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人を始めとする意識ある存在、知性ある存在、あるいはその残滓、とりあえず生命活動しているかどうかは一旦考慮せずに、ざっくりと霊長と呼ばれる存在には、構造的な共通点がある。即ち、身体と精神の二つの概念により規定される存在であるという事だ。もちろん突き詰めれば精神活動は、脳内現象に過ぎないし、全部身体における現象なのでは、と考えることも可能でしたが、社会における人間の精神活動も、一個人の精神活動一つ抽出してみても、全て脳内の現象と片付けるにはあまりにも複雑過ぎるし、一方であまりにも単純過ぎる。だから、人間は精神を持つと仮定した方が様々な議論が進めやすい。そして、紆余曲折を経て、彼の英雄に精神潜航を敢行した結果、精神、というものの存在について十分な証拠を得てしまった。魔法使いには様々な心象風景が存在するし、全く別の思考パターンを持つ人格も存在する。それらの矛盾こそが人の意識と非合理性を形作っている。彼の英雄ほどの魔法使いとなれば、その心象風景の数も、形成された人格の強度も只の人間とは比較にならない。それぞれが別の人間性を持つと言っても過言ではない。だから、彼の英雄の場合はそれらを統合する人格が存在する。その人格が存在することで、彼の英雄の冷静かつ合理的な判断能力が担保される。
この二大概念を有することを霊長と定義するのなら、動物の一部、特に哺乳類のうち、知性の発達が著しい種族(例えば人間とか)、一部の大型鳥類、一部の爬虫類、つまり人に飼い慣らされたドラゴン種や、時に世界にカナシミをもたらす悪として顕現するドラゴンは霊長に区分できる。生物学的には、生殖行為を行い、互いに繁殖力のある子供を産むことはないけれども、身体と精神により、互いに高度な意思疎通が可能な生命種族群。また、身体と精神を持つことを霊長の定義とするのなら、霊的存在 、つまり精霊、妖精もまた、霊長である。生物学的に生きていなくとも、霊長足りうる。ただ両者を隔てる違いは、身体と精神、どちらがより強力な概念により成立しているかという点に尽きる。生命は、その活動の大半を身体により行う。そして身体が滅べば「死」が訪れる。精神はあくまで身体の一部である脳内で実行されている副次的な活動に過ぎない。だから原則として、身体の方が概念的強度が高く、精神は相対的に低い。一方で、霊的存在は、精神活動ありきで、身体は副次的なものに過ぎない。物理的に身体を破壊されても、霊的存在が滅ぼされない限り、時には新たな身体を得て復活することもある。故に霊的存在と対峙する際には、精神の強度が問題となる。通常、人間の精神の強度では、精霊、妖精の精神の強度を上回る事はない。
この二大概念と並ぶ概念の強度を持つのが、魔法。
身体と精神に魔法という三つ目の概念を追加することで、魔法使いを含む、より多くの霊長の定義が可能となる。
一方で、魔法の概念を加えたところで、原則に変化はなく、概念の強度がより強い概念が他を規定する。魔法や魔術は身体や精神よりも可塑性が高い概念であるため、一時的に身体を強化したり、一時的に精神力を高めたり、一時的に物理現象を発生させることも可能である。優れた術式を構築すれば、ある程度恒常的な強化も可能となる。
ただ一つ疑問が残る。主に身体により規定される霊長が一部の生命種族群であり、主に精神により規定される霊長が霊的存在であるとするなら、魔法により規定される存在は果たして何なのだろうか、と。
私はそれこそが「神」と呼ばれる存在であると考えている。魔法により精神と身体を規定し、魔法によりこの世界に実存する存在が、我々の規定する「神」。
人が「神」となる試みも、「神」を創造する試みもその悉くが失敗に終わった。現在の人の技術では、魔法を理解できないし、身体、精神、魔法の調和を維持しながら、この世界に実在し続ける存在を作り上げることには至らない。いずれ技術が解決するかも知れないが、それは今ではない。けれども————
(ならば、貴女は何なのですか?)
私は彼の英雄に精神潜航する都度にその疑問を抱き、そして毎回その疑問に蓋をする。
彼の英雄は、身体よりも精神の方が概念の強度が強い。それはまだ理解が出来る。魔法使いが魔法により、一時的に身体を離れ、霊的存在として他者の精神に影響を与えることは現に私が行っている。当然魔術は複雑だし、誰でも行使出来る魔法ではない。魔力の消費量も尋常ではない。それに霊的存在が実在するのなら、厳しい修行の末に定常的に精神が身体の概念を上回る事も不思議ではない。所謂老魔法使いがその力を有することがあり、特に死ぬ間際に霊体だけで世界に干渉してくる現象は存在するらしい。
だが、彼の英雄の場合、魔法が定常的に、精神よりも強度が高い。まさに、我々規定するところの「神」と同じ魔力の流れが彼の英雄を規定している。「神」であるなら、魔法により規定された理論が、精神や身体の在り方と矛盾を起こした際に、精神が消耗し、身体が最も先に限界を迎えるのは必然である。そして霊的存在と異なり、魔法の概念強度が上回ることから、只の人間と同じように精神を鍛えることが出来るし、人間らしく傷ついたりもする。現在、彼の英雄の身体が先に限界を迎えているのは、彼女が「神」だからとも考えられる。だが、彼の英雄を「神」と見做すと、様々な点が矛盾する。そしてそれらの矛盾を解決しようとすると、彼の英雄に関する重大な可能性が生じる。だが、私は、その可能性について厳重に箱にしまい蓋をする。仮に彼の英雄にそれを問い質しても答えは得られないし、彼の英雄の治療に役立たない。今の私は彼の英雄を救うことに危険を冒しているのだから、知的好奇心を満たすのは後だ————