不運な再会
「あれは何をしてるんですか?」
夕刻。 彼らの基本的な冒険のスタイルが街から少し離れた場所で夜を過ごすことらしいと知ったころ。
マブタは、草原の中の突き出した岩の影で荷物を広げながら、遠くにいるルイとサンティを見ていた。 ルイは遠くの都市の城壁を憂鬱そうな目で見つめ、彼女の二つに分かれた髪をサンティが手で透いている。 サンティの手には白い光が纏わりついている。
マブタが気を失う前に見た光と同じだ。
「魔法だよ~」
フタバが反り立つ岩のてっぺんで寝そべりながらぼやく。 相変わらず器用だ。 彼女の言葉を、スズリが繋ぐ。
「霊脈。 体の中を流れるその力を自在に操り、大気中の魔力に命令して仕事をさせるのが魔法……東の方では気功法とか言われるらしいな。 まぁ、それが出来る人間は、杖とか錫杖にその力を流して魔法を行使する。 力を持った杖は、その動きが全て魔力に仕事をさせる命令になる。 それと、言葉も霊脈からの力を持つ。 杖の動き、口から吐く呪文、それらが複雑に組み合わさって、式となり、魔法が生まれる。 魔法陣を描く奴もいるらしいな。 効果はデカいが、構築に時間が掛かる」
「だが、サンティは凡百の魔法使いとは次元が違う。 あの娘は天才だ。 式を手だけではなく体全体で構築することが出来る。 同じ呪文でも、小指一つ曲げるだけで効果の変わる魔法を体系化し、論理を組み立て、それを駆る膨大な知識を持ち、そしてそれを戦場で寸分の狂いなく行使する冷静さと飽くなき探求心……まったくもって抜かりがない」
魔法を悪しきものと見るレッパでさえ、サンティの魔法だけは認めているようだ。
そんなことを言っている間に、驚くことが起きた。 サンティの触れていたルイの金髪が、宵が訪れたように黒く染まっていったのだ。 「わぁ」と、少女のような声がマブタの喉から出た。
「魔法に不可能はない。 ただそこに辿り着く叡智を持っていないだけ。 あの娘がよく言っていることだ。 故にそれは、御神の領域を荒らしかねない……」
「食料の調達のときは、いつもサンティがああやって誰かに魔法を掛けて目立たない格好にしてるんだ。 あのバカは昨日それもしないで街に出たみたいだけどな」
「ねー。 そーいえばさー」
フタバが間延びした声で眠そうに口を挟む。
だが彼女は、その口で妙に説得力のあることを言った。
「マブくんの見た目って人間にしては珍しいじゃん? それって、魔法で変えられたってことはないのかなー?」
スズリも、レッパも、マブタも、フタバを見上げて黙った。
確かに、それは大いにあり得る話だ。 マブタはこの見た目故に、多くの迫害を受けてきた。 彼が感じた苦しみは、明らかに手紙の送り主の文意に沿っている。
「それはないんじゃないかな……」
しかし意外にも、控えめに、されど力を込めて沈黙を破ったのは戻って来たサンティだ。
「魔法に不可能はないけど、今のこの世界の知識全てを集めても出来ることに限界があるのが現実……私の髪の色を変える魔法だって、一時間しかもたないですし……見た目を変えて、それもこれだけの長い時間解けない魔法となると、この世界の知識全てを手に入れた仙人でもないと、無理かな」
でも、そんな魔法、やってみたいな。 サンティは内心を弾ませるが、フタバは両手を上げて「なーんだ、外れちゃった!」と不満な様子だ。
ルイも戻ってくるが、彼女の瞳は、どこにでもいそうな黒になっている。 それでも溢れ出る気品と可憐さは、魔法では誤魔化せないらしい。
「ルイさん。 その姿でも、とても綺麗ですね」
マブタは思ったことをそのまま言ったが、数秒後に、皆の視線が自分に集まっていることに気付いた。 何のことか分からずに周囲を見渡す。
「老生は、大胆な物言いは好きだ。 時と場所を選べばな」「ひゅー、マブくん大胆」
諭され、囃し立てられ、サンティは顔を真っ赤にし、スズリはわずかに白目を剥いていた。 ルイは「あ、ありがとう」と俯きながら頬を掻いた。
どうやら人の褒め方にもコツがあるらしい。 エセリアも似たようなものだったはずだが。
「じゃあ……行ってくるわね」
「あ、ぼくも行きます!」
マブタは手を上げながらそう口にした。 自分が同行しても足手まといになる、それどころか要らない感情を煽るだけだろうが、彼女を一人で町に行かせたくはなかった。
「俺も行く」
張り合ったのは、スズリだった。 怪訝な顔をしてそう主張する彼の内心は、有り体に言って焼きもちだった。
(スズくん……普段はそんなことしないくせに……!)
そんな彼を見て焼きもちを焼く人間もまた、二名ほどいたわけだが。
「何よ。 別についてこなくてもいいけど」
「お前一人じゃ寂しいだろうからついてってやるって言ってんだよ」
「アンタなんかいなくたってどこも寂しくないわよ!」
顔を赤らめて強く訴えるルイ。 スズリに見せる初心な反応が、どうにもマブタにはもどかしい。 フタバとサンティも隠れて口元を尖らせる。 レッパといえば、若者の色恋沙汰にはてんで興味がないようで、夕風の調べに耳を澄ませて細い息を吐いていた。
同行するしないの件は、そんなやきもきするやりとりをしばらく続けた後、やれやれといった様子でレッパが片をつけた。
結論から言って、マブタとスズリの同行は許された。 しかし、彼らにも、サンティの魔法が施されることになった。 新しい実験体を見つけたようなサンティの笑顔が、ちょっと怖かった。
☆
小規模な都市だった。 悪い噂が立ったら街全体に広がるのは一日も掛からないだろうなどと考えながら、マブタは左の掌にある暖かい感触を思い出して顔を赤らめた。
「おい。 痛ぇよ」
「あ、すみません……」
「何照れてんだよ。 男同士で照れることじゃねぇだろ」
マブタは、指摘されてスズリの手を握る手の力を弱めた。
サンティの魔法は、見事にマブタとスズリの姿を消していた。 冒険者風の少女に目を向けはするものの、その後ろをついていく二人の男には目も向けない。
魔法とは恐ろしい。 町の人間にも、ルイにも、二人の姿は見えていないという。
ただ制約として課されたのが、二人が手を繋いでいることであった。 手を離すと、二人の姿はたちまちに衆目に晒されるという。 ちなみに、手を繋いでいるマブタにすらスズリの姿は見えない。
「ちょっと。 もう少し静かに歩けないの」
ルイが振り向きながら目尻を上げて釘を刺す。 見えなくても、声は聞こえる。 何もない場所から何者かの声が聞えたら、さすがに不自然だ。
立ち並ぶレンガの家々を抜け、めぼしい店を探す。 小規模と言えど、人の流れは多い。 手を繋ぎながらぶつからないようにするのは苦労を伴った。
やがて、棟を構えるパン屋の前に一行は辿り着く。 敬虔な国民がいるのだろう。 店の前には神峰メセトニア帝国の女王、つまりルイの母親の肖像画が煌びやかな額縁の中で飾られていた。
ルイに似て鷹の目のような鋭い青の眼光を持ち、金色の御髪は大らかに波打っている。 「お若い女王ですね」とマブタが感想を口にすると、「どこがよ。 もう立派なおばさんだわ」とルイが苦々しい顔で言い返した。 「まぁ、こういう絵ってのは盛りがちだからな」と、次いでスズリがフォローに見せかけて女王に皮肉を吐いた。
それから、ルイに反対され、二人は店の前で待たされることになった。
何となく気まずい空気。 人々の往来を眺めながら、時が過ぎるのを待つ。
スズリが、不意に口を開いた。
「どうせ、心を読まれてるんだからハッキリと言うぞ」
「ええ」
「俺は、お前のことが気に食わねぇんだ」
彼がそれを言おう言おうとしているのを、マブタは知っていた。 だから大して驚きはしない。 彼の姿は見えないが、きっと苦い表情をしているはずだ。
「アイツに優しくされてるお前を見てるとむかつくぜ。 アイツ、俺とは素直に会話もしねぇのに。 アイツの頭に角が見えてくらぁ。 なのにお前と話してるときときたら……」
子どもが棒を片手に子犬を追いかけまわしている。 何となくそんな光景を視線で追いかけながら、マブタは言った。
「スズリさんは」「スズリだ」「……。 スズリは、ルイさんのことが好きなんですか?」
「……。 まぁな。 笑ってくれよ。 想いは伝えられないくせに、文句だけはちゃんと言う男さ俺は」
マブタの大きな手を握る手が、少し強張っている。 子犬を追いかける子どもが、すぐ側まで来ていた。
「そうは思いませんよ。 嬉しいです。 そうやってぼくに言ってくれるってことは、ぼくを仲間として受け入れるために、真っすぐ向き合ってくれてるってことですよね」
「深読みしすぎだ」
子どもが、子犬を追いかけるのをやめて立ち止まった。 どこかから聞こえた声の出所を探しているのだろう。
「スズリはそう言いますけど、羨ましいのはぼくのほうなんですよ」
「何でだよ」
「スズリは素直に会話をしてくれないと言っていますが、それがルイさんの素なんだと思いますよ。 好きな相手には、素直になれない。 一枚の皮も被らずにあなたに向き合って、あなただけの顔を見せてる。 とっても羨ましいです。 ぼくに対する優しさは、お姉さんから託された宝物を、必死に大切にしている……そんなところですから」
子どもが視線を左右に動かしている。 声の出所を見つけたが、姿が見えない。 マブタが口を開けばそちらを、スズリが口を開けばそちらを見るが、何も見えなくて首を傾げていた。
「お前も、アイツのこと好きなのか?」
空いた手で頬を掻く音が聞こえる。 マブタは、彼の質問に少し顔をしかめた。
マブタはエセリアのことが好きだった。 彼女から、男女の情……恋については教わった。 それはエセリアに感じる感情かと問うたが、彼女は少し違うと言った。 清涼な風と穏やかな日の光に似て、しかし、それはときにもっと激しく熱く、恐ろしいものだ、と。
街中で時々見かける、相手の裸に触れたくなったり、深い口づけを交わしたくなるような感情のことかと尋ねると、エセリアは照れながらマブタのことを叩いた。
だが、そういうところからも、人間の愛や良心は生まれるらしい。
街中で沢山見てきたそれがいざ自分に芽生えたという実感は、中々得られなかった。
まだ、出会って間もないのに。 それがどうにもいたたまれないような気がして、マブタは首を傾げた。 確かに、あの日処刑台に降り立った彼女の気高さは、何よりも美しかったが。 とはいえ、ルイに感じるもどかしさなどは、まさにそれなのだろう。
「…………どっかいけ、クソガキ」
間を繋ぐように、彼は目の前で立ち止まる少年に声を掛けた。 少年はさらに首を傾げていたが、やがて棒で地面を鳴らしながらどこかへ歩いて行った。
「ぼく、まだルイさんと出会って間もないんです。 それで好きというのは、変ですか?」
「何も変じゃねぇさ。 俺だって“これ”が始まったのは出会ってすぐだ」
厄介なことのようにスズリは言うが、それが悪いことには思えなかった。 エセリアも、恋はいいものだと言っていた。
「よかった。 だったら、ぼくもルイさんのことが好きです。 まだちょっとよく分からないですが、きっと」
マブタのそれは、恋というにはまだ幼く、曇っているような気がしたが、初めて覚えたこの感情が異常なものではないと思うと、安心できた。
「そうかい。 ライバルが出来るだろうなとは思ったさ。 まぁ、美人だからな」
「誰の話?」
そうですね、本当にとマブタが笑って相槌を打とうとするよりも先に、戻って来たルイの声が差し込まれた。 スズリの手が、びくんと震えたのが分かった。
ルイの視線は、微妙にズレたところを見ている。 抱えた収穫は重そうだ。
「ああ、今、ルイさ――」
「さ、さっき目の前を通った女の話さ」
マブタの言葉を遮り、スズリが慌てた様子で言った。 そう、とルイは怪訝な顔だ。
(そういうのは面と向かって口にするもんじゃねぇ)
(まぁ、見えてないから面と向かってはないけどな)
スズリが心の中で文句を言ってくる。 しょうもないユーモアが続くのは、どんな人間でも心を読めばよくあることだ。 人には素直じゃない云々と言っていたが、スズリも似たようなものだな、とマブタは思った。
「ありがとう、スズリ」
先ほどの感謝を伝えた瞬間、スズリの気配が静かになったような気がした。
(ありがとう、か。 その言葉は……聞きたくないな)
「……やっぱりお前みたいな裏表のないやつは気に食わねえよ」
小声でそう言ったスズリの脳裏で、金色の髪が波打った気がした。
☆
足早に町を去ろうとしたときに、事は起きた。
「ほう、これはこれは、王女様じゃないですか」
「……ショウドウ」
ルイの前に立ち塞がる、白の巨躯。 金色の威圧ある双眸が、ルイのちっぽけな体躯を見下ろして笑っている。
後ろに控える三人の冒険者を見て、マブタの記憶がカッと思い出された。
マブタが生まれてから、最初に出会った人間たち。 勘違いを生む状況であったとはいえ、何か月かぶりに彼らを前にすると手に力が入った。 スズリも手に力が入り、ルイの顔も張り詰めている。 彼らとも、因縁がある冒険者なのだろうか。
「お姉さんのことは残念でしたなぁ。 しかしまぁ、大罪人のオークを逃がしたといって、巷では大騒ぎですよ。 皆、『醜悪姫』が遂に本性を現して言葉無きものの味方に付いたと。 俺は止めたんですがねぇ」
「直接言ったらどう? 自分がそう思いましたって。 醜悪姫だなんてバカにしておいて不敬罪を怖がるなんて相変わらず卑怯な奴ね」
ルイの反駁に、慇懃無礼な大男が赤ひげを擦りながら「滅相もないですよ」と笑う。
フードに寄生されたような小柄の少年(カナタと言ったか)が、隙間から紺色の目を覗かせて言った。
「姉が死んだっていうのに、そんな折にこんなところでお忍びで何してるの?」
少年の後ろで、黒髪の少女が今にも刃を抜きそうな緊迫した状況の中で目を泳がせていた。 今日も、奇妙な赤い制服を着て、頭にはウサギの耳のようなリボンを乗せている。 名前はナナセ。 弱気そうな彼女だったが、ルイと目を合わせるなり、その顔を凍らせた。
「あら」
ラフィアナ。 マブタに矢を突き刺した森人の女性の尖った耳が、ピンと動いた。
「お連れがいらっしゃるのね」
マブタたちの存在が、バレた。 ラフィアナが目配せするや否や、カナタの埋もれた袖から銀色の杖が飛び出した。 輪郭に沿って、白い光が流れる。
「『炎の精よ』」
呪文を唱え、杖の先端をルイの背後の虚空にかざす。 先端から吐き出された小さな火球が、マブタたちに向けて一直線に飛んでくる。
見えないスズリの身体が、マブタを突き飛ばす。 驚いたマブタは、力の向く方へ為す術もなく転んだ。 火球は虚空に着弾し、爆炎を上げた。
道行く人々が、喧騒に足を止める。 立ち並ぶ家々の二階から住人が顔を出し、何ごとかと黒煙の出所を窺う。 エルフもリザードマンも人間も、入り乱れて事を見ていた。
悲鳴が上がった。 手を離したことで、マブタとスズリを覆う魔法が解けたのだ。
「オークだ」(気持ち悪い)「リィナ、隠れなさい」(あれってこの前、エセリア様を殺したって言う)(言葉無きものだ)「こ、殺されるぞ!」(なんだなんだ、冒険者のいざこざか、いい見物だ)「豚だ!」
逃げ隠れるもの、興味本位で前のめりに覗くもの反応は様々だった。
スズリの舌打ちが聞える。 火球が直撃したのだろう、彼は服に引火した火を暑苦しそうに手で払っている。 さすが煌魔族、素の耐久力が桁違いだ。
彼が舌打ちしたのは、ルイの髪色までが元に戻ってしまったからであった。
晒された金色の髪に、どよめきが広がる。
(醜悪姫……)(エセリア様を裏切った悪の女だ……)(反逆者)(言葉無きもの)
直接なじる声はない。 だが、負の言葉が、小さくも確実に囁かれていた。
「ほう。 王女殿下は豚を飼う趣味がおありかな?」
ショウドウが大きな声で口を開いた。 あえて大きく吐き出した言葉は、意図の通りに、群衆から嘲りを引き出した。 処刑されろとヤジが飛んだが、ルイが睨み付けると瞬く間に委縮していく。
ショウドウはルイに歩み寄ると、抱えた袋から細長いパンを取り出し、嘲笑を浮かべる。
「これは知らなかった。 悪豚族も人間と同じものも食べるんですな」
パンを無造作に袋に投げ入れる。 その姿勢に、敬意など微塵もない。 後ろで、ラフィアナが唇に手を当ててくすくす笑う。 ルイの握力に袋がぐちゃりと潰れる。
これ以上はこの街にいられない。
「あんまり気を立たせるな。 こんな小物どもを相手にしたって疲れるだけだろ」
スズリが後ろからルイの手首を掴み、引く。 ルイは小さく何度も頷いていたが、その目は、強烈な憎しみの炎を絶やさない。 スズリが、何故かカナタを睨み付けた。
「闇の世界の住人に、ダークエルフ、気の狂った魔法使いに、不気味な竜、それにオークまで。 お姫様は随分な物好きですわね」
踵を返そうとしたルイの背中に、ラフィアナの言葉が刺さる。
唇からガリガリと怒りの音が漏れる。スズリの手を引く力が強まった。
「周りの連中が言ってましたよ。 醜悪姫は毎夜小鬼に嬉々として抱かれ、国の誇りたる金の御髪を泥と涎と白濁で汚しているとか――」
群衆が頷くのが分かった。 手を引くスズリが止まったのが分かった。 スズリが侮辱を前に怒りを剥き出しにしたのが分かった。 ルイが殺すと誓うのが分かった。 それに気付いたラフィアナが矢筒に触れたのが分かった。
そこから先が分からなかった。 マブタはスズリとルイの手首を掴むべきだった。 そうしようとも思った。 だが彼は、気が付いたらルイとショウドウの間に割り込み、傲岸不遜な顔面を睨み上げていた。
「これは神峰メセトニア帝国第二王女エセリア=ネーヴァ=メセトニアが言った言葉です」
「あ?」
ショウドウは侮蔑を前面に出しながらマブタを見据える。 突然のことに、ルイもスズリも動きを止めていた。 マブタも自分の行動に気付いたが、止まれなかった。
「心の美醜は、言葉に出ます」
「……はッ!! これはたまげた、オークに醜さを指摘されるとは!」
ショウドウが観衆を煽り、笑い声ががやがやと上がる。 そんなありきたりな罵倒を、マブタは気にしない。
「それとことはぼくからのアドバイスです。 想い人を振り返らせたいなら、もう少し労わりの心をお持ちになるべきかと。 今のままではあなたの好意は実りませんよ」
マブタは視線をそれとなくナナセに流す。 委縮しきった彼女は何のことかとラフィアナを見上げていたが、ショウドウは何を指摘されたか即座に理解したようだ。
マブタにとって、大して付き合いのない人間でも思慕の情を読み取ることなど容易い。
ラフィアナとカナタが小さく笑い、恥をかかされたショウドウに熱と殺意が急速に込み上げる。 歯が軋む音が聞えた。
「まぁまぁ、街中で戦って冒険者ギルドを追放されたくないでしょう」
「そうそう、それこそこいつらと同罪になっちゃうよ」
ラフィアナとカナタが宥めるが、彼らの笑い交じりのフォローに、ショウドウの怒りはさらに増していった。 ただ、彼の内なる冷静さが、観衆にマブタの言葉の意味が伝播する前に撤退することを強いたようだった。
ショウドウは大きな舌打ちをすると、マブタに強く肩を当てて大股で通り過ぎていく。 そんな彼の後ろをエルフと小柄な少年がゆらりと追いかけた。
残されたナナセが、辺りをキョロキョロと見回した後に、マブタを見た。 リボンを揺らしながら、マブタの前まで小走りで寄ってくる。
「私の仲間が無礼を働いて、すみませんッ。 あの、エシュナケーアの森のときも――」
ナナセが優しい瞳を心配そうに覗かせながらマブタの手を取る。
しかし、彼女の言葉は続かなかった。 乾いた音が、騒動の終わりを憂う観衆の興味を再び引き付けた。
ルイの振るった手の平が、ナナセの手を強く払いのけたのだ。
ナナセが目を見開いている内に、手の甲が赤く染まっていく。
「マブタに、触るな」
ルイの低い声に、ナナセの表情が怒りをまぶした険しいものへと変わっていく。 ルイは、今まで以上に憎しみを強めてナナセを睨んでいた。
「ルイ、あなたは何もかも間違えている。 あれだけ偉大な姉を持っていたのに!! 彼女の意思を無下にして!!」
ナナセの目尻に涙が浮かんだのが分かった。 こういう心をすり減らすことは苦手なのだろう。 マブタと同じだ。 尖った言葉も結局は暴力に同義。
「アンタみたいに甘やかされて育った世間知らずに何が分かるのよ」
そんな言葉を真正面から受けたナナセは、唇を震わせて何とかルイから視線を外すと、マブタに深くお辞儀をして、それから足早に仲間を追いかけていった。
観衆も少しずつ離れていく。 マブタは深い息を吐くと、その場に膝をついた。
「大丈夫?」「おい、大丈夫か?」
ルイがパンの袋を抱えながら空いた手でマブタの背中を擦り、スズリが肩に手を置く。
マブタは胸に手を当てて、深い呼吸を繰り返しながら頷いた。
「彼に、酷いことを言ってしまいましたね」
ショウドウにあんなことを言うつもりはなかったのに。 ルイへの侮辱に度し難い何かが込み上げて、止まらなかった。 二人の手を引きショウドウたちを咎めるだけでよかったのに、彼は他人を傷つける行動を優先させた。 胸がざわめくこの気持ちは、罵詈雑言に晒されるよりも気持ちの悪いものだった。
恋とは、危険なものだと思う。 世界が平和にならない一端を味わった気がして、マブタは今一度、自分を戒めるように胸を押さえる手に力を入れた。
「酷いこと? 最高だったぜ、お前」
スズリがルイに目配せして、マブタを起き上がらせる役を買ってでる。 腕を担いでマブタを力強く立ち上がらせると、街の出口へと向かう。
「どっかいけ、クソガキ」
道の間にいた少年にスズリが声を掛ける。 少年は、今度は風を切るようにどこかへと走っていった。
(この人……もしかして)
そんなマブタの背中を追いながらルイが何か思案するのを、マブタは聞いた。