますから」

「それは楽しそう。嫌な人たちからのストレス発散にもなりそうね」

「ふふ、左様ですか」


 私は踊りが得意だった。いや、得意と胸を張って言えるようにたくさん練習したのだ。だって、好きな人と手を繋いで、くっついて、それで恥ずかしい姿を見せるなんてことはできない。だから他の教養よりも一段と気合いを入れてマスターした。いい結果で終わるのは目に見えている。


「ところで、誰と踊るの?」


 舞踏場に入ったところでふとアンナに聞いたが、アンナは人差し指を自分の唇に当てて――それは講師が話すから静かに、というジェスチャーだった。

 しばらくして、舞踏場に講師が複数人入ってきた。そしてその方々と踊るという説明がされたが、もしも侍女がいてかつ踊れるのならばそれでも構わないとのことだった。講師は険しい表情の女性やセバスほど年老いた男性もいた。それでも、私が一番自然に踊れる相手と言ったら。


「アンナ、踊りましょ!」

「はい。僭越ながら、ご一緒させていただきます」


 ダンスは個人の能力だけで完璧になるものじゃない。ペアとの心がどれだけ通っているかでクオリティは大きく変わる。なるほど、侍女にも教養があるかを見るのに、このダンスの指導は最適かもしれない。

 私が無茶ぶりをしていたせいで、アンナは侍女が持つ必要のないスキルまで身につけている。ダンスだって、他の侍女に比べたらダントツで上手だ。


 今回も私の思うアンナへの評価は揺らがなかった。手を取り、音楽に合わせて体を動かすだけで、自然と踊りになっていく。自然体で、しかし夢中になって踊ると、視界にも心にもアンナのことだけしか映らなくなった。もし結婚することになれば、その相手はアトラス樣に代わる。アンナと踊るなんて経験は、もう学校の中が最後かもしれなかった。

 寂しい気持ちとは少し違う。だって、やろうと思えば学校を出てもアンナと踊れるはずだから。だから、そう――私は別れだとかで感じるような寂しさを感じているわけではないはずだ。それでもなぜだか、今は早く前に進みたい気持ちよりも今が終わってほしくない気持ちのほうが大きかった。


 踊りと気持ちと音楽が重なる――。私はダンスのことをコミュニケーションツールであるとともに、ひとつの表現方法だと信じていた。そして今、それは間違いじゃなかったと確信するほどに気持ちよく踊れている。自分史上最高に楽しくて、一番うまい瞬間が今だった。


「ガートルード様――!」


 突然アンナが私を呼んで、強引にターンをしたと思ったら、グリッと彼女の足を踏む別の足が見えた。

 下手な人が間違えて踏んだわけじゃない。はっきりとヒールのかかと部分で、相手に怪我を負わせるために踏んだように見えた。


「あら、ごめんなさい。私、あなた方のような教育を受けてない初心者で。つい足が滑ったわ」

「ターシャ……!」


 ターシャは謝りこそしたものの、反省の色なんて見せていなかった。それどころか挑発するような言い方で、明らかな悪意がある。

 ターシャの隣には一緒に踊っていたペアがいて――そっちの女性は何も言わず、ただ冷たくこちらを見るだけだった。


 この卑怯者――!

 ついに暴力で私の邪魔をしてくるようになったのね――!


 でも、私には言えない。今ここで騒ぎを起こすわけにはいかないんだ。

 かといってこのままやられっぱなしでは……。そう、だってこんなひどいことする人なんて、しかるべき対処をするべきでしょ。

 けど、そうすればコイツは絶対に騒ぐ。事故に見せかけた今の暴力も、私の結婚を邪魔するためにやったもの――当然、ここで訴えても簡単に解決するわけがない。


「本当にごめんなさい。そうね、お詫びのしるしにアドバイスをあげる。怪我でも理由にして大人しく休んだほうが身のためよ」


 ターシャは高笑いしながらしれっと去っていった。

 殴ってやりたい――! 一発殴って、二度と構うなと叫んでやりたい――!

 私の頭の中は怒りでいっぱいだった。けれど、それを本人にぶつけてやれないのが悔しくて、怒りが徐々に虚しさへ変化していく。

 悔しい。どうにか一泡吹かせてやりたい。謝らせたい。

 綺麗な慈悲の心こそが褒められるのだろう。でも私には燃えたぎる復讐心しか湧いてこなかった。


「ガートルード様、申し訳ありません……」

「アンナ……! いいの、今日はもう休んで。足が折れてないといいけど――」

「わたくし、あろうことかガートルード様以外の攻めに……とても気分がよくなってしまいました!」


 は?


「ガートルード様の侍女でありながら、他の女に踏まれて喜びを覚えてしまうなんて……! 愚かです、わたくしはとんでもない愚か者です!」

「ちょ、ちょっと待って……。え、もしかしてノーダメージ?」

「うぐぅ……。『あんた、脳腐ってんじゃないの。ホントに使えない侍女ね』とのお言葉――ごもっともです!」


 いや、言ってない。

 なんて? 脳腐ってる? 私がいつそんなこと言ったのよ。

 さっき言ったのはノーダメージかって――脳ダメージ!?

 脳ダメージ→脳にダメージ→脳腐ってるってこと!?

 さすがに無理ありすぎでしょ! アニー、あなた脳の前に耳が腐っているわ!

 でもこれ言ったら、また喜んじゃうんだろうなあ……。


「とりあえず大丈夫なら踊り続けましょう。アクシデントだと勘違いされて評価が下がっても面倒だわ」

「はい! ふふ、いつかガートルード様のヒールもご堪能したい……」


 結局、本当にノーダメージのままダンスの時間は終わった。

 それどころか、アンナからするとプラスだったかもしれない。


 そういえばターシャと一緒に踊っていた人――もちろんあれは学校側が用意した人じゃないはず。となれば侍女……。でも、ずっとターシャの周りに侍女はいなかったし。

 あの人は一体誰だったんだろう。

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