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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第二章『聖女との行進から、憎しみの旅団へ』
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流れ者たち

「いくら“あなた様”の仰ることとはいえ、そういうことをされては困るんですよねぇ」(醜い小娘が。 お前ごときに指図される覚えはないわ)

「たかが領主が、王族相手に随分ご立派な口を叩くのね。」(顔に出てるのよ。 クソ領主)

「それはそれは、大変失礼しました。 しかしですね、あの男の容疑は確実なもので、証言も得ております。 エセリア様を殺した相手ですよ? お姉さまを殺されて、それを断罪しようとしないのですか?」(ふん、決まってるだろう。 こいつもあの豚と同じ『言葉無きもの』なんだからな)

「間違った相手を断罪して報われるのはあなたとバカな国民だけでしょう? それはそうよね、自分の領地があっさり『言葉無きもの』に侵入されてあんだけ派手に死人を出したんだから。 誰でもいいから処刑しないと、領主の立場ないものね」(無能な奴……胡散臭い笑顔が鼻につくのよ)


「耳が痛いですな。 しかし、ちゃんとした証言を得ておりますので」

「死ぬ間際の証言なんかあてにする気? あの聡明な姉が、神装も使えない人間に殺されると思ってるなんて、姉に対する侮辱と捉えてもいいのかしら? 私は“これ”で姉の最期の言葉を聞いてるのよ。 姉を殺したのは、『十二志士』だと」

「は」

「領主の体面を守りたいなら、今すぐ極圏に軍隊を派遣して『十二志士』のレイシア=0=フェアリーテイルの首を持ち帰ることね。 ……あら、不満そうね。 なんなら、母に直訴でもする? 私が見聞きしたものは、昨日母に伝えたわ。 母は私のことなんか愛してないけど、姉のことは寵愛してた……姉の最期の言葉を無視する領主がいたら、どうなさるかしら」



 六時課の鐘の音が微かに聞こえる。 教会が近くにあるのだろう。 体を縛る鎖が重たい。 ここは市庁舎の地下にある牢屋だろうか。 見張りの衛兵が忙しなく踵を地面に叩く音が不愉快に響く。 鎖に繋がれた足首は今にも蛆が湧きそうだ。 後ろ手に縛られた手首も同じような状況だろう。 喉が渇き、空腹に意識が眩む。 それでも彼の頭の中は、あの気高い金色の髪をした少女を、何度も思い出していた。 その内に、彼女と領主の言い合う声を、彼の耳は辛うじて拾ったのだ。


 靴音が鳴る。 彼の世界の中に、金色の尾が二つ入り込む。 牢屋の前を張る衛兵がおっかなびっくり退いた。

 金色の髪に、碧眼。 際立って短く思えるズボンから覗く太腿はしなやかで、相当に鍛え上げられている。 青色に染色した上着は、それだけで彼女の華やかさを押し上げる。



「牢の鍵は?」



 彼女の問いに、衛兵は答えない。

 彼女の鋭い視線に心の中で反抗しながらも、槍を持つ手が震えていた。


 舌打ち。 何事かをぼそぼそと呟くと、彼女は錠を思い切り蹴飛ばした。 青い稲妻がわずかに奔り、錠が砕ける音に彼女以外の全員が体をびくつかせる。 格子が枠から外れ、だらしなく地面に倒れた。 舞い上がる埃に、マブタは咳き込んだ。 肺が痛む。



「錠の鍵は?」



 今度の質問には、即座に応じる衛兵。 じゃらじゃらとした鍵の束を手渡すと、逃げるように上の階へと消えていった。

 少女はマブタの側へ歩み寄ると、目を伏せながら独り言のように言った。



「なんて、酷いことを……」



 指が白くなるほどに拳を握る。 心の中に人間に対する幾多もの怨嗟が沸き上がり、共鳴するように錠の束が震えて音を立てる。



「エセリアさんの言った通りですね。 とても、綺麗な人だ」



 潰れた喉で捻り上げた声に、少女の怒りは消えた。 というより、虚を突かれて思考が止まったのだろう。 我に返った彼女は、屈み込んで身を寄せた。 後ろ手に縛られた錠に正面から手を伸ばす彼女の様は、さながら抱擁であった。 柔らかい女性の匂いと、仄かな草と土、森を流れる風と花の香り。 冒険者の匂いだ……姉と同じ。



「遅れてごめんなさい。 私、ルイよ」

「知っています。 エセリアさんが、よくあなたのことを話していました」

「ええ、私もあなたのことは姉からよく聞かされてたわ、マブタ」



 首元に掛かる息がこそばゆく、少しドキドキする。 頬に灯る熱に気付いたとき、手首の錠がガチャンと落ちた。 彼女は体を離して甲斐甲斐しく足首の錠に鍵を当てはめていく。 そんな彼女の襟もとに、青色の水晶を見つけた。 目が覚めたマブタの首に掛かっていた、エセリアの水晶と同じものだ。 今はマブタのポケットに入っている。


 しかし、そんな彼の興味は、やがて水晶に触れるルイの肌へ、浮き出た鎖骨へ、そして微かに覗く仄かな双丘へ――



「これね、魔法道具なの。 同じものを持ってる人と話が出来るの。 どんなに離れててもね。 だからあなたのことも姉から直接聞いてたわ」



 ルイが視線を鍵から動かすことなく言う。

 人間に心を読む力がなくてよかったと思う。 己を恥じながら、エセリアが夜な夜な寝床を離れて一人で何事かを楽しそうに話していたのを思い出した。 久しぶりに自由に動かせるようになった右手をポケットに入れて水晶を取り出すと、「あなたが持ってたのね」と、ルイは目を丸くした。



「気が付いたら、ぼくが持ってたんです」

「そう……なら、あなたが持っていて。 もしかしたら姉さんがあなたに……」



 足の錠が剥がれると同時、彼女は俯いて口を噤む。



(姉さん。 姉さんは本当に、死んでしまったのね……信じられない)

「……」

(そういえばこの人、心が読めるんだった。 もしかしたら今のも……)



 顔を上げたルイと、目が合う。 気まずそうに、また目を反らす。

 マブタはそこで、彼女にマブタの見た目を蔑む意識がないことに気付いた。



「あの。 あなたは……」

「ルイでいいわ」

「ルイさんは……ぼくのことを、醜いと、気持ち悪いと思わないんですか? ぼくはこんな見た目だし、エセリアさんを、手に掛けたかもしれない、そうは思わないんですか?」



 ルイはマブタの目をまっすぐと見つめる。



「……何故そう思わなくてはいけないの?」

「え?」

「目を見れば分かるわよ、そんなの」



 今度は、マブタが目を丸くする番だった。

 胸が、グッと締め付けられる。 彼女の言葉に、ついこの前までマブタの手を握ってくれた聖女の面影を、見ずにはいられなかった。 立ち上がった彼女は、頷いていたマブタに手を伸ばす。 いつかどこかで、何度も見た光景。


 力強く引っ張られ、マブタの大きな体は易々と引っ張られた。 しかし、弱り切った体は、すぐにバランスを崩し、前のめりに倒れてしまう。 ルイは、よろめくことなくマブタを抱き止めた。



「辛かったわね。 もう苦しまなくていいのよ。 あなたは私と同じだから」



 マブタは目を伏せた。 震えた腕が動く。



『私の、世界で一番大切な人……でも、私ではあの子を救えなかった。 それどころか、私のせいで、あの子は……』



 エセリアの悲痛な声が蘇る。


 ――エセリアさん、あなたがどうしてあんなことを言ったのか、分かりました。

 ――この人は、このままでいてはいけない。



「……?」

「ルイさん。 ぼくは――」



 非礼は承知だった。 だがマブタは、腕を回して、ルイの体を抱きしめた。

 ルイは少し驚いたが、嫌がらなかった。 赤面することもなく、彼を受け入れる。



「あなたに、会いたかった」

「……そう」

「ぼくは、あなたの笑顔が、見てみたい」

「まぁ。 あなた、姉さんみたいなことを言うのね」



 いなすように返す少女に、それはあなたもですと、マブタは心の中で思った。





 太陽が中天に向かって昇り始めたとき、マブタはルイに担がれて街の外の草原を進んでいた。 道はない。

 ルイは春の風にそよがれながら額から汗を流した。 落ちた雫が、マブタの腕で跳ねる。



「すみません、重くて……」

「けが人は黙るッ」



 汗を流しているが、彼女の足取りは軽い。 二倍以上の体重を持ち上げておいて、呼吸の乱れもほとんどない。 彼女がどれだけ鍛えているかは、考えるまでもない。


 やがて、草原の中に佇む一本の小高い木が見えた。 近づいていくと、その下に何人かの人影がある。 二人の少女と一人の少年であることに気付いたのは、幹に体重を掛けて佇む少年から声を掛けられてからだった。 両腕は枕代わりに後ろに組まれている。



「随分でっかいプリンセスだな」



 彼が常人と違うことはすぐに分かった。 彼の言葉は軽く、その内心もマブタを罵るものではなかった。 深紅の瞳が、敵意なくマブタに向けられている。


 ルイは、ふんと彼をあしらい、マブタを下ろして木の幹に寄りかからせた。 その素っ気ない素振りが少年への好意から来ているのを知って、マブタは少しもどかしい。



「悪いの。 老生らも行こうと思うたが」

「いいのよ、私たちみたいなのが大勢でけしかけたら面倒事が増えるだけだし。 それより、水ある?」



 妙に固い言葉でルイと短く会話した人間の見た目は、言葉とは裏腹に若々しい少女だった。 赤色の巫女の装束。 袖と肩は切り分けられ、健康的な肌が覗いている。 腕を組んでいるせいで手が袖の中に埋もれていた。 わずかに香の匂いがする。

 身から放つ圧は、神装でも纏っているかのように重い。


 銀色の瞳は大人びていて常にどこか遠くを見ているようだ。 腰まで伸びる黒髪は闇夜のように静か。 均整の取れた美が、少女からは漂っていた。

 頭に乗せた深紅の髪飾りはよく目立つ……竜の鱗とたてがみに見立てたのだろうか。

 それにしても、自分のことを老生とへりくだる彼女は、一体何歳なのだろう。



「ん、水ならアタシの使っていいよ。 ほら!」



 上から聞こえた声に、顔を上げる。 どうやら、もう一人いたらしい。 木の枝に器用に体を乗せて寝そべっている少女だ。


 やけに露出のある服で、褐色の肌が春の陽気に多く晒されている。 緑色の瞳は森の新緑のように鮮やかで活気があり、右から垂らしたサイドテールが木の枝に絡んでいた。

 装束から見るにエルフかと思ったが、彼女の耳はエルフ特有の三角に尖ったものではなく、人間と同じだった。

 彼女は懐から木筒を捕まえて持ち上げると、ひょいと落とした。



「アタシと間接キスになってもいいなら使っていいよ、ふふ!」

「相手がお前じゃ数に入らんな」

「ちょっと。 ひどいー」



 少年と少女が何だか言い合っている内に、ルイは落下した木筒を受け取って中の水を器に移し、ゆっくりとマブタの口に運ぶ。 冷たい微量の感触が喉を通る。

 やっと与えられた、新鮮な冷水。 しかし、彼の喉はそれを拒絶した。

 噎せるマブタの背中をさするルイが、もう一人に声を掛ける。



「サンティ、治せる?」

「ど、どうかな……」



 控えめにマブタを覗き込んでいるのは、銀髪の少女だった。 瞳はルイと同じ青色だが、その目は大きく、子どもっぽい印象を受ける。 わずかにウェーブがかった長い銀髪に、優しい顔立ち……彼女にエセリアの面影を見るには、十分だった。 そして……彼女を手に掛けた一人、闇の神官ゴズ=ガナサイトという少女にも、似ているように思えた。


 肩を露出したゆとりのある純白のワンピースはあまり冒険者の身なりらしくはないが、ふわりとした雰囲気の彼女にはよく合っている。

 マブタの前で屈むと、黙ってしまう。



(ど、どうしよう……まずはどのくらいの傷か確認しないと)「……」(何か言ってから触った方がいいよね……)「あの……し、シツレイシマス」



 上ずった声に泳ぐ目線で、マブタの手に触れる。 折られた指だ。 痛い。

 体を震わせてしまうと、サンティは素っ頓狂な声を上げて「ごごごごめんなさいッ!!」とペコペコ頭を下げた。


 彼女の触診は続いた。 マブタが呻く度に新鮮に謝っていたが、怪我の全容は徐々に掴めていったようだ。 しかし、途中から彼女の意識は(右人差し指を二秒と半掛けて五度、歯噛み、それから呪文は……)と、よく分からないことを楽しそうに考え始めたので、マブタは困った。



「……うん」



 しばらくして彼女は自信に満ちた顔で立ち上がった。 最初の弱気な態度はどこ吹く風。



「治せるよ」



 それからのことは、あまり覚えていない。 サンティの体から白い光が浮き出たかと思うと、マブタに手を翳し、マブタはすぐに眠気に襲われたからだ。





 マブタは、心地よい眠りの抱擁から解放され、ゆっくりと意識を覚醒させた。 煤を被ったような黒い木々の上に、群青色の空が覆いかぶさっている。


 彼は体を起こすと、左目を覆う眼帯に気付き、それから今いる場所が森の中にある湖の畔であることに気付いた。 それから、自分の体が妙に軽いことに思い至る。 指も自由に動くし、喉も痛くない。 食欲すら湧いている。


 はらりと、マブタに掛けられた青い上着が落ちる。 ルイが着ていたものだった。



「あ、おはようございます。 左目も治したんですけど、まだ視力が回復するのに時間が掛かりそうなので、しばらくは眼帯をしていてくださいね」



 すぐ側に、サンティが座っていた。 控えめな笑顔でマブタに声を掛けると、気まずくなったのか今までやっていただろう焚き木を組む作業に戻る。

 丁寧さが伝わる組み方だった。 そのせいで完成まで時間が掛かりそうだが。



「お、ようやく起きたか」



 一党の少年が、大量の枝を抱えて森の奥から戻って来た。 マブタが軽く会釈すると、少年は抱えた枝の一部を無造作にサンティが組んだ焚き木に放り込んだ。

 ガラガラと崩れる焚き木。 サンティの手が震えている。



(毎回毎回何て雑なの! 今日こそ文句を……でも、言い合いになるのは嫌だし……)



 目線で少年に訴えかけた彼女だったが、やがて、弱気になって諦め、再び作業を一からやり直した。 少年がマブタの隣に腰を下ろす。 肩が触れ、少し顔に熱が込み上げた。


 少ししてから、湖で大きな水しぶきが上がった。 ぷはぁと顔を出したのは、褐色の少女。 派手な水遊びだ。 マブタが起きていることに気付くと、水を跳ね上げながら畔に上がる。



「あ、おはよ!! ねね、サンティ、いつもの奴!!」

「うん、いいよ」



 サンティは顔を上げると、人差し指と中指を立てて少女を指差した。 意識を失う前に見た白い光が、再びサンティの手に宿る。



「『乾いて』」



 中指を少し畳みながら、言葉を紡ぐ。 すると、びしょ濡れの少女に纏わりついた水が、意思を持ったかのように弾け飛んだ。 地面に吸われていく水から視線を上げると、そこには、乾ききった少女が「ありがと!」とサンティにお礼をしている姿があった。


 サンティは笑って頷くと、今度はようやく組みあがった焚き木に向き直った。 人差し指をくるくると回すと、「『燃えてね』」という言葉とともに焚き木を指差した。

 言葉通り、焚き木は勢いよく燃え上がった。



「……魔法だよ。 見たことくらいあるだろ。 サンティのは特殊だけどな」



 目をしばたかせているマブタに、少年が苦笑いを浮かべる。



「……それって至高神の奇跡と、違うんですか?」

「全然違います!!!!」



 大声で割り込んでくるサンティ。 地雷を踏んだという表情で、少女と少年が苦笑する。



「いいですか? この世界では太古の昔から神々が争いを繰り広げていました。 彼らはその体の内に秘めた『世界を動かす力』……、俗に言う魔力によって天変地異を容易に起こせる力を持っていました。 彼らは気の遠くなるような時間の戦を経て、魔力を発散し続けていました。 その残滓が、今もこの世界の大気には満ち満ちているんです! といっても、それらの力は色落ちして今は漂っているだけ……私のような魔法使いは、それらの魔力に命令を送ることによって、神の奇跡よりも自由な事象を……」

「これこれ、サンティ。 興味深い話だが、寝起きに聞かせるものではなかろう」



 巫女の装束を纏った少女が帰って来た。 釘を刺されたサンティは、自分が前のめりに喋っていたことを思い出し、はっと両手で口元を押さえた。 耳まで赤くして、もごもごと謝っている。



「その話、また聞かせてください」



 しかし、マブタがそうフォローすると、目を輝かせて何度も頷いた。



「あー!!!!」



 間髪入れず、褐色の少女が声を上げた。 その目は、巫女の少女が背負っている茶色の塊……イノシシの死骸を見ている。



「ちょっとレッパ!! 森の生き物を殺さないでって何度も言ってるのに!!」

「何を言う。 弱きものが食われる、それが食物連鎖であり、誇り高き竜族の掟だ」

「そうだけど!!」



 何やら食事のことで揉めている。



(魔法で作ったパンもおいしいけどな……でも味がしないって言われるし……)

「食事で揉めるな。 なんなら俺がてきとうなの身繕ってくるぞ」

「ダメに決まってるじゃん!!」「貴殿の言う食事は食事ではない」

(……バッタもうめぇんだぞコラ)



 少年は黙るが、なるほどゲテモノだ。 どうやら、彼らは食文化の方向性が随分違うらしい。 マブタは、サンティに問うた。



「あの、ルイさんはどこに……?」

「ああ、アイツか。 そっといてしといてやれ。 大切な人が、死んじまったんだからな」



 声のトーンを落として少年が言う。



「アイツなら今頃……」

「今頃めそめそ泣いてるって?」



 少年は背後を仰ぐ。 そこには、腰に手を当てたルイが不服そうに立っていた。

 手には布袋、中からパンの匂いがする。



「マブタ、気分はどう?」

「皆さんのおかげで、すごく楽になりました。 あ、これ、ありがとうございます」

「いいのよ、そのままで」



 上着を返そうとしたマブタを制して、ルイはマブタに上着を羽織らせた。

 その様を見ていた少年は、少しだけ苦い顔をした。



(けっ。 優しくしやがって。 俺にはきつく当たるくせに……)



 嫉妬という感情を向けられるのは、エセリアとともにいたマブタにはそう珍しいことではない。 あれに比べれば少年の嫉妬など可愛いものだし、ルイの内心を知るマブタにとっては、羨ましいのは少年の方だった。



「ルイちゃんお帰りなさい。 そのままで街に行ったの? 大丈夫だった?」

「ええ、陰口叩かれるくらいよ。 真っ向からモノを言うこともできない小物なんて相手にするだけ無駄」



 そう言う彼女だが、街で言われた陰口をいくつか拾って心をすり減らしているようだった。 そんなことをおくびにも出さずに、ルイは喧嘩の仲裁に入った。



「アンタたち、いつまで喧嘩してるのよ」



 結局、イノシシの肉が夕食に並んだ。 後はルイの買ったパンを、褐色の少女が集めた野草のスープに浸して食べた。 エルフ似の少女はイノシシ肉に決して手を付けなかった。

 そしてしっかりイノシシの墓を作っていた。


 食べ終わるころには陽はすっかり落ち、焚き火の熱が心地よかった。

 ようやく、自己紹介をさせてもらえるようだった。 記憶のこと、自分のこと、エセリアと旅をしていたこと、エセリアが命を落としたこと、冤罪を掛けられたこと、そして助けてもらったことに対する感謝を口にした。

 彼が他人の心を読めることを聞いた皆の反応は、様々だった。



(森人族の能力を持った人間。 ハーフなのかな……うう、それより、心の声を聞かれるのは恥ずかしいなぁ……っていう今のも……どうしよう、変なこと考えてたら……)

(嘘も吐けやしねぇな。 俺が魔王の息子だってのも、バレるのかね)

(それは――)(何者なの――)(不可思議な特――)(懸念が――)(推測の材料がな――)



 今までにない、珍しいものを見た。 それは、レッパと呼ばれた巫女の少女の思考だった。 彼女は、頭の回りが異常に早かった。 多くの思考が同時に浮かび上がるせいで心の声が被り、上手く読み取れない。 そんな人間には出会ったことがない……いや、人間ではないのかもしれない。

 そして、褐色の少女も一見人間のようだったが、どういうわけか心の声が聞えなかった。

 あのとき、ラフィアナというエルフに感じたのと同じ感触が返ってくる。

 さらには、少年の魔王の息子という言葉、気になることは多かった。



「じゃ、じゃあ私から……!! 私はサンティ=ネーヴァ=メセトニアです! ……人間でい、一応王族なんですけど、ルイちゃんとは父親が違って、私の父は卑しい身分だったので、私自身の王位継承権はすごく低いんです。 ルイちゃんは三歳年上のお姉さんで……あ、私、魔法使いなので、何か知りたいことがあったら何でも……!」



 サンティが正座しながら一息に何とか自己紹介をやり切る。 胸に手を当てて呼吸するサンティの背中をお疲れと褐色の少女が撫でた。

 彼女も王族らしい。 ルイの静かでしなやかな気品とはまた違ったふわりとした上品さはそういうことか。 エセリアに似てると感じたのも他人の空似ではないようだ。

 何故銀髪なのかが、分からないが。



「次は俺かな。 俺はスズリ=ラブカフォビア。 年は十七、煌魔族で、魔王の息子。 ……そうだよ、今中央区と大戦争中の極圏を支配してる魔王の息子だよ。 親父に嫌気が差して中央区に来た。 それ以上語ることはない。 ないから心の中も見るな」



 ぶっきらぼうに吐き捨てる。

 煌魔族。 極圏の中で最も力を持つ種族。 彼ら主導の元、極圏のものたちは度々中央区に侵攻している。 先の事件に姿を現した白き竜……知能も高い彼らが率いたからこそ、有象無象の連中が徒党を為して襲ってきたのだろう。 彼らとの戦争は二千年ほど前から続き、七百年ほど前には人間が史上最大の軍隊を率いて極圏の半分も制圧するも、挽回され終結には至らなかった、ということもあったはずだ。


 そんな煌魔族、しかも戦争の指揮棒を持つものに最も近しい少年が人間と共に旅をしているのは、異様な光景だった。

 ところが、旅団のメンバーはそれを気にする様子はない。



「はいはい! じゃあ次は私ね! 私はフタバ=リーブルファルク!! エルフのハーフなんだ! でも、ダークエルフの血は引いてないよ! お母さんの肌がたまたま黒かったんだ! 色々あって森を追い出されたから冒険者してて、冒険者になるまでは鉱夫族の集落に住んでたんだ! マブくん、よろしくね!」



 両耳をつねりながらニコニコと自己紹介する彼女は、とても好感が持てた。 心が読めない相手というのは、下手に裏を見なくて済む。 表だけを見ればよく、表は愛想が極めていい……好きになるのは自然だった。 それはそうと、エルフは名字に生まれの森の名をつけるが、リーブルファルクという森があるのだろうか。


 フタバと握手を交わすと、最後に巫女の少女が透き通った声で名乗った。



「老生はレッパ=カゼハダリア。 齢は千飛んで五十三、この中だと一番の年配者になる。 誇り高き竜族の血の元に生まれ、五百年前の竜族と人間の戦争の終結時に友好の証として境峰からセントラルに渡ってきた。 その後はさる東の大国で官職に就いていたが、かの国が内乱で滅びたのでな、この国に来た次第だ」



 随分とスケールの大な自己紹介だった。 年配者といっても次元が違う。 竜族に代表される格式高き種族は寿命が長いというが、やはり人間とは重ねてきた時間が違いすぎる。

 五百年も昔のことを体験したものが目の前にいるのは非常に感慨深い。 彼女の思考の早さはその年の功か。


 自己紹介が全て終わったが、彼らは生まれも種族もほぼ違っていた。 食文化が合わないのは当然だろう。 竜は肉を好むだろうが、森人は肉を口につけることをしないし、ましてや生き物を食事として殺生することはない。

 軽く各々と会話を交わすと、ルイが切り出した。



「私はこれからマブタの記憶を取り戻す旅に出る。 あなたたちもそれでいいのよね?」

「無論。 所詮浅ましい民のために何をしても報われぬ旅路だ」

「それだったら私たちと同じ仲間のために何かしたいよね~」



 同じ仲間……そんな言葉に目を伏せていると、ルイの視線が向いたのを感じたのでマブタは顔を上げる。



「姉さんと旅をして、何か自分のことで分かったとはあるの?」

「変わった見た目してて、人の心も読めるなんて、マブくんってほんとに何者なんだろうね? ハーフの私でも心の声までは聞こえないよ」

「天上におられる彼らの気まぐれとしか言えないな。 老生もこの世に生を受けて長いが、貴殿のような人間を見たことがない」

「はい。 エセリアさんと長く旅をしましたけど、ぼくのことを知っている人も、ぼくが関わったような事件もなくて……手がかりと言えば、この手紙くらいしか……」



 懐から出した手紙に視線が集まる。 ルイがマブタから手紙を受け取り、中身に目を通す。 すると、ルイの表情が、途端に険しくなった。



「どうかしたんですか?」

「え、どうかしたのって……マブタ、あなた、これ読めるの?」



 ルイがそう言ったことで、全員が身を乗り出して手紙を覗いた。



 「これは、夜行族の文字だ」と、レッパ。

 夜行族と言えば、極圏の中で最も知能レベルの高い種族だ。

 そういえば、エセリアにはこの手紙そのものを見せたことがなかった。



「ホントだ。 こんなの俺でも読めないぞ。 アイツらの字は難解だからな……」

「わ、私にも見せてください……ええと……お前は、多すぎる罪を、犯した……?」

「サンティ、あなた読めるのね。 すごいわ」

「魔法を勉強するには必ず通る道なんですよ。 夜行族は魔法に非常に長けていますから」



 そう言うサンティの頬は少し赤い。



「私も読めるよ! サンちゃんにいっぱい教えてもらったから! えっとね、続きは、だからお前は苦しまなければならない、かな?」



 サンティとフタバが何とか訳し終えると、フタバが「あ!」と声を上げて目を丸めた。



「どうしたの?」

「……あ、うん。 この手紙、エルフが使うインクで書かれてる」



 少し驚いた様子で、フタバは手紙に這う文字を見ている。 ルイから手紙を受け取ると、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。



「やっぱりそうだ、間違いないよ! これはシラツブクサの種子を染料として使ってる! これは今流通してるものより色素が少し薄くて、好き好んで使うのはエルフだけだよ!」

「でもどうして夜行族の文字で書かれているの? エルフにはエルフの文字があるのに」



 変わらず険しい顔で言うルイに、スズリが顎に手を当てながら記憶を辿る。



「悪に心を染めて罪を犯したダークエルフが極圏に亡命するとき、夜行族の領地に逃げたってのはよく聞く話だけどな。 夜行族はセントラルに対して恨みも持ってなくて寛容だし、亡命したエルフがそこで文化を吸収したってのはなくはないはずだ」

「うむ。 そうなると、この手紙の主はダークエルフということになるが」

「マブタ、あなた森人族たちにも自分ことを聞いて回ったの?」

「い、いえ……ぼくたちは人間たちにばっかり。 依頼で森に入ったときに出会ったエルフの方に聞いたことはありますが……」

「なるほど。 だったら大きな森に行くべきね」



 話は恐ろしいほど早く進んでいた。 エセリアと三か月掛けたものよりも大きな成果が、ものの数分で得られている。 いや、マブタは、自分が思っていたよりもずっと、エセリアとの旅の続きを望んでいたのかもしれない。



「んで、お前さんはダークエルフに何の恨みを買ったんだ? 文面見る感じ怒りは相当だぞ。 ここ最近でエルフ絡みで起きたでっかい事件といえば………………あ」



 言っている途中で何かに気付いたスズリの声が、途中で神妙なものになっていた。 ルイやサンティの意識がスズリと同様の事件を想起し、そして……全員がフタバの顔を見る。



「あるとすれば、『改元の大火』……だね」



 フタバは無邪気な笑顔をいつの間にか消して、思い詰めた顔で輪から離れた。

 目を伏せる一行とは別に、何ごとか分からなかったマブタを振り返って、フタバは口を重たそうに動かした。 木々が不穏にさざめく。



「ここより南東に進んだ町の側に、私の生まれ住んだ場所があるんだ。 リーブルファルクの森。 そこで五年前、大きな火事があったの。 そこに住んでいたエルフのほとんどが死んで、森は焼失。 メセトニア帝国が改元する丁度前夜に起きた不幸な事故と最初は思われていたんだけど、焼け跡から見つかったエルフたちの死体は、“明らかに殺されていた”。 私はその生き残りなの。 数少ない生き残りは、北西にある帝国で最大級の森、エシュナケーアの森に移住したって聞いたけど、大体は心を病んで悪を宿し、ダークエルフになってしまったって。 その事件でまだ、“犯人は見つかっていない”」



 マブタは、心臓が鷲掴みにされるような気分の悪さを覚えた。 自分がエルフたちを殺してしまった犯人なのではないかという強烈な不安を感じ、そして、フタバの大きな丸い新緑の双眸の中に刹那に宿った、確かな殺意を見たからだ。


 間違いない、彼女は犯人を憎んでいる。 復讐したいと願っている。 焚き火がチリチリと音を立てていた。 気配を察したのか、ルイがフタバの元へ歩きながら言った。



「今の話だけ聞くと、その事件で闇に堕ちたダークエルフがいて、犯人を憎んで、見つけた犯人がマブタだったと考えられなくはないわね。 でも、それだけ憎んでいた割には記憶を消すという復讐のやり方が回りくどすぎると思わない? 大体、そんな大きな事件でなくとも、強い恨みを買うことなんていくらでもあるでしょ。 誰かを殺してやりたくなることなんて、いくらでもある」

「…………うん、そうだね。 ごめんねマブくん、少し怖い目で見ちゃったかも」

「いえ、そんなことは……」



 いくらか瞬きをした後には、フタバはいつもの無邪気な表情に戻っていた。



「憶測で語るのは悪手だけど、この手紙の送り主がダークエルフである可能性が一番高いわ。 元々闇雲に探し回るしかないんだし、エシュナケーアの森へ行きましょう。 一応改元の大火の生き残りもいるみたいだし、エルフの数もあそこが一番多い。 それに、極圏に面しているから手紙を出したのが本当にダークエルフならそいつを知ってるエルフが、もしかしたらマブタを知ってるエルフがいるかもしれない。 全てがハッキリしたら、すべきことをすればいいわ」



 フタバをなだめるような、自分に言い聞かせるような言い方だった。 一行はそれに納得し、わずかに張り詰めた空気は瞬く間にほどけていった。

 寝具の準備に取り掛かるレッパとスズリ。 新しく薪を探しに行こうとしたフタバをサンティが追いかけ、手をキュッと握ったのが見えた。 フタバの横顔は明るかった。

 マブタは息を深く吐き、ルイに頭を下げた。



「ありがとうございます……」

「いいのよ。 私はあなたを、そしてあなたを信じた姉さんを信じてるだけ。 姉さんが悪人でないと言ったのなら、そうなんでしょう。 それに私は、あなたが何者でも、あなたの味方よ」



 また、胸が切なく唸った。 ルイはマブタの背中を何度か優しく叩くと、レッパたちの元へ行こうとする。 そんな彼女の背中に、何かを言おうとマブタは反射的に口を開いた。



「あのッ、ルイさんはさっき、何を考えてたんですか?」

「? さっきって?」



 ルイは不思議そうに振り返って首を傾げる。 火の勢いが弱まり、息を吹き返した月明かりに照らされた彼女は、とても美しかった。



「フタバさんが改元の大火の話をしているときに、何か考えてらっしゃったので」

「あら、何でもお見通しなのね」



 クスリと笑うルイに、今度は違った意味で胸が鳴った。



「五年前のあの火事の日ね、私もすぐ側の街にいたの。 火事に気付いたのは次の日だったけれど、あの日は改元前の祭りが行われてて、街が賑やかだったのをよく覚えているわ。 私は酒場にいて、そこで見知らぬ奴に賭けごとを挑まれたの。 相手の顔も何を賭けたのかも覚えてないけれど、私は勝って、魔法道具をもらったわ。 炎を放つ水晶だったかしら。 でも、翌朝起きたら、それがなくなってたのよ」

「え? それって……」

「ええ、私も火事と関係あるのかと思ったけど、あの程度の魔法道具じゃあれほどの火事を引き起こすのは無理だし、気にも留めなかったわ。 でも、思い出してね。 これが聞きたかったのかしら?」



 マブタが頷くと、ルイはまた小さく笑ってマブタから離れていった。

 何となく振った話だったが、やけに気になる話だった。

 遠くでサンティとフタバが何か楽しそうに話す声が聞こえる。



 そして――彼はその夜、エルフを殺す夢を見た。


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