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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第六章『小さなひだまりに、闇と光』
18/20

この世は地獄

 サンティの世界は、地下の闇へと引きずり込まれた。


 ゴブリン。 神話であろうと地方の伝承であろうと、現実であろうと、最も卑しい種族と語られる。


 本能のまま動き、人が何も感じずに蟻の四肢をもぐような感覚でエルフや人間の四肢を切断する、最も忌み嫌われる種族の一つ。


 ゴブリンの巣に引きずり込まれたサンティは、これまでの不快感が可愛く思えるほど、小さな緑の鬼たちに凌辱の限りを尽くされた。 彼らはサンティが高貴な存在であることを本能的に嗅ぎ取り、サンティに屈辱を与えることや彼女を汚すことを愉しんだ。


 ゴブリンの巣には他にも様々な女が連れてこられる。 エルフや人間、種族は雑多。


 多くが繁殖用に攫われ、おぞましい目に遭い、拷問まがいの責め苦を受け、飽きたら最期に残り汁を絞り出すように聞いたことのない声を上げさせてから死に追いやられる。


 日々の止まぬ欲望と汚物に塗れた凌辱に泣き叫び暴れ、ああやって殺されるのが次は自分かと恐怖しているうちに、サンティの心も、やがて完膚なきまでに荒んでいった。


 彼女は死にたくなかった。 自我を失って壊れたくもなかった。 この暗闇の地獄でそんなサンティが拠り所にしたのが、自分の中にある憎しみだった。 姉と自分を傷つけるものへ向けた怒り。


 それは醜きゴブリンたちへの憎しみへ派生し、そしてそれ以上に姉への強い憎しみへとなっていく。 それは理不尽な怒りだったかもしれない。 だが、その強烈な憤怒で、サンティは一年近くの間、地獄の巣穴の中で生き延びることが出来た。


 サンティは憎しみを自覚した瞬間から、痛みや嫌悪を見せることはなくなった。 彼女が持っていた反撃の刃は、研究してきた魔法の知識のみ。 すなわち霊脈を体全体で行使できるようにすること。 それを可能にするために自身の体の中を流れる霊脈とひたすらに向き合う必要があったが、時間は、気が狂うほどにあった。


 反応を示さなくなって小鬼は退屈そうだったが、サンティはその美貌故に廃棄されることはなかった。


 そして、一年が経ち(もちろん後から知った時間だ)、体全体に白い光が揺らぎ始めたとき、唐突に闇は開けた。


 やんやと騒ぐ男たちの怒声と、剣戟の音。 ゴブリンたちは犯した罪に対してあまりにも浅い死を遂げ、巣穴にやってきた兵士たちは、ゴブリンの殲滅を確認すると足早に女性たちを担ぎ上げ穴を出ていく。 サンティは、助かったのだ。


 張り詰めた憎しみが突然切れ、サンティは訳も分からず呆然としてしまう。



「助かった、の……?」



 サンティは涙が出るほどの安堵に包まれそうになった。 だが、やめた。 なんだか、様子がおかしい。 死んでる、生きてる、外れだのといった雑な言葉が行き来し、既に命を落としている女性の死体は悼むことなくその場に放り捨てていた。



(……待って、この人たち、何しに来たの?)



 サンティの前に、身分の高いらしい男が屈み込む。 サンティの青い目を見ると、男は気色の悪い笑みを浮かべた。



「ほお。 汚れもんだが、とんでもねぇ当たりだぜ、コイツは」



 サンティを弄ぶ領主と同じ猟奇的な目で、サンティを地獄に落としたエーアイと同じ三日月型の笑顔で、男は笑った。





 後で知った話である。 男たちは、近くの小さな山の上にある要塞を守る屈強な兵士たちだった。 彼らは男ばかりの環境を不満に思い、近くの村や森でゴブリンに攫われた娘たちを助けた際、彼女たちを全員死んだことにして要塞に連れて行き、自分たちの性奴隷にしていたのだ。


 それが、極圏から国民を守る自分たちに与えられた当然の権利だとでも言わんばかりに。 サンティは要塞の主の専属の奴隷になった。 その男も、サンティにドレスやフリルの付いたワンピースを着せるといった嗜好があった。


 首元には首輪が付けられる。 それは、一定範囲を出たり無理に外そうとすると爆発する魔法道具であった。 彼女がやって来たのは、地上の地獄。 自由などどこにもない。



『お前は俺のものだ。 俺を満たすためだけのものだ。 一生な』



 その言葉が、どうしても忘れられない言葉になった。


 サンティの憎しみは、かつてサンティを弄んだ領主や、この要塞にいるものたちへ、そして世界の全てへと広がっていった。 男も女も関係ない。 王宮にいたときから、全員が敵だった。 自分の欲望のために罪なき他人の人生をぶち壊す悪意の、なんと多いこと。


 だが、頭に浮かんだ優しい聖女の言っていた言葉を思い出し、善良なものたちもいるのではないかと、心のどこか信じてもいた。


 しかし、彼らの欲は、そんな少女の思いを何の気なしに踏み砕く。


 ある日要塞の長の執務室で書類を眺める男の横顔を見て、どんな殺し方をすれば自分の苦しみが伝わるだろうなどと脳裏で何度も男を殺していると、ドアが開いて一人の少年が入ってくる。 入って来た少年とサンティは、あ、と声を上げる。



「何だ、コイツを知ってるのか? ああ、お前王宮で衛兵やってたもんなぁ」



 昔、王宮でずっと一緒にいた少年だった。 サンティはようやく希望を顔に浮かべることが出来た。



「は、久しぶりの再会がこんなところでとはなぁ。 どうだ、久しぶりに会って。 いい女になっただろう、ははは! 王族を飼えるとは、最高だな!!」

「…………そうだね、兄さん」



 要塞の長に身体をまさぐられる恥辱に耐えながら助けを求めて見た少年の目は、炯炯としていた。 その眼は、サンティが何度も見てきたものだった。 助けて、そう心に願う。



「弟のよしみだ。 お前にも抱かせてやるぞ」



 だが、願いは虚しく空ぶって。


 少年が息を吞み。


 サンティはいつの間にか、寝台に無理矢理押し倒されていた。 少年の荒い息を聞きながら、サンティの見えていた世界が、どす黒く歪んで見え始める。

 

 善良な人間。 そう見えるものも、結局は愚かしい欲を持っていて、醜さは変わらない。


 地獄から抜け出せることはなかった。 この世界全てが、欲に溺れたものどもの地獄だから。


 サンティの憎しみは、爆発的な知的欲求になって現れた。 そのためにサンティは、要塞長の兄弟に媚びた。 花のような笑みを浮かべ、献身的に、あなたから一生離れないと、媚び続ける。


 やがて、サンティの思惑通り、彼女の行動範囲は要塞の中ではほとんど自由になった。 昔のように、されどあのときとは全く違う理由で、サンティは余す時間の全てを書庫に行き、魔法に関する書籍を読み漁った。


 怨敵に媚びるのは、異常なまでのストレスを伴った。 求められるたびに女性的な魅力に長けて育っていく自分の体が嫌で、媚びる自分の甘ったるい嬌声が嫌で、サンティは何度も自身の腕をナイフで切りつけた。


 そうやって自分を誤魔化して二年、サンティはようやくその日を迎えた。 体全体で魔法を駆る要領を完璧に把握した知識の塊は、執務室への道を進む。


 体にうっすらと白い光が浮かび上がる。



「『殺す、殺す、殺す、殺す――』」



 呟く度に、体に魔の理の力が宿る。 それすらが、魔法。 サンティは迷うことなく首輪に手を掛け、揺さぶる。 廊下を通りがかった兵士たちが、それを見て笑った。



「おい、爆発するぞー、気を付けろよ」



 だが、嘲笑していた兵士たちも、首輪がけたたましい音を立てて外されようとしているのを見て、一様に顔色を変えた。



「お、おい!! コイツマジで死ぬ気だ!! わああ!! 逃げろ!! 爆発する!!」



 兵士たちは狭い廊下で逃げ惑う。 カチ、と甲高い音の後に、サンティの首輪が紫色に光った。 

 直後、閃光。 衝撃は要塞を揺らし、天井や壁の石畳を吹き飛ばし、崩す。


 兵士たちや奴隷がざわめき、危険を伝える鐘が遠くで鳴った。


 そんな混沌の中、サンティが煙の中から姿を現すと、事の成り行きを見ていた兵士たちが発狂して、曲がり角の先へ消えていった。


 サンティは無傷だった。 幾多にも重ねた身体強化の魔法だけで、全てのダメージを無効化したのだ。


 兵士たちは誰もサンティに歯向かおうとはしなかった。 執務室の大きな両開きの扉を見つけ、手を翳し、呪文を唱える。 周囲に現れた赤い稲妻が、扉を粉々に粉砕した。


 そこにいる。 サンティが最初に殺すには相応しい兄弟の姿。 兄弟は恐怖に目を見開き、体を震わせていた。


 どんなふうに殺してやろう。 どんな拷問をくれてやろう。 爪を剥がしてやろうか。


 サンティが恨みを口ずさみ、先の尖った氷柱が一つ現れる。 先ずはこれを一本ずつ突き刺して、磔にしてやろう。 こいつらを殺したら、今度はこの要塞の連中を全員殺してやる。 その後に、この世界を、そして、姉を――



「『死ね』ッ!!」



 命令が下され、氷柱が要塞の長目掛けて射出される。 氷柱は阻まれることなく一直線に怨敵へ向かい、腕を貫いた。


 ――突然執務室の入り口の影から伸びてきた、しなやかな白い腕を。



「え……?」



 サンティは立ち止まる。 そこには、もう一人誰かがいたのだ。 よく見れば、卑劣な兄弟の恐怖の視線はサンティではなく、その細腕の持ち主に向けられている。


 脇から現れたのは、ふわりとした獅子の如き金色の御髪。 小鬼の巣穴から出たあの日、目を突き刺した日の光よりも、その髪は眩しかった。 腕から伝う鮮血が純白の神装を汚すが、彼女は気に留めることなく氷柱を引き抜いた。 手に聖剣が顕現する。


 エセリア=ネーヴァ=メセトニア。 名高き聖女はサンティを振り返って見つめ、サンティは身構える。



「どいて!! 私の邪魔をする気ですか!!」

「……邪魔といえば、邪魔かな」



 エセリアは小さく笑うと、男たちへ視線を戻す。 その刹那、エセリアがあまりに凄絶な感情を抱えた目をしていたのを見て、サンティは気後れして後ずさった。



「こんな連中のために、あなたが殺人を犯すことはないですよ。 それに」



 男たちが悲鳴を上げた。 恐怖で何度も額を地面に擦りつけるが、エセリアの耳には届いていない。



「あなたの復讐では、生ぬるい」



 エセリアが聖剣を胸の前に構え、唱える。 エセリアの周囲に光が湧き出した。



「『聞こえますか。 あなたが生み出したものを見てください。 私があなたを愛し、あなたが私を愛するそれを真とするなら、あなたの創り上げた世界を、私の正義で裁く権利をいただけませんか』」



 光が聖剣に集う。 奇跡の天井を破った『神との対話』とも言える至高神の干渉が始まろうとしている。 次元の違う力を前に、人間に出来ることなど少ない。 悪の兄弟は涙を散らしながらエセリアの脇を抜けた。 サンティに向けて両手を伸ばして助けを求めてくる。 だが、



「往生際が悪いですよ。 人の人生を飲み込んだ悪意の償いは、ここでしてもらいます」



 それよりも先にエセリアが小さな呼吸と共に聖剣を両手で地面を突き刺した。 ふわり

とした半透明の光が半円状に広がっていく。 光は男たちを飲み込み、それからサンティを包み込んだ。



「ッ!!!!」



 殺人的に高貴な光だと思った。 それが体を通り抜けた瞬間、自分の影も、怒りも、過去も、熱射を放つ白日の真下に晒されたような、はたまた自分の全てを曝け出して他人との境界を失ったような感覚に陥った。 全てを覗かれ、サンティの闇に光が突き刺さる。


 心臓をフォークでつつくような痛みに、サンティは小さく喘いで胸を両手で抱える。


 そんなサンティの目の前で、男たちはこの世のものとは思えない声を上げて悶えた。


 ゴブリンが女たちを拷問なり処刑なりするときの最期の声とは比較にならなかった。


 光の中で暴れ狂い、目玉が飛び出すほどに瞠目し、声帯が引きちぎれそうなほどの声を上げ、髪が見る見る内に白く色落ちしていく。


 一体どんな痛みと苦しみに苛まれているのだろう。 怨敵を憐れむほどに聖なる光の責め苦は苛烈で、それでいて男たちは死ぬことを許されていなかった。 光は止まることを知らず、要塞を飲み込んでいく。


 そこら中を男の声がのさばり、耳を塞ぎたくなったがあまりの壮絶さと恐怖にサンティは指一本動かすことが出来なかった。


 男たちは光に焼かれ、自分という人格を喪失しているのではないかと思うほど壊れていた。 限界まで開いていた目はいつの間にか落ちくぼみ、皮膚は肉が蒸発して削げ落ち、肌の色は見る影もなく茶色から黒へ。


 それでも死ねない男たちはどこかへ手を伸ばして許しを請うが、裁きは続いた。 彼らにとって、その責め苦は永遠に思えただろう。


 サンティは光の中心にいる聖女を見て、髪の毛が全て抜け落ちるような恐れを抱いた。


 極聖の聖女は、男たちを見下ろして哀れに思うこともなくその最期を待っている。


 やがて光が消え去ると、先ほどまで人だったそれは意思をまるで感じさせることなく地面に落ちた。 老人の姿を越えて木の枝のようになった死骸の潰れた濁った瞳と、目が合った気がした。


 サンティはようやく呼吸を思い出す。 自分が思いついたどんな復讐よりも、この仕打ちは惨かった。 胸の痛みはまだ尾を引いている。


 エセリアがサンティの元へと歩いてくる。 自分はどんなに怯えた目でエセリアを見上げていることだろう。 彼女は目を伏せてサンティの前に座り込む。


 目を背けそうになったが、もうエセリアの瞳には目を反らすほど殺気はなかった。



「サンティ、何年ぶりかな。 私はてっきり、あなたはエーアイと一緒に行ってしまったのだと思っていました……こんなところで、踏ん張っていたんですね」



 エセリアは優しく頭を撫でる。 腕の途中を滴る赤い血を目で追おうとしたら、エセリアの肩が震えているのが見えた。



「ごめんさない……こんなに、こんなに、辛い思いをさせて。 もっと早く助けられていたら……ごめんなさい」



 血と一緒に、透明の雫が純白の装衣の上に落ちる。 エセリアはサンティの小さな体を力強く抱きしめた。 暖かかった。


 情欲ではない、ただ一重の愛に抱きしめられ、言葉にならない気持ちが込み上げる。


 サンティは自然と抱擁に応え、エセリアの背中に手を回した。 全身から力が抜けて骨まで溶けてしまいそうな安心感が体を巡る。


 自分が今まで復讐をしようとしていたことも、そしてその根本にある憎しみすらも、忘れてしまいそうだった。 この世界に善人など存在しない。 そんな自分の思考の根底が揺らがされてしまったように、サンティは半ば放心状態だった。



「あのとき、あなたたちが下賜されるのを、もっとちゃんと抗議していれば……私のせいなんです」

「……抗議して、くれていたんですか?」

「ええ。 エーアイ本人が私の抗議に強く反発して、エーアイの意思で強引に下賜されることになってしまったんです」



 今さらそんなことを知っても、過去は変わらない。 だが、エセリアを抱きしめるサンティの手には、柔らかい力が籠った。


 この人も、本当は欲に塗れて他人を虐げるような人間ではないのか? そんな問いに、そうだと言える根拠を、あの光を前にしたサンティは、復讐を自分の望んだ以上に果たされたサンティは持っていなかった。


 優しく体を抱くエセリアの耳元で、小さく呟く。



「エセリアお姉ちゃん、王宮にいたときによくこうやって抱きしめてくれましたよね。 あのときは香水や石鹸の匂いがしたけど、今は草や風の香りがします」

「…………私ね、冒険者になったんですよ。 困っている人や、助けを求めている人を救いたくて」



 そんなことを言うエセリアに、サンティは素直な気持ちを聞いた。



「この世界の人たちは、助ける価値のある人なんですか? 私は、欲に負けたものたちに人生をぐちゃぐちゃにされました。 周りは皆冷たくて、優しかった人の笑顔も、結局は仮面だった。 そんな人たちを、殺そうとする理由はあっても、守る理由が、私には分かりません」

「…………ちょっと、歩きましょうか」



 エセリアに引かれ、サンティは手を繋いだまま立ち上がり、要塞の中を最上階に向けて歩いた。 そこかしこに死体があり、どれも棒きれのような無残な姿を現世に残していた。



「この世界には、善意だけでできたものも、悪意だけでできたものも存在しません。 誰れもが皆、そのどちらもを抱えながら生きています。 彼らはみんな光を持っているんです。 そして、闇も。 ときに彼らは、弱さと欲深さ故にその罪の大きさも知らず、自分の欲に溺れて悪意に身を委ねてしまうことがある。 その罪は、必ず清算しなければいけない」

「だからこの人たちは、死んだんですか?」

「そうです。 ここのものたちはもう戻れないところまで壊れていた。 人の人生を無理矢理従属させることの罪深さを忘れ、自分の欲望を満たそうとした。 私はそんな彼らの醜さを決して許さない。 相応の痛みを伴った罰を与える。 それが先ほどの光です」



 青空が見えた。 要塞の屋上から城下の森や中庭が一望できる。 エセリアは側にあった北向きの大砲を撫でながら、やりきれなさそうに言った。



「ときに、人の善悪のバランスは非常に脆くなる。 傾けば常識に善か悪かの基準はなくなり、自分の欲望を正当化し、倫理も壊れていく。 そして、狭い世界の中にいるとそれは他の人にも伝染してしまうことがあり、自分に甘え、より深く堕ちていく。 でも、欲に負けず、誰もが持っている善意を光らせることができる人も、この世界にはたくさんいるんですよ」

「私は、私がたまたま身を置かれた場所がそういう場所だった、ということですか? もしあの奇跡を街中で使っても、こんなに死人が出なかった、と」

「ええ……信じたくないかも、しれませんが」



 エセリアはサンティの手を躊躇いがちに握りしめる。 それを信じさせることは、サンティの数々の地獄を不運という言葉で片づけるということになると思ったのだろう。



「見えますか。 たとえ地獄でも、そういう心に流されなかったものはいます」



 中庭を見下ろす。 見事な死屍累々が出来上がっていてサンティは顔をしかめた。

 しかし、目を凝らせば、動く影がある。 最初は、被害者の女性たちだけだと思っていたが、鎧を纏う大柄の影もいくつかあった。


 悔やむように、非難するように、悼むように、彼らは同胞の亡骸の目を閉じさせていた。



「私がここに来たのは、あの中の誰かが逃がした女性の情報提供があったからなんです」



 兵士たちは要塞の頂上にいるエセリアに気付くと、申し訳ないと言わんばかりに頭を深々下げる。



「……ほら、あそこにも。 あの子も、あの光を浴びてピンピンしていました」



 サンティはエセリアの視線を追う。 向かいから、同い年くらいの褐色の肌をした少女がのんびりと歩いてくる。



「セリア姉、用事は済んだの?」

「ええ、フタバ。 そうだ。 あなたのお友達にぴったりな子がいましたよ」



 黒いサイドテールが綺麗だ。 この死体が山を織りなす状況で、よくもそんな呑気でいられるものだ。 少女はサンティを見ると、目を丸くして大股でスキップしてサンティの目を覗き込んだ。



「やっほー」

「あ、あの……あれ」



 サンティは、自分が人見知りであることを、本当に久しぶりに思い出した。


 少女は軽い足取りでサンティの周りを跳ねまわり、クンクンと匂いを嗅いだ。 照れ臭さに前髪を触っていると、フタバと呼ばれた少女は後ろから勢いよくサンティに抱きついた。



「この子、凄く頑張ってる子だっ」



 一瞬、顔から表情が消えたように思えた。 だが次の瞬間、長く張り詰めた糸が切れたように、サンティは大声で泣いた。





 草原の中に一人佇む大岩の上で、マブタは上体を起こした。 ズレた右目の眼帯を治しながら、背後の物音に向かって声を掛ける。



「よかったんですか? ぼくのことを助けても……」

「えへ……ルイちゃんに、後で怒られちゃいますね。 でも、体が動いてしまって」



 サンティが荷物からチーズと乾パンを取り出し、マブタに手渡す。 それを向き合って受け取りつつも、マブタは切り出した。



「サンティさん。 彼らのことは、憎いままですか?」

「私の過去を、見たんですか?」

「すみません。 自分で制御できなくて」

「……いえ。 いずれ私から話そうと思っていましたから、お気になさらないでください」



 サンティはワンピースを整えながら膝を丸める。



「エセリアお姉ちゃんは言いました。 この世界には、誰もが光と闇を持っていて、その中で闇に傾いてしまう人がいる。 でも、この世界に光がないなんて思わないで欲しい、と。 ……ないと思っているわけじゃない。 私も、その光に救われたんですから」



 サンティは髪に靡く銀髪を押さえながら、思い出に耽る。



「でも、冒険者として旅に出て、策謀とか、利権とか、そういう自分勝手なものを見ていると、どうしても憎しみが疼くんです。 それに、旅に出た私にはどうしても彼らに光があるようには見えなかった。 私たちの一党は、嫌われていましたから。 だから、今も私の中には大きな憎しみがある。 鞘がなければ今にも何かを斬り裂いてしまいそうな、凶器が。 何かを傷つけないでいられたのは、エセリアお姉ちゃんだけが、確かな光だったから。 あの人がいるなら、私は彼らの光を信じられた。 というより、信じるしかなかった。 でも……」

「エセリアさんは、死んでしまった。 自分の中にある憎しみを引き留めるものがなくなって、今にも誰かを傷つけてしまいたくなっている。 だけど、心の中にいる本当のあなたは、確かなものを見つけて、エセリアさんのことを信じたいと思っている。 ですか?」

「心を読むのが、本当に上手ですね」

「いえ……同じことを言っていた人を、知っているだけです」



 二人は顔を合わせて笑う。 脳裏には煌魔族の少年の顔だ。



「私はこの世界にあるらしい沢山の光が見てみたいんです。 今は暗くて何も見えなくても、あなたの光に応えて夜空に煌めく光たちが見えるかもしれないと、思っています。 マブタさんは、私たちと同じ境遇にありながら、本当に純粋で綺麗なものをお持ちですから。 失礼な言い方ですが、エセリアお姉ちゃんは眩しすぎて、見えそうになっても彼女の光を反射して光っているとしか思えませんでした」

「ぼくも、サンティさんにもっとたくさんの光を見せたいです。 約束しましょう」



 マブタが小指をサンティの前に持っていくと、サンティも微笑んで小指を絡ませる。



「でも先ずは、ルイちゃんに見せてあげてください。 ルイちゃんは……エセリアお姉ちゃんの光の近くにいすぎて、背中を向けてしまっているから」

「ええ。 …………サンティさん、少し力を貸してもらえますか?」



 サンティは、快く頷いた。


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