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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第三章『輝かしきあなたの、許せぬ面影』
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揺らぎ

 一月が経った。


 都市の中の停留所に馬車が止まる。 大小さまざまな街を中継してきたが、王都の次に大きい。 幌から冒険者が降り立つと、彼らが伸びをするよりも先に彼らを乗せた馬車は石畳の上をすっ飛んでいった。 「草草な奴だの」とレッパが裾に腕をしまいながら言う。



「周りは気にするな。 楽して馬車なんか使った俺らが悪いと思おう」



 降りて二秒も立たないのに、周囲の敵意の眼差しは凄まじい。 いつもは一身に浴びていたそれらが六分割されているのはある意味では幸いだろうが、そんなことなら自分だけに向けばいいのにとマブタは苦々しく思う。


 大きめの都市は避けて通って来た彼らだが、今回はどうやら訳が違うようだ。 この街がこれまでの都市と違うのは規模だけではない。 馬車の跡が刻まれた石畳の先を眺めると、周りより一際大きな建物が見える。 格子状の鉄が塀を形成し、厳めしく巨大な門扉の頂上には、神峰メセトニア帝国の国旗が描かれている。


 冒険者ギルドだ。 冒険者を統制し、依頼を斡旋する荒くれもの統括所。 そう考えると、鉄格子も牢屋のそれに見えてくる。 多くの冒険者目当てで露店も多く、街は一見して賑わっていた。 種族も多く入り乱れている。



「た、端的に言いますね」



 五人の視線を集めながら、サンティが人差し指を立てる。 私じゃなくて人差指でも見ていてくださいと彼女が切に願うので、マブタはサンティのしなやかに伸びた指を視界の中心に定めた。



「あの時期だね」



 フタバが先を読むと、嬉しそうに首を縦に振る。 しゃべる労力が省けたようだ。



「あの時期?」

「冒険者たるもの、仕事を放棄すれば生活が出来なくなる。 世の理だな」



 レッパが周囲を見渡しながら言う。

 彼女のような威圧感のある可憐な少女が辺りを見渡すだけで、玉座から下々の民を見下ろしているようだ。


 フタバ曰く、冒険者の仕事は人助けに繋がるものがほとんど。 彼らは当然そんなことはしたくない。 しかしやらなければ食い倒れる。 だから、定期的にてきとうな依頼を仕方なしに大量消化しているのだという。



「いっそのこと国庫から引き出してやろうかしら」

「王族でもそんなことしたらただじゃすまないだろ……」

「あら、血税が大嫌いな冒険者に流れてるなんて、いい嫌がらせになるでしょう」



 ルイは本音半分でそんなことを言いながら、石畳の上を進む。 両側に構えるレンガ造りの建物たちが恐れて道を譲っているようだった。



「前に来たときより冒険者の数が多いですね」

「マブタさんはこの街に来たことがあるんですか?」

「はい。 以前エセリアさんと一回だけ」



 一行が門扉を潜ると、中には門前よりも多くの冒険者の姿が、そしてそれにかこつけた依頼者らしきものたちが以前よりより多く見受けられた。 エルフのみの一党がすれ違いざまにマブタをクスクスと笑う。 中庭で飲んだくれたドワーフがマブタたちに野次を飛ばした。 翼と鳥の脚を生やした鳥人族も、器用に翼を動かして顔を隠した。


 ルイは無礼なものたちを睨み付けて黙らせると、中庭をズカズカと進む。 建物の古びた扉に手を掛けようとしたが、それより先にギシギシと悲鳴を上げながら扉が口を開いた。



「…………」



 ぬっと巨大な男が姿を現す。 見知った男だ。 慇懃無礼な目がルイを見下している。

 ショウドウ。 彼はこの前のようにルイに絡むことはしない。 舌打ち一つをお見舞いすると、さっさと歩いていく。 その後を、おなじみのメンバーが追いかけた。


 彼らが突っかかってこないのには理由がある。 ここ最近、何度も顔を合わせているからだ。 この一月で、彼らと顔を合わせたのはもう七度目になる。



「なんでこうアイツらと顔を合わせるのかねぇ」



 スズリがぼやきながら扉を潜る。 中は荒くれものたちで大騒ぎになっていた。

 各々が酒を呷り、机に脚を乗せ、腕相撲で力試しをし、賭け事が始まり、エルフが囃す。

 試合が終われば次は俺だと名乗りが次々に持ち上がり、気前のいい冒険者が酒を大量に振る舞う。 雑談は止まることがない。


 彼らにとってのオークが入って来たというのに、誰も反応を示さない。 命を賭けた仕事の前は、誰だって我を忘れるくらいに楽しみたいのだろう。



「仕方あるまい。 彼らも目的地は同じだからの」

「へぇ~、何でそんなこと知ってるの?」

「エシュナケーアの森の側にある街の騎士団育成学校で、近々大規模な適性試験がある。 エシュナケーアの森で、冒険者を相手取って森の深奥を目指す試験だ。 候補生の邪魔をする冒険者と、試験の障害を排除し警護する冒険者、双方に大量の人手が要る。 恐らく彼らにも要請が掛かったのだろう。 先の極圏からの襲撃もあって、名のある冒険者に声が掛かっている。 以前通った町に張り紙がしてあった」

「冒険者が警護ねぇ」



 スズリが皮肉交じりに笑う。

 ルイは彼らの雑談に混ざることなく、奥へ奥へ踏み込むと、あるところで立ち止まった。


 目の前の壁には溢れんばかりの大量の張り紙がされている。 羊皮紙にはそれぞれ様々な種族の文字が這っていて、大きくギルドの承認印が押されていた。 公式の依頼書だ。 多くの冒険者が品定めするように依頼書の周りをうろつき、気に入ったものがあれば強引に引きちぎり、受付へ。 ルイが遠目で依頼書を眺めていたが、マブタは、そのすぐ側にいる貧相な少年に意識を奪われていた。


 町には洒落た子供たちが生き生きと歩いているというのに、少年は薄汚れた麻の布を纏い、その顔は沈んでいる。 村から出てきたのだろうか、手には膨らんだ安っぽい麻袋が握られている。 近くにやって来た冒険者に話しかけているが、煙たがられて押しのけられ、また沈んだ顔を見せる。


 なるほど。 事情を察して、マブタは少年の元に歩み寄り、屈んだ。 尻が椅子にぶつかったので、直し、改めて屈む。



「どうしたの?」



 事情はもう聞こえているが、ずかずかと踏み込むわけにはいかない。 少年は異形の男に目を見開いて後ずさったが、「ぼくは冒険者だよ」と補足すると、恐る恐る口を開いた。


 追い詰められた人間は、案外現金なものだ。



「お、お母さんが、ゴブリンに攫われて……帰ってこない」



 少年の目に涙が込み上げる。 恐らく近くにある貧しい村の出だろう。 正式な依頼書になり得る羊皮紙も拵えることが出来ず、銅貨しか入っていない袋片手に直接冒険者に依頼をしにきたのだろう。 ゴブリン退治は、“ときに至難を極めることがある事案”だ。


 冒険者が気軽に受けたがる仕事ではない。 このままでは、彼が母親と会うことは二度とないだろう。



「それ、いつのこと?」

「き、昨日……」



 まだ間に合うな。 マブタは急ぎ覚悟を固めると、立ち上がり、少年の頭を撫でた。



「いいよ。 ぼくが連れ戻してくる」

「ほんとッ!?」



 少年の瞳に希望が宿る。 マブタが一つ大きく頷くと、少年は跳ねるように手に持った袋をマブタに押し付けた。 マブタは今度は首を横に振ると、土に塗れた袋を押し返す。



「お母さんはお腹がすいてるだろうから、これで美味しいものを買ってあげるといいよ」



 少年が首を傾げていると、背後で深いため息が聞こえた。 マブタは不服そうな一行を振り返る。



「依頼を受けましたよ」

「そんな依頼ごめんだね」



 マブタの言葉を一刀の元に拒否したのは、スズリだった。

 彼は険しい顔で、マブタの問いかけるような視線に応えた。 マブタの横を通り過ぎ、中身に目を通すことなく依頼書の一枚を引きちぎった。 さっさと出口へ歩いていく。



「私たちは自らの生活のために、割のいい仕事を探しにきただけですから」

「……でも……」



 サンティも申し訳なさそうに、されど少年に対する一切の無情を顕にして、マブタの横を通り過ぎる。 背後で、依頼書を破り取る音がした。 マブタの手に力が籠る。



「そうそう。 どうせ今頃その母親も孕み袋にされてるか、殺されてるかだろうしね。 やっすい仕事なんてやることないよ」



 フタバが頭の後ろで腕を組みながら辛辣に少年を突き放し呑気に視界から消えていく。



「……悠々と流れるときのなかでは、誰かにとっての悲劇もまた一瞬で些末なものだ。 誇り高き竜族は、そんなものを守るために炎を授かったのではない」



 レッパが相変わらずどこか遠くを見ているような銀色の双眸を動かすことなく歩いていく。 肩に乗せられた手が重くのしかかる。 少年が不安そうにマブタを見上げる。

 最後に残ったルイの切れ長の瞳が、マブタを静かに見つめていた。



「ぼくは行きます」

「…………姉さんみたいなこというのね、やっぱり」

「ぼくは、悪いと思ったことはありません」



 舌に乗せた音ではなく、ルイの心の声に、マブタは言葉を返した。



「私たちは自分たちのためにこんな場所に来たのよ。 寄り道してる場合じゃない」

「僕の記憶は急がなくてもいいです。 冒険者が慈善団体じゃないのも知っていますが、それでも、エセリアさんは手を伸ばされない人を見捨てたりしなかった。 自分が何を失うことになっても。 それは間違っていますか?」



 ルイの青い瞳の中に記憶の川が流れているのが見えた。 ルイに笑いかける、エセリアの顔だった。 彼女はそんな優しい記憶を放り捨て、言う。



「私は、あなたが私たちと同じだと思っていた。 この不条理な世界を憎んでいると。 だから助けた。 ……でも、違うのかしら」

「違ったら、ぼくはあなたの敵ですか。 他の人間と同じように」



 がやがやとした背景すら沈黙に思える。 ルイの佇まいは美しかった。

 彼女の瞳の中で渦巻く激情すら、研ぎ澄まされて、美しさに花を添えている。

 それが、余計に度し難い。



「………………勝手にすれば。 私は姉さんとは違う。 母親ごと殺していいなら、付き合ってあげるわよ」



 ルイは俯いて、マブタの横を抜けていった。 金色の尾が、マブタの頬を通り過ぎざまに撫ぜる。 びり、と強い音で紙が悲鳴を上げた。



「……ぼくは必ず助けます。 ルイさん、あなただって」



 扉へと向かうルイが、足を止めた。



(私がいつ助けを求めたかしら? ……いつだったかな)



 振り返ることなく、ルイは自分の道を進んでいく。





 マブタは結局、一人で出立した。 目的地は都市を出て数時間歩いた先にある村からさらに二時間近く歩いた先に構える森。


 それほど大きくはないが、古代の遺跡が多く点在しているらしく、ゴブリンが巣穴を持つのならまずその跡地だろう。 おっかなびっくりした村の人たちからいくつかの遺跡の場所を教えてもらい、マブタは準備を整えて森の中に入った。


 半刻も進むと、茂みが多く、視界が悪くなる。


 上から落ちてきた葉が服の間に滑り込んでくる。 上を見上げると、昼真っ盛りだというのに遮られた陽光がちらちらと消えゆく残り火のように揺れていた。 雨風に晒され傾いた木々からしだれた蔓を払うと、足元に、大量の足跡がある。 滅茶苦茶な集団行動の跡に、引きずったような跡。 間違いなく狩りを終えた後の小鬼族たちのものだ。 エセリアとの寄り道で、幾度となく見た光景だった。


 頭の中に、雑音のような音が聞えてくる。 ゴブリンたちの声だ。 彼らは思考が人間ほど発達しておらず、本能が漠然として思考に現れる。 そのせいか、マブタにはノイズに聞こえるのだ。 ただ悪辣で正直な、忌むべき本能の塊。


 おかげで、これまで伏兵や見張りに先に見つかったことはないのは幸いだった。

 後は、“運がいいか、悪いかだけ”。 茂みの先に光を見て、足音を忍ばせる。


 遺跡だ。 白亜の大理石で建てられた荘厳な建物が、膨らんだ崖に接地している。 といっても、時間に吹かれその威厳は今や風前の灯。 中ほどから薙ぎ倒された石柱には蔦が絡み、何かを祀っていたらしき像は土台から上が根こそぎむしり取られていた。 一体いつの遺構なのだろう。 まるで力尽きて崖に寄りかかっているようだ。 地面には辛うじて土に埋まらなかったでこぼこの石畳が微かに露出している。


 崩落した瓦礫で、信奉者を悠々と受け入れていただろう入り口は大人二人が通れる広さしかない。 その手前のひび割れた階段に、三つの緑の影があった。 足元をトカゲがさささと這っていく。 遺跡を目指して勇ましく歩を進めた小さな命は、十数秒のときを過ごした後に、頭上から投げ落とされた石によってあっけなく押しつぶされた。 げらげらと笑う緑の小人たち。 雑な継ぎ接ぎをされた革鎧がつられて音を立てた。



(装備が整ってる……見張りもいるし、大きな群れだな……“あれ”じゃないといいけど)



 だが周囲に他の仲間がいる気配はない。 やることは決まった。



(これだけの規模の群れなら音を立てる罠くらいはあってもいいけどなぁ)



 いささかの疑問は残るまま、マブタはこれからの動きを組み立てる。 マブタ一人では、ゴブリンの群れに到底太刀打ちは出来ない。 だが、奇襲で二、三体排除することなら可能だ。 裏から回って、見張りの三匹を倒す。 後は、背中に背負った麻袋に大量に積んだシラツブクサの葉を燃やして煙を中に流しておけばいい。


 シラツブクサは、メセトニア帝国南部に生え、毒さえ抜いておけば食用としてもよく使われる冒険者の友だ。 しかし、毒を抜かないと眠るように昏倒する。 致死性はないが、巣穴全体にその煙が回れば、接敵なしに攫われた母親を連れ帰ることが出来る。


 後はマブタから正式な依頼書を立てて他の冒険者にこの巣穴を叩いてもらえばよい。


 あとは、迷路のように開拓された遺跡の中で獲物が捕らえられた場所を見つけること。

 要は時間との勝負だ。 マブタは煙を吸わないために大きな布を口元に巻くと、鉄のこん棒を荷物から取り出した。 相手が例え相容れない敵であっても、マブタの手を震わせるには十分だった。 


 足を忍ばせて裏に回ろうとした矢先、マブタは不意に気配を感じて、背後を振り返った。


 ……最初は、気のせいかと思った。 しかし、目を凝らすと、その人陰は茂みの隙間からマブタに向けて、確実に、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 あまりに不気味だ。 黒いローブはぶかぶかで、フードで顔は見えず、足音もなければ心の声も聞こえない。 まるでフードが意思を持って夜の町を独りでにうろついているようだ。 カナタと違い、正体を悟らせまいとする明確な意思を感じる。 男か女かも分からない。 心は聞こえないが、その姿勢から感じるのは、マブタにとって不利益な存在であること。



 ――まさか、手紙の主の、ダークエルフ――?



「誰ですか?」



 声を小さく低く、警戒を顕に問いかける。 影は答えない。 その代わりに、影は立ち止まり、ローブから手を出してマブタに翳す。


 一瞬の出来事だった。 翳した手に金色の腕輪が見えたと思った瞬間、影の手に黒色の闇が収斂されていった。 マブタが退避の行動を取るよりも先に、闇が一筋の閃光になって視界を覆い、マブタの胸で破裂した。


 闇が弾け、胸が焦げるような痛みに意識が掻き回され、力の向くままに吹き飛んだ体に視界が追いつかない。 木々をへし折り、でこぼこした石畳に叩きつけられた。 青い空を捉えた瞬間、マブタは湧き上がる体の痛みに呻いた。


 叩きつけられた背中の激痛に肺から空気が吐き出される。 胸から肉の焦げる音が立ち上り、マブタは死の迫る気配を感じて強引に周囲の空気を吸い込み、咳き込みながら体を起こした。



「あ、あなたは……ハァ、あの手紙を、書いた人なんですか……!?」



 影は答えない。 草陰から姿を現しても、その影の姿は一向に掴めない。 しかし、ある種の確信のような感情を持って、マブタは問いかけた。



「多すぎる罪と言うのは、何です……!? ぼくは何をしたんです!?」



 微かに見えた口元が、笑ったのが見えた。 そんな発見を遮るように、ぎゃあぎゃあと耳障りな警戒の音が響く。



「しまった……ッ!!」



 ゴブリンたちのひん剥かれた目玉がマブタを見て、下品な口元が遺跡の中の仲間に敵襲を……いや、獲物の到来を伝える。



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