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全ての準備を整えた後、王宮の尖塔の一つを昇り、彼の英雄がいらっしゃる来賓室の前に、私は立つ。唯一呪われていると噂されている来賓室。人ならざる超常の力を持つが故に人から恐れられた彼の英雄は、呪いと共に暫くの間、幽閉されることを選択した。
(とは言え、鎖に繋がれている訳でも無いし、王宮内は割と神出鬼没だったのだけれども。)
なので幽閉というのはあくまで方便に過ぎないし、実際のところは王宮外からの外出禁止か、あるいは自ら引き籠もっていると表現する方が正しい。
それに、彼の英雄は先の戦闘において激しく消耗していた。人でなしを殺したからでした。もし彼の英雄が最後の旅に出立するのなら、万全の状態で旅立つ必要がありました。そのためには十分な休息が必要でした。呪いのある来賓室は、普通の人間が好き好んで訪れないし、賓客として遇すると決定した王女様の面目も潰さない。彼の英雄を、危険だと、断じた物分かりの悪い人達を黙らせるにも、最適な選択ではあったのだ。彼の英雄は一人になる時間を得られるし、むしろ好都合だと考えたのだろう。
(でも何故かこういう事を目撃すると、毎度、釈然としない気分にさせられるのよね。)
そして、来賓室に存在する、と噂された呪いも、彼の英雄自らの調査により、何らかの悪意、害意が存在しないことを証明し、放置しても問題はないと結論付けた。つまり、呪いはあくまで噂に過ぎない、と。もっとも私は、初めて来賓室に踏み入れた時に、呪いの正体に気付いてしまいました。
(・・・・・・けれども今は、この呪いを利用させていただきましょう。)
私はひとつ深呼吸をして、来賓室の扉に手をかける。すると勝手にハンドルが回り、扉が開きました。
其処に、彼の英雄が立っていました。
「嗚呼、・・・・・・其女ですか」
彼の英雄が小鳥のように小さな声でさえずる。
「今晩、私の治療にいらっしゃると仰っていましたから、十中八九、其女だとは思いました。入って構いません」
彼の英雄が部屋に招こうとするが、私は一瞬躊躇う。きっと、私がこの部屋に入ったら、もう後戻りできない。きっと呪いが条件を満たし、私達に牙を剥く。引き返すのなら、今が最後の機会となる。だから私は、
「・・・・・・呪いを恐れないのですか」
などと、らしくもないことを彼の英雄に尋ねていました。
彼の英雄は一瞬不思議そうに首を傾げましたが、
「少なくとも、今現在、悪意ある呪詛がこの部屋に展開されている兆候はありません。私も十分に調べましたし、其女も調べていたと思います。念のために、我が弟子と一晩共に過ごしてみましたが、呪いが発動する兆候はありませんでした。だから、きっと、何もありません」
と、仰りました。
私は、そりゃそうでしょう、と内心申し上げそうになるのをなんとかこらえ、彼の英雄の招きに応じて来賓室に入室しました。
このような質問をすること自体が、自己正当化に過ぎないことを、私は知っている。
「これから私は、身勝手な欲望のために貴女を傷つけようとしますし、実際傷つけるつもりですけど、その時になって、こんなはずじゃなかった、約束と違う、と泣き寝入りしたり、怒るのは契約違反ですよ。心身が不可逆に変化する覚悟はありますか?」
と尋ねるのが、最も誠意のある尋ね方であるように思う。来賓室に存在する呪いは、人に対する悪意や害意で人を殺そうとする訳ではないけれど、結果的に私か彼の英雄のどちらかを殺す位の強度はありました。きっと相手が魔法使いでなければ、効果は覿面。だから、私はこう問いたかったのかも知れない。
「私と二人きりになったら、危険ですよ。きっと私か貴女のどっちか死にます。それでも良いのですか?」
と。
私は、来賓室の扉を閉め、物理的及び魔術的に施錠をする。これで、誰も来賓室に出入りすることが出来ない。誰も入れないし、出られない。また魔力の漏出防止の結界と気配遮断の結界を展開する。これで、来賓室の外側に来賓室でこれから起こる出来事を知られる事も無いし、外界からの干渉も出来ない。誰も邪魔も出来ないし、誰かが知ることもない。助けも呼べないし、助けも来ないし、来られない。ここから先は私達のプライベート。
彼の英雄は、
「一度、この塔内の別の部屋に立ち寄ったようですが、何か用事でもありましたか」
と、私に尋ねて来ましたので、
「特段重要な用事という訳でもありませんが、まあ、備えあればと思って、少し仕掛けをしました」
と当たり障りのない応答をしました。
「あまり王宮で騒ぎを起こすと、王宮に居辛くなります。貴女を側に置くと決めた王女様にも迷惑をかけます」
「その点はご心配には及びません。王宮から追放されない程度には上手く振る舞いますので。救国に尽力したのに、危険だ、とか後ろ指を指されて幽閉されているどこかの英雄とは違います」
「それもそうですね」
と、彼の英雄は自嘲気味に笑う。
(危険だとか、危険じゃないとか、人の判断基準は本当に曖昧ね。)
彼の英雄が危険だから塔に幽閉しようと言い始めた人々も、この英雄の何が危険なのか、誰一人として合理的な説明は出来ませんでした。長きに渡り戦いを続けながら、ついには只の人間を殺すことは無く、殺したのは鬼やら神やら化け物といった、人でなしばかりなのに。そして普通に他者を気遣うことが出来て、他者を傷つけることを厭う優しい英雄の、何処が危険なのか私には解らない。しかもこの英雄は世界の存続と、王国の復権に尽力して、その恩恵に預かった人の口が、彼の英雄は危険だ、等と口走ったのだ。
危険、という意味では私の方が間違いなく当てはまる。
私はどうでも良い人間を傷つけることを躊躇しないし、猛毒を薄めてみんなに飲ませることも厭わない。結果的に、少量の毒にさえ耐えきれない脆弱な人間が苦しみ、死んでしまうことがあったとしても、良心が痛むことはない。それが正しいことだと言い切る自信がある。
他人の人生も気紛れで狂わせるし、自分の命可愛さに、幾度かは人を直接手にかけて殺してさえもいる。私の手はすでに血塗れだ。私が危険だと言われないのは、単に、一見して私より力があり、危険そうに見える、彼の英雄が側に居ただけだ。
————結局、私は一見してまだ社会に繋ぐことが出来るように見える人でなしで、彼の英雄はあまりにも社会から外れているから危険そうに見えるだけなのかも知れない————
そんなカナシミに満ちた現実が頭を過る。