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最後の治療  作者: 朽木 花織
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「少しテラスに出て夜風に当たりませんか」

と、彼の英雄が無邪気に誘ってくる。

(こんな誘われ方したことは今までに一度もありませんでしたね。)

と私は回顧する。私は彼の英雄に散々告白を続けてきましたが、その都度に断られ、一度として甘ったるい誘いを受けたことはありませんでした。

その点に関しては私と彼の英雄の関係性にも進展があったと理解しても良いのかも知ません。

(最も私達の関心はこの世界の救済で、のんびりと恋愛する余裕が無かったと言うこともありましたけど。)

と、私は自嘲する。

「何か良いものでもありましたか?」

と無邪気な彼の英雄に誘われてテラスへとついて行く。しかし内心私は辟易としていました。何故なら、この後の展開は予測していたから。

「何という事でもありませんが、このテラスからの眺望はとても美しいですよ」

————知っています————と答えそうになるのをこらえ、私は彼の英雄の隣に立つ。

「この場所からは、王都の街並が良く見えます。以前と比べて、人々の活気も戻りつつあるようですね」

「以前にも、この来賓室に来た事があるのですか?」

「いいえ。でも王都には幾度も立ち寄っています。最初に来た時は森から親書を護送した折に、それ以降も幾度も王都には訪れています。王都に立ち寄った際には、夜の王都の街並を歩くことが多いのですが、黄昏が近づくにつれて人は静かになり、夜の帳が降りる頃には通りに人の姿などありませんでした。王都の人々はずっと何か怯えていました。しかし、今は違います。黄昏が近づいても喧噪は無くならないですし、夜の帳が降りても通りに人気があります。何より、それぞれの家から笑い声が絶えなくなりました」

「貴女は眺めているというより、聴いているのですね。五月蠅くはありませんか?」

「十分な距離があるせいか、五月蠅いと感じたことはありません。全くの静寂よりも安心できます」

彼の英雄は、暫く目を閉じ、王都の夜の喧噪に耳を傾けていました。私も王都の街並を眺めながら、人々の発する喧噪に耳を傾けてみました。

きっと、暴君ならば、王都の街並を見ても、何も感じないだろうし、まるで人がゴミのようだ、等と暴言を吐いたのかも知れません。しかし彼の英雄の言う通り、確かに王都の街並から人の発する息吹を聴き取ることが出来る気がしました。詳らかな事は分からないが、今の王都が人の生気に溢れていることだけは私にも解る。耳の良い彼の英雄は、より多くの声を聴いているのでしょう。

「これは、貴女が守り通した価値です。堪能する権利は貴女にあります」

と、私は申し上げました。

「私が護り通した訳ではなく、王都の人々が喪わなかった価値です。私はただ私自身の正しさに従って剣を振るい続けただけです。王都の輝きは王都の人々が自ら取り戻したものです」

「それでも、貴女が剣を振るわなかったら、王都の人々はそれを取り戻そうとさえしなかったでしょうし、いずれ喪ったことでしょう。人は惰性に引き摺られがちですから。貴女は王都の街並と、王都の人々の声に耳を傾けながら過ごされていたのですね」

「他にやることもありませんでしたし、王都の街並が奏でる音は私の回復の妨げにもなりません。きっと王都が世界で一番美しい街と呼ばれている所以です」

————貴女の心が美しいから、それが分かるのですよ————

という言葉を私は飲み込んだ。代わりに、

「————貴女が見つけた眺望はこれだけではないのでしょう?」

と、尋ねていました。

彼の英雄は、ええ、と短く相槌を打ち、別の方角を指さした。

「この場所からは港の様子がよく見えます。大分暗くなって見え辛いですが、まだ入港する船舶があるようですね」

彼の英雄の言う通り、港に夜間探照灯を焚いた中型船舶が水先案内用の小型船に誘導されてゆっくりと入港していく。

「戦時下では交易船舶の運航は滞っていましたからね。これからは連合に属する国との交易も盛んになりますし、これからは帝国との交易も盛んになります。今後港にはより多くの船舶が到着しますし、帝国からもたられた技術により、船舶も大きくなることでしょう。王女様は王都の港湾の拡張計画を承認したばかりです。10年後には王都は物流においても世界最高の都市となります」

と、私の王国秘書官の執務上、知り得た情報を共有する。

「王国には連合の基礎産業、帝国の工業、そして、魔法使いからもたらされる魔法と知的産業の全てが集まります。それらが新たな戦いの火種とならなければ良いのですが」

と、彼の英雄は不安を口にしました。それもそのはず。何時の世でも、戦争は利益が集まる場所で起こる。今回の戦いの遠因もその例に漏れない。ただ私は、

「その可能性はほとんどあり得ません。帝国はかつて道を誤り、王国に侵攻しました。武力で王国を陥落させれば、より多くの富を得られる、と考えてのことでした。しかし、それは間違いだったのです。王都の産業的価値は、連合との連携と魔法使いとの良好な関係、さらにそれらを支える王国の先進的な法制にありました。魔法使いを攻撃対象にし、魔女狩りを裏で扇動した帝国に、魔法使いが協力するはずがないという、当然の事実を見過ごしていました。魔法使いが消え、王が殺された王国は、産業基盤に乏しい、ただ街並が美しいだけの旧い都市国家になり下がりました。帝国としても、土地を奪うよりも、王国と交易を行う方が利益を得られることに占領後にやっと気付き、今は平和路線を邁進中という訳です。そもそも富のために例え他国の人間であろうとも、虐げて良い理由はありません。今はそういう考えを持つ者が指導者に就き、これから帝国内の様々な課題に対処されます。現在は、そういうパラダイムで帝国が運営されています。当面は帝国も内政の強化にかまけていると思います。とは言え、我が王国の政にも課題は山積していますし、これからが大変なのですけど」

と、私は答えました。

「王女様と其女には今後苦労をかけてしまいますが、どうか今後の世界を頼みます。此ばかりは私には出来ない事ですから」

「向き、不向きの問題です。大国が進むべき道を誤った際に、国ごと滅ぼすことが出来るのは、貴女位なものでしょう」

「私は国を滅ぼしたことはありませんよ」

と彼の英雄が私の方を振り返り、真顔で答えました。少し彼の英雄はむくれていました。

「旧態依然とした支配体制に君臨していた、能なしの指導者達に引導を渡し、結果的にまともな指導者の首にすげ替えることが、国崩しでなくして、何だと言うのですか?」

「それは私だけの力というよりも、王女様と、其女の力に依るところも大きいように思います」

「強行突破は貴女以外の誰にも出来ませんでしたよ。誰よりも鬼と神と怪物といった人でなしを殺したくせに。最も、謀略とハメ手は私も相当数仕掛けましたし、正攻法では王女様に敵いそうもありませんけど」

私は彼の英雄と共に巡らせた謀略のいくつかを回顧する。かなり非道なことも行った自覚はあるが、結果的に間違ったことをしたという後悔はない。

「我々は帝国に相当恨まれましたね」

「帝国に新たに君臨した女帝から、王国と帝国の無益な争いに終止符を打ち、戦争を平定した彼の英雄には、帝国の環境大臣の地位と、何不自由のない軟禁生活100年分を進呈します、と貴女に打診がありました。お受けしますか?」

と、今日大使館から届けられた手紙の内容をお伝えしました。

「謹んで遠慮させていただきますとお伝え下さい。帝国は空気が悪すぎます」

と、彼の英雄は答える。帝国内を旅する彼の英雄はよく体調を崩していました。

「もうそのようにご返答させていただきました」

「助かります」

実際のところ、彼の英雄が承諾しても、王国は彼の英雄を引き渡すことはあり得ない。

(彼の英雄を政治の場から遠ざけるのも、王国の役目なのだから。)

私は彼の英雄と共に暫くの間、港の船舶の動きを唯々観察していました。特段何か面白いという事もありませんでしたが、船舶により運ばれる人、物、空気は私達が走り回った様々な国々とそして帝国の土に繋がっている、と思うと少しだけ感慨深くなりました。そして彼の英雄と戦いに明け暮れた日々を思い出しました。

「・・・・・・今この世界に、純然たる力を以て打破しなければならない悪は存在しません。その意味で私は、すでにこの世界における役割を終えました。願わくば、正義により世界が導かれることを祈ります。王国とこの世界の未来を頼みます」

と、彼の英雄は私の名を呼びました。

「私程度の謀略が世界の安定に寄与するのでしたら安いものです」

「謀略はほどほどにして下さい。貴女は時々やり過ぎますから」

「善処します」

と、私は答える。

海風が潮の香りを運び、彼の英雄の長い黒髪を激しく揺らしました。すでに港における船舶の運航は止まり、港の灯りも、街の灯りも落ちて行きました。

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