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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第一章『罰だけを背負って、生まれた』
3/20

まだ、長き道の最中で

 その日は正午になるまで、何の変哲もない一日だった。 彼らが出会うきっかけになった街から王都を抜けて遠く南東に進んだ場所に位置する街。 帝国屈指の巨大な冒険者ギルドを有するこの街の賑わいは凄まじかった。 街の中心にある巨大なギルドの建物は、街にいるとどこからでも見える。



「俺、遂に神装を使えるようになったんだぜ! 黒い稲妻が出るんだ!! よーし! 冒険者になって名を上げるぞ!!」

「初陣で死ななければいいけど~」



 真新しい革の装備を拵えた少年が意気揚々と夢を仲間に語り冒険者ギルドに向かっていく、そんな街。 マブタはこの日、エセリアと別行動を取って街の郊外で影を潜めていた。

 こんな大きな街にいては、いい加減慣れてきたとはいえ心がもたない。 そんなことを考えながら、マブタはエセリアが今日も大量の依頼書を抱えて戻ってくるのを待っていた。


 しかし、帰ってはこなかった。 代わりに、大砲をぶっ放したような巨大な音が、街に響き渡った。 続き、何度も同じ音が街の中心から聞こえてくる。

 顔を上げると、街のシンボルでもあるギルドの建物が、無残に焼け落ちる瞬間が映った。



「エセリアさん……!!」



 顔の血が引き、内臓が浮き上がる。 地響きによろめきながら立ち上がる。 警告の鐘がガンガンと耳を衝く。 人々の悲鳴と怒号に押し流されるように、マブタは街の中心部へと走り出していた。 人々が逃げ惑う大通りを逆走し、空を見上げ、息を吞む。


 北の空から、巨大な黒雲が目に見える速度で近づいてきていた。

 いや、あれは雲ではない。 あれは……



「『腐竜族』!!」



 誇り高き一族、『竜族』のなりそこない。 黒く濁った醜悪な体。 小さな手と一対の翼、長い尾を持つ竜の姿でありながら、腐り翼膜が溶けたものも、肋骨が露出したものもいる。 大の大人程の体躯の怪物の群れが不格好に翼を振り回し、この街に急接近している。 極圏に住む者が、どうして。

 禍々しい黒雲が上空を閉ざす。 その中に、マブタは赤い斑点を見た。



「伏せろ!!!!」



 喧騒に負けじとマブタが声を荒げた瞬間、彼の真横にあった家屋が、吹っ飛んだ。

 衝撃で彼の身体は反対の家屋の壁に激突し、周囲の悲鳴がぼやける。 腐竜が火球を放ったのだ。 断続的に放たれる熱の塊が、街を破壊する。



(嫌だ、死にたくない!!)(どうしてこんな目に!)「助けて!!」(冒険者ども、早く何とかしろ!!)「誰かぁ!!」(助けて)「娘はどこ!!」(こいつらを囮にしたら、何とか俺だけでも……)



 人間の本能的な叫びが脳をかき混ぜる。 マブタは頭を左右に振って視界をクリアにしながら空を見上げた。 黒い弾丸が次々と降ってくる。 腐竜が降下を始め、鉤爪で捕まえた人々を攫っている。 獲物を捕らえた醜き竜はけたけたと笑い、そのまま飛び上がって悲鳴を遠ざける。



「助けてッ!!」「やめろ!!」



 獲物を地面に押さえつけ、いざ飛び立とうとした腐竜の体に、マブタは飛びついた。

 鼻を刺す強烈な腐乱臭に顔を歪めつつ、粘り気のある体を押さえて必死に女性から引き剥がす。 後ろに体重を掛け、腐竜と共に後方へと転げた。 すぐに起き上がる。

 腐った竜は不機嫌そうに鼻を鳴らし、尖った嘴を開けて強烈な腐乱臭を放つ。 マブタは間髪入れずに近くに散乱した大きな木材を拾い上げ、それで竜を殴りつけた。


 犬のような声を上げて竜は飛び去る。 だが、周囲の悲鳴は止むどころかその強さを増していた。 炎、氷、雷、周囲で冒険者たちが神装を使って応戦する光が見える。 腐竜たちの大半は、それら冒険者へと集り、噛み付き、攫って行った。



「――オークめっ!!」



 その声が自分に向けられているのを、マブタはすぐに察した。 声の方を見ると、街に入るときに夢を語っていた少年が、彼を鬼の形相で睨んでいた。



「俺の仲間をどこに連れて行った!! 吐け!! さもないと、ぶっ殺す!!」(クソ豚め!!)(エルウィンを……!)(アリアを……!!)



 革の装備は神装によって黒く塗り替えられ、その手には稲妻を放つ黒の雷球が殺意を剥き出しに光っている。



「このクソ豚め! 死――」



 少年に、マブタは叫んだ。



「後ろ!!!!」



 少年は、咄嗟に振り返り。

 無骨で巨大なこん棒に、側頭部を殴り倒された。 豚鼻が、下卑た笑い声を吐き出す。

 少年の後ろに立っていたのは、本物の『悪豚族』、オークだった。 緑色の肌に、マブタより二回り以上も大きな体。 背中には、ボロボロの神装を纏った冒険者らしき人間が一人担がれている……生死なんて、分からない。


 ようやくマブタは、この街が極圏のものたち……人間が『言葉無きもの』と揶揄するものたちの組織的な襲撃を受けていることに気付いた。



(な、んだ……? 死ぬ、のか……? イヤだ……俺は、冒、険者、に)



 途切れ途切れの意識。 少年はまだ生きていた。  オークは不気味に笑い、少年を担ぎ上げる。



「待て!!」



 ただでさえ腐竜たちのせいで遮られた天日が、さらに暗くなった。 オークを追うマブタの上に、影が差したのだ。 顔を上げると、そこには周囲のボロボロの家屋の大きさを優に超える灰色の巨体があった。



「ゴーレム……!!」



 『岩人形族』、岩石で形成された堅牢な肉体を持つ、極圏の住人。 その剛腕が風を切って放つ薙ぎ払いが、マブタの体を吹き飛ばした。 視界が回る。 体が何かに叩きつけられる。 木片が刺さり、地面に墜落した衝撃が意識を飛ばしかける。


 自分が倒れていることをやっと認識した彼は、焦燥に駆られるままに頭を押さえながら体を起こした。 脂肪の塊も、衝撃を和らげるのには一役買ってくれたようだ。 どうやら一つ隣の大通りまで貫通したようだった。 大通りのど真ん中で、頭から血を流す彼の目に、凄惨な光景が見える。



「く……ッッ!!!!!!」



 燃え盛る街並み、火球と共に時折死体が落ちてくる。 バタバタと血まみれに事切れているのは冒険者ではない、街の人たちだ。 腐竜が神装によって屠られ、その冒険者の横っ面をオークが殴りつける。 遠くにはゴーレムの体の一部が見え隠れし、ゴブリンもいるのだろうか、そこら中から聞こえる金切り声が耳に障る。


 彼は降り注ぐ火球を避けながら大通りを駆け抜ける。 だが、目の前からふらふらと歩いてくる男を見て、その足も止まる。

 目は虚ろ、思考も弱弱しい。 体には、肩から腰へと抜ける巨大な裂傷がある。

 この鮮やかな切り傷は……明らかに、人間の所業。 瞬間、男が目を剥いた。



「あ、ああ……!! あああああぁぁぁああああぁあぁああ……!!」



 発狂したように傷口を掻き毟る。 マブタもその不気味な光景に顔を引きつらせた。

 蔦だ。 鋭く尖った棘を携えた薔薇の蔦のようなものが、傷口を破りながら生えてきている。 棘は男の体を引き裂きながら伸び、巻き付いていく。 傷口から次々と生えてくる棘の蔦は、引き裂かれて噴き出した血を浴びてテラテラと光る。

 逃げ遅れた住民たちが悲鳴を上げて走り回る。



「あぁ、あ、ああ!!」(痛い、死)(助け)(痛)「うああ、あ!」(死ぬ、死痛い助け)



 男の意識は凄絶だった。 拷問の如き痛みがマブタにも伝わり、彼は呼吸も出来なかった。 それでも、駆け寄って倒れ込む男を覆う棘だらけの蔦を両手で掴む。 引きちぎろうとしても、蔦はマブタの肌を裂いて喜ぶだけ。


 蔦が男の体を覆いつくそうとしたとき。 散々に喚き散らす荒れ狂った意識は、唐突に圧倒的な虚無の中に呑まれていった。 自分自身も吸い込まれてしまうような深淵の奥底を無理矢理覗かされたようだった。 マブタは、どこかへと逝く男の意識に引っ張られて、死の淵を見下ろしたのだ。


 マブタは呆然と立ち上がり、後ずさる。 だが、蔦に完全に覆われた男の死体は、彼に逡巡を許さない。 糸が巻きついた操り人形が持ち上がるように、それは不自然に立ち上がった。 “それ”はもう、人間ではない……あるべき意識が、そこにはない。 しかし、何者かの傀儡に成り下がったかのように、マブタに向けて手を伸ばし、歩み寄ってくる。


 その蔦に塗れた体で抱きつかれでもしたら、動脈が破られて失血死は免れないだろう。

 そこへ、神装を纏った女が二人の間合いに入り込んだ。 女は手にした槍で傀儡を斬り伏せる。 雷光が弾け、蔦が焼け爛れる。 死にぞこないの傀儡は空を仰ぎながら倒れ、ようやく動かなくなった。



「何してる!!」



 女は、エセリアを慕う王宮騎士出の冒険者だった。 前に一度顔を合わせたことがある。



「戦えない奴はさっさと――」



 女の声は続かなかった。 ドゴッという鈍い音と共に、女がマブタの視界から消えた。



「やめッ!! 離せ……ッ!!!」



 巨大な純白の手が、女を一掴みにして持ち上げている。 突き出た口から覗く牙は名刀のように妖しく研ぎ澄まされ、その鱗は磨き上げられた鎧のように白銀の輝きを放つ。

 胴体は蛇のようにしなりながら宙を泳ぎ、手は小さいが人間を掴むには十分だ。 風圧が人々の死体と家屋の残骸を転がした。



「セセラ……!!!!」



 赤の目が興奮気味に掌に握り締めた獲物を見下ろし、尾が揺れて家屋を薙ぎ倒す。

 腐竜とは大きさも、格も違う竜の姿だった。 極圏の中で、竜に似た見た目を有することもある種族、『煌魔族』。 知能も高く、こんな場所に気軽にいるものではない。


 冒険者の女の口から聞くに耐えない絶叫。 握力によって骨と装甲が容易く砕かれる音に、マブタは耳を塞ぎたくなった。 彼に出来たのは、涙混じりの声でやめろと叫ぶことだけ。 竜は絶叫に飽きたかのように女をひょいと投げ捨てる。 起き上がれない女に集る緑色の小さな影の群れ。


 『小鬼族』……ゴブリンたちは手に持った粗雑なこん棒や石で女を殴りつける。 女の悲鳴を聞いて、ゲタゲタと不愉快な笑いを浮かべる。 マブタが我に返って女を助け出そうとしたときには、女は引き摺られて瓦礫の隙間へと消えていった。


 ゴブリンに攫われた女の末路など、考えたくもない。 いや、考えることも叶わなかった。 次の獲物を探しに振り返った竜の尻尾が再びマブタの体を跳ね上げる。

 真っすぐ大通りを吹き飛ばされ、腐竜に覆われた空を仰ぐ。 マブタはそこに、燃え上がる純白の閃光を見た。 体が自然と起き上がる。



「エセリアさんッ!!」



 見間違いようがない。 彼女はこの先、街の中心にいる。 マブタは死にゆく街並みの中を疾走する。 純白の光と、純黒の闇が激突している光景が遠目に見えた。 人間に成せる技とは思えないほどの、破壊と破壊の激突。 金色の御髪が、見えた。



「エセリアさんッ!!」



 エセリアの代わりに反応した深い紺の右目が、マブタを痛烈に睨み付けた。 足が、思わず止まる。 エセリアは跪いていた。 身体中が赤く塗りたくられ、髪にすら泥と血が滲んでいる。 固く引き結ばれた唇は、目の前に立ち塞がる闇に己の力が及ばないことを意味していた。



(殺す)(殺す)(人間を殺す)(滅ぼす)(殺してやる)(死ね)(まずはお前からだ)(豚がいる)(次はアイツだ)



 向かい合うエセリアと一人の少女。 横目にマブタを捉えた少女の濃紺の左目から漏れ出すのは、見たこともない巨大な憎悪。 右目は、見えない。 短い黒髪はエセリアの血に濡れ、噛み締めて軋む口元から歓喜と憎しみが滴る。


 その手に握った無骨な大剣の切っ先は、エセリアの首元に添えられていた。

 その奥に、もう一人少女がいた。 深い藍色に染められた神官の装束を纏った少女だった。 銀色の髪が汚染された風に嬉しそうに靡き、エセリアの死ぬ瞬間を待つ口元には細い笑み。 碧眼がマブタを見つけて興味深そうに開き、手に持った金色の錫杖が白い光を纏ってしゃなりしゃなりと音を立てる。



「……ゴズ=ガナサイト……!!」



 マブタは、女神官の名前を口走っていた。 どこで知ったのかは覚えていない。 だが、彼は間違いなくその華奢な少女のことを知っていた。



(マブタ)



 エセリアが、マブタを呼んだ。 声を出す力も残っていないのか、彼女はマブタの頭の中に語り掛ける。



(私とした約束、覚えていますか?)



 その言葉を聞いた瞬間、マブタは走り出していた。 彼女とした約束は、数え切れないほどある。 彼はその中で、エセリアが何の約束のことを言っているのかすぐに分かった。

 彼は自分が何を叫んでいるのか分からなかった、 エセリアの名前を呼んだのか、やめろと叫んだのか、ダメだと訴えたのか。 もしくは、その全てか。 大剣を構えた少女が、悠々と振り上げる。 勝利の確信を得た少女の口から、笑いが零れる。



(エセリアさん、ぼくたち何日お風呂に入っていないんでしたっけ……?)(さあ……? 最後にちゃんとした宿に泊まったのがいつなのかも思い出せないですね……ははは)(王宮の人が見たら失神しますよ)



 ――何だ、この蘇る声は。 まるで、まるで……走馬燈じゃないか。

 涙が風に千切られ、虚空へと舞う。 何度も何度も叫んだ。 そんな彼の存在を煩わしく思ったのか、女神官が錫杖をわずかに動かした。



「『沈め』」



 呪いの言葉と共に。 瞬間、マブタの上空から、虚空がのしかかる。 何十倍にも増した重力が、マブタに覆い被さる。 足を取られ、地面に押し付けられる。 そのまま地面にめり込んでしまいそうな状況の中でも、マブタは顔を上げて何事かを叫び散らした。

 懇願するように泣き喚いたかもしれない、怒り散らすように暴言を吐いたかもしれない。

 過去の情景が浮かんでは、消える。



(マブタ、いい? シラツブクサの毒素を抜くにはまず――)(殺す、この偽善者を)(たくさんの街を見れて、いいえ、たくさんの街をエセリアさんと見れて、よか――)(殺す、殺せる! 何て気分がいいのかしら!!)(エセリアさん、ぼく――)(殺す)(殺す!)




(殺せるッ!!!!)





 あのときの幸せな光景が、少女の憎しみに飲み込まれていく。

 そんな中で、エセリアは、笑った。 いつもの、優しい笑みを。

 大剣が、限界まで持ち上げられる。 エセリアは言った。



(マブタ、あなたのことが、大好きです。 私の妹のことを――――本当はもっと、一緒にいたかったけれど)

「エセリアさんッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」



 迷いはなかった。 マブタの絶叫を気にも留めずに、大剣が振り下ろされる。 乾いた空気に響き渡る少女の高笑いと、飛び散る命の欠片、マブタの嘆き。 うつ伏せに倒れ込むエセリアに必死に訴えかける。 彼の頼みを何だって聞いてくれたエセリアは、しかし、彼の願いを聞き遂げてはくれなかった。 血の池がひろがる前に、少女はエセリアを足で転ばせて空を見上げさせる。



「さようなら、偽善者さん」



 少女は大きな高笑いを浮かべ、街の出口へと歩いていく。 女神官も細い笑みを浮かべてついていった。 マブタはただ、泣き叫びながら、己の心に憎しみが芽生えるのを抑えることしかできなかった。

 二人の少女が視界から消える。 ふと、彼の拘束が解けた。 すぐにエセリアに駆け寄る。 怨敵は、追わなかった。


 抱き寄せた腕に生温かい感触が広がる。 マブタは何度も何度も首を横に振って、神に祈り続けた。

 その奇跡で、彼女を救ってください、と。 神は黙っている。 あれほどに愛した聖女を、ただ見ている。 彼女に寄り添うのは、醜悪と罵られた青年だけだった。



「…………」



 エセリアが、小さな息を吐いた。 虚ろな目を細く開き、口をパクパクと動かしている。

 マブタには彼女が何を言っているのかが、ハッキリと聞こえた。



(ごめんね。 勝てなかった。 街の人が、守れなかった……)



 マブタの口も、嗚咽を漏らすことしかできなかった。 エセリアの目から、後悔の涙が零れた。 傷口から、鋭利な蔦がゆっくりと生えてくる。 エセリアは、痛がることも、意識を濁すこともない。



(私、まだ、死にたくないです。 あなたのことを、もっともっと、何十年と先に二人が死んでしまうまで、笑顔にしたかった…………私の、わがまま、ですけど)



 エセリアが、笑った気がした。 マブタは、ダメだと何度も声を上げて、尖った蔦を引きちぎろうと片手を伸ばす。 エセリアの手が、俄かに動き、マブタの手首をしっかりと掴んだ。 自分が死の淵に立たされてなお、マブタがたかだか手を切り傷だらけにするのを嫌がったのだ。 しゃべることすら、できない状況で。



(マブタ、今日も必ず、どこかに青空がある。 どんなに暗い空に覆われても、どこかに光はある)



 その言葉は、何回も聞いた。



(あなたは、とっても暖かい光を持っている。 あなたは、醜い人間の中にある優しい光を、もっともっと煌めかせることができる。 絶望することもあるかもしれない。 それでもどうか、人間を嫌いにならないでほしい)



 その言葉も、何回も聞いた。



「…………なりませんよ、もう。 どれだけあなたと、旅をしてきたと思ってるんですか」



 マブタはやっと言葉を紡いだ。 蔦が、エセリアの肘まで侵食した頃だった。



(私がいなくても、人の弱さを憎み、人の優しさを愛してくれますか……苦しんでいる人がいたら助けて、己の醜さに身を委ねる人間を咎め、導く。 そんな冒険を、してくれますか? あなたを待っている人が、たくさんいるんです)

「一人でする冒険なんて、淋しいですよ」



 首を横に振る。 棘が手首までを覆う中、エセリアはマブタを掴む手を離し、代わりにごつごつとした彼の太い指に自分の指を絡めた。



(大丈夫。 瞼を閉じれば、私はいつもそこにいます。 あなたはいつでも私と一緒です)



 彼はまた首を横に振る。 エセリアが手を離すと、彼女の手は蔦の中へと沈んでいく。



(冒険者のあなたに、一つ依頼があります。 私の、私の妹を、助けてくれませんか? 世界で一番大切な家族なんです。 でも、私では、救えなかった)

「ダメですよ。 まだこの世界にはあなたが必要だ……!!」



 彼女は安心したように息を吐いた。 肩までこみ上げる蔦。



(マブタ。 ちゃんとご飯は毎日食べてください。 ちゃんと寝てください。 それと、体を壊さないでね。 危ない場所に行くときはしっかりと準備して。 なるべくお風呂も入ってくださいね)

「こんな時まで、他の人のことばっかり……少しは、自分の心配でもしたらどうなんですか!」



 もう無理だった。 顔はどんどんくしゃくしゃに。

 咽ぶマブタに、エセリアは大丈夫と声を掛けた。



(私は、あなたのことが、大好きですよ。 大好き。 あなたと一緒にいる時間が、私の宝物……とっても幸せでしたよ。 マブタ……)



 そっちへ行かないで。 至高の神々は、やはり、彼の願いを聞き届けない。

 エセリアは、瞼を閉じる。 その奥には、どんな光景があるのだろう。 彼女の意識は風に流されていき、荊が、世界の全てに愛された聖女を包み込んだ。

 マブタの絶叫が、腐竜で埋もれた空へと飲み込まれる。 遠くへ去っていった怨敵も、この叫びを聞いただろうか。 憎悪でも、悔恨でもない、圧倒的な、悲しみの雄叫び。



「エセリアさんッ……!!!! エセリアさん!!!!! ううぅっ……!」



 荊に覆われた肉体が、無理矢理動かされる。 だらりと垂れていた両手が、俄かにマブタの首へと掴みかかる。 棘が彼の首に食い込むが、マブタは覆い被さろうとする荊の塊を抱きしめて、泣き叫んだ。 痛みなど、感じなかった。 荊は力を強める。 棘が、首の皮膚に入り込む。

 やがて、ブチ、という首の血管が破れる音を聞いて、彼の意識は閉じた。





 空が青い。 マブタは、夢でも見ていたような気分で視線を下ろし、ボロボロになった街を見てやはりあれが夢でないことを知った。 正座した膝の上に、エセリアが頭を乗せて眠っている。 その青白い顔を見て、彼女が目覚めないことを痛感する。 頬から落ちた涙が、エセリアの頬に落ち、伝う。


 彼女の死に姿は、どこか妙だった。 荊に覆われていたというのに、八つ裂きにされた傷が見当たらない。 それどころか、血には濡れているにも関わらずその元になる剣による傷すら、ない。 感触に気付き首元を触ると、エセリアの大事にしていた青色の水晶が、ぶら下がっていた。 いつの間に。 そんな彼の困惑を振り払うように、大勢の足音が地面を揺らした。 咄嗟に水晶をポケットにしまう。 近づいてくるのは、豪勢な銀色の装甲を纏った戦士たち。 国軍だ。


 恐らく遅れてやってきた彼らが『言葉無きもの』たちを追い払ったのだろう。 中には、別の街や都市から駆り出された冒険者の姿も見える。 そんな彼らは瞬く間にマブタを取り囲むと、一人がマブタを突き飛ばして、エセリアの亡骸を奪い取った。



「なんてことだ……」

「貴様がやったのか!!!!」

「ち、違う! ぼくじゃない!!」

「嘘を吐くなオーク!! お前が『言葉無きもの』に襲わせたんだろう!!」

「エセリア様が、不気味な男を連れているという噂があったな……まさかコイツが……」

「エセリア様に近づいて、裏切ったのか!!」「化け物め……」



 マブタの否定を鵜呑みにする人間など、誰一人いなかった。



「おい、誰にやられた!? この男か!?」



 一人が、道端に倒れていた少年を抱え上げ、マブタを指差しながら問い質す。 少年は虚ろな瞳で、辺りを見渡す。 もう命は長くないだろう。



(アイツだ……アイツが殺したんだ……エセリア様を……あの卑しき、悪の女が)



 彼の朧な意識は、エセリアを殺した、あの少女のことを言っていた。

 マブタは安心した。 少年が、首を横に振ってくれると思ったからだ。

 しかし、少年はゆっくりと指をもたげると――――マブタのことを、指差した。



「…………え?」



幻影でも見たのだろうか。 少年が事切れるのと、彼らが声を荒げてマブタを取り押さえようとしたのは、同時だった



「ま、待ってくれ!! ぼくじゃない!! そうだろう!? ぼくはやってない!!」

「やかましいぞ豚が!! そう言ってエセリア様を騙したんだな!!」

「違う!! ぼくがエセリアさんを手にかけるわけない!! ねぇ、見てたんだろう!? どうして!! なんでそんなこと言うんだ!! ぼくじゃないじゃないか!!」



 少年は返事すらしなかった。 当然だ、少年の意識はもうこの世にはない。

 その証言が、マブタを悪人に仕立てあげるのは簡単だった。 何度も少年に問いかける内に、彼は暴行を加えられ、抵抗が出来なくなるまで痛めつけられ、そして連行された。


 裁判も何もなかった。 彼は大衆の前で殺されることが確定し、エセリアの死という大事件が帝国中の話題を席捲している二、三日の間に、彼はひたすら拷問にかけられた。

 右目は潰され、指は折れ、喉は潰れ、溺れさせられ、食事も与えられず、彼は弱った。

 瞼を閉じると、エセリアが笑っていた。 エセリアとの約束がある。 だからマブタは無罪を訴え、拷問と言う非道を咎め、その度に拷問は苛烈になっていった。


 来たるその日。 処刑場で醜く荒れる人々の前でも彼は無罪を叫んだ。

 誰も相手にしてくれなかった。 石を投げられた。

 一人だけ、マブタを守った少女がいた。 少女は気高く、大衆を前に世界中の敵であるマブタを守った。


 その少女の髪は、エセリアと同じ金色だった。

 そして誰よりも、人を憎んだ鮮やかな青い目をしていた。


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