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「後は、貴方自身の精神と魔術式を可能な限り修復します。例え僅かでも、精神の負荷と、魔術の効率が改善すれば、貴女が旅を完遂する可能性が上がります。いつもの、荒療治を行いますが、貴女はこの点について何か思いますか」
彼の英雄は、目を伏せて、
「・・・・・・残念ながら、其女が期待する情動は抱けません。これは私自身の調整に過ぎませんし、其女の行為に歓びも、怒りも、カナシミも、楽しみもありはしません」
と仰りました。
(その言葉が真実なのか、それともただの虚勢なのか、分からないのよね。)
と私は内心独白する。
「きっと、本来ならば嬉しい、腹立たしい、嫌、恥ずかしい、安心するという返答をお返し出来ればよろしいのかも知れませんけど」
と彼の英雄は優等生のような回答を示すが、生憎それは求めていない。その回答は彼の英雄が感じている感情ではなく、一般的な感情に過ぎない。
「その情動を引き出すのが私の役目です。貴女は情動を感じたら、貴方自身の身体的感覚、心の欠落及び魔術式の通っていない道に結びつけて下さい。その概念を強く意識し、木に供給される魔力を最大化することを心がけて下さい。貴女は既にその概念を知っています。だが、理解が完全ではありません。それ故に木は停止し、基幹術式の魔力が乱れ、貴女の身体と精神の消耗を激しくしています。それに、貴女が旅の目的を達成する際にも、きっと必要になる概念です。それを知らずして、貴女は守護者となることはあり得ません」
何の確証もないが、私はあえて最後の言葉を断言する。もし彼の英雄が最後の旅を完遂させるのなら、その概念の完全な理解なくしてはあり得ない。仮にそれが出来てしまったとしたら、どちらにせよこの世界は救われないし、闇に堕ちる。この世界も滅ぶ。彼の英雄は、
「不完全な状態で旅に出発する訳にはいきません。貴女に理解できて、私に理解が出来ていない欠如があるのなら、私はそれを理解をしてから旅に出ます」
と殊勝に仰りました。私は努めて冷静を装いながら、確認をします、と宣言する。一応藪医者としての説明責任を持つという矜持と、私の一見良心のように見える非合理性が表出しないように蓋をし、自己正当化及び責任回避を行う儀式でもある。
「治療にあたり私は、貴女の精神に侵入し、心を観察します。貴女の心を私が観察することに合意しますか?」
————はい。
「治療にあたり私は、貴女の身体に接触し、双方の魔術式を深く接続します。双方の合意なく物理的な接触を解消すると、双方の一方、もしくは両方の脳、精神、心、魔術式が損傷する虞があります。そのため、一度接触を開始したら、双方の合意なく接続解除しないことに合意しますか?」
————はい。
「前項の接続解除をしようとする事象が生じた際には、私は私自身の安全確保の目的から、貴女の身体的自由を奪うことがあります。その際に貴女を傷つける可能性もあります。その際の責任は貴女に帰属します。合意しますか?」
————はい。
「仮に必要な措置を講じたにもかかわらず、物理的な接触が強制解除され、双方の脳、精神、心、魔術式が損傷した場合の責任は各自の自己責任とします。また、精神が崩壊し、双方魔法使いとしての責務を果たすことが困難になり、我々が規定する魔物と化した場合、生存している方が魔法使いとしての責務に則り、これを殺し、祓うことに合意しますか?」
————はい。
「最後に。これから行われる治療は、双方の認識において、医療行為ですが、人の一般的社会通念からすると、恋人、パートナー間で実施される性行為と相違ありません。双方、最大限の注意を払いますが、治療目的以外の身体的、精神的、魔術的影響が生じる虞があります。仮に治療目的の行為、あるいは治療目的以外の行為につき回復不能な損害が生じたとしても、双方の自己責任とし、相手に責任を問うことは出来ないものとします。合意しますか」
・・・・・・はい。
彼の英雄は最後の質問だけ目を伏せて答えました。
(本当に良いのかしら?)
この契約内容は、いくつかの条件が整えば、私は彼の英雄を深く傷つけることだって可能である。しかし、その可能性については、今は考えないようにする。その可能性は、本当の最終手段なのだから。今は選択すべきではない。
「・・・・・・では、準備が整いましたらいつもと同じようにベッドに腰掛けて下さい」
彼の英雄は冷えた紅茶に眉をひそめながら飲み干し、ベッドサイドに腰掛けました。
私は彼の英雄の右隣に腰掛け、しばらく彼の英雄の頭を撫で、絹の様に指が通る髪に指を通して梳いてあげました。
やがて、彼の英雄が私の方を見上げ、静かに目を閉じました。
私は、それを合図に彼の英雄の唇を奪いました。
最初は、下唇を甘噛みし、少しずつ彼の英雄の口の中に舌を挿れていく。舌で、鼻腔で彼の英雄を味わいました。
————確かに、紅茶はあまり美味しくないわね————
彼の英雄の口に残る渋みに、悪態をつきながら、彼の英雄の口腔内を弄んでいく。
そんな、夫婦でもしないような濃厚なキスを続けると、んっ、と少女の吐息に艶が混じってきました。
徐々に彼の英雄の身体の緊張が解けてきたので、キスをしながら、ゆっくりと彼の英雄をベッドの上に押し倒していきました。
彼の英雄は何も抵抗せず、ただ私の行為に身を任せました。
私は彼の英雄の襟を開け、互いの二重心臓の位置を重ねていきました。彼の英雄の右手と私の左手の指を絡ませ、私の魔術式を活性化させていく。
彼の英雄は頬を赤らめ、うなじまで充血していました。この程度まで緊張が解けていれば、後は私の潜航で十分対応できる範囲だと結論付ける。
(まあ、情動がなくとも、身体の機能には異常がなく、触られれば興奮もするものよね。)
と、私は内心独白する。とは言え、身体が反応するのはあくまで生理的・自動的なものに過ぎないので、当然と言えば当然でもある。
「・・・・・・宜しいですね」
私は最後の責任回避を行う。彼の英雄は短く頷く。
「精神潜航、スタート」
私は、私自身の魔術式を命綱に、彼の英雄の中に降りてゆく————