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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第六章『小さなひだまりに、闇と光』
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姉だったもの

 ――私は、欲に負けたのだろう――


 サンティには、同時に生を受けた双子の姉がいた。

 生まれたときから、彼女が側で自分を守ってくれたような、そんな気がしていた。


 ルイが生を受けてから三年。 現皇帝はまたしても、闇の至高神の接触を受ける。


 今回は前回以上の失敗を伴い、双子が至高神に大きく侵食される形で幕引きとなり、王宮の失態だと感じた皇帝は至高神の接触の情報を完璧に遮断した。


 至高神からの接触自体が今度はなかったものとされ、生まれてきた銀髪の双子は、先天性の病気だという誤魔化しが意図的に流布されることになる。 王位継承権からは遠く離れた故、不穏な銀髪を排除しようという動きは少なかった。


 サンティは生まれ以って病弱で、気弱。 それに対してエーアイは常に気が強く、不憫な目を向ける大人たちの視線に対していつも反抗的な目を向けていた。


 そんな王宮で肩身が狭い暮らしをしていたサンティにも、何人かの心の拠り所があった。


 一人は、平民出の衛兵の少年。 彼は屈託なくサンティたちに接し、将来は北の要塞都市で極圏のものたちと戦うんだと夢を語ってくれた。 エーアイも彼のことは気に入っていた。


 もう一人は、時折姿を見せた父親違いのエセリアという姉。 彼女はいつも笑顔で、神代の話や遠くの国の伝説、境峰の研究についてを多く教えてくれた。

 引っ込み思案のサンティもエセリアには大層懐いていたが、エーアイは訳もなくエセリアを憎んでいた。


 そして何より、誰よりもサンティに近しい姉のエーアイ。 寝るときも湯あみをするときも、いつも一緒の姉。 いつもサンティには笑顔を向けていて、彼女に心無い言葉を向けるものがいれば誰が相手でも立ち向かった。


 サンティは、誰よりも姉を愛していた。


 二人は勉強が好きだった。 日中特にやることのなかった二人は決まって王宮内の図書館に赴き、日がな多くの本を二人で一緒に覗き込んでいた。


 光の奇跡を与えられなかったサンティとエーアイ。

 王位継承から遠い彼女たちに興味のない国民は、彼女たちが病弱で光の奇跡を与えられなかっという説明に、疑問や失望を呈することすらしなかった。


 二人は、奇跡の代わりに、魔法の研究に勤しんだ。

 奇跡に頼らなかったのは、彼女たちなりの、不遇な境遇を与えた神たちへの反抗だったのかもしれない。 仲の良かった少年とエーアイの三人で、中庭で拾った木の枝を杖に見立てて魔法使いごっこをしているときが、サンティは一番楽しかった。


 だが、あるときからエーアイに異変が起きた。


 人が変わってしまったかのように、闇の至高神に心酔するようになったのだ。

 図書館に行っても一緒に本を読むことはなく、埃を被った本棚の影で古ぼけた本を手にぼそぼそと何かを呟くエーアイを見て、不安を募らせる日が続いた。


 エーアイは闇の至高神に信心を費やし、来る日も来る日もサンティに闇の至高神の魅力を語り続けた。 恍惚として、まるで恋人に身を阿る色気づいた女のようだった。 エーアイは変わらずサンティを愛し続けたが、彼女の笑顔が恐ろしかった。


 それが、至高神の接触で起きた異常だったのだろう。 エーアイは信心を深めるごとに攻撃的になり、度々王宮で傷害事件を起こした。


 手を焼いた王宮は、物好きな極圏近くの領主に、双子を下賜することにした。

 領主は気味の悪い好色の笑みを未だ十二歳のサンティとエーアイに向け、それが吐き気がするほどの嫌悪感を催した。


 辺境に飛ばされた二人はすぐに軟禁生活を強いられ、意思のない人形のように毎日様々なドレスを着させられた。 太ももや髪を撫でまわすような気色の悪い愛撫が、死ぬほど気持ちが悪かった。


 領主の男は、気弱なサンティよりも、それを庇う気の強いエーアイにより好奇の視線を向け、毎夜エーアイを自室に無理矢理連れ込んだ。


 隣の部屋から聞こえてくる欲に塗れた男の嬌声と姉の絶叫にサンティは耳を塞ぎ、その度に吐き気に耐えかねて何度も床に突っ伏した。


 老いが見え始めた領主の正妻も、若く美しい娘を見つけては躾と称して屋敷に連れ込んで魔法や鞭で叩くなどの暴行を加え、嗜虐心を満たす悪鬼の如き女だった。


 双子は彼女の格好の標的となり、反抗的な態度を崩さなかったエーアイの生傷はどんどん増えていった。 姉は見る見るうちに感情を殺していき、どんどん壊れていった。


 サンティは日々続く地獄のような生活に恐怖していたが、その中で、確かに心の中にどす黒いものが芽生えているのに気付いていた。


 あがり症の自分がこんなに冷静になれるのかと思うほど、漠然と広く、まっさらな、怒り。


 しかし、それを先に爆発させたのは、エーアイだった。


 いつものようにエーアイが領主の部屋に連れ込まれ、サンティが大声で泣いていたときだ。


 屋敷が大きく揺れて、今日はいつもとは逆の声が聞こえてきた。 男の苦悶の声と、エーアイの猛々しい笑い声。

 聞き間違いかも知れないと顔を上げたサンティの耳に、今度は廊下を慌ただしく駆ける音が聞えてくる。 焦げ臭い空気が鼻腔を衝いた。


 姉の身に何が、そう立ち上がった瞬間、また屋敷が大きく揺れ、今度は領主の妻の断末魔がサンティの心を震え上がらせた。


 身を飛び出させた廊下は、何か巨大なエネルギーに食いちぎられたようにズタズタに引き裂かれていた。 領主の部屋に飛び込んだサンティは、そこで動きを止め、呆然と高笑いを浮かべる姉の姿を捉えた。



「お、お姉、ちゃん……? 何して……あッ!!」



 エーアイが踏みつけているのは、領主の変わり果てた亡骸だった。 身体中から、鋭利な突起が散らばめた鎖が飛び出している。


 腹や口、手の先など至るところから飛び出した鮮血塗れの鎖が、ミミズのように床に艶めかしく横たわっていた。

 サンティは足元にもう一つの死骸があることに気付き、腰を抜かして倒れ込んだ。


 杖を握り締め、抵抗したらしき女の死骸も、夫と同じ無残さだった。 鎖の根元を辿れば、エーアイの漆黒の神装の袖から生えていた。


 もう片方の手には、金色の錫杖。 姉の口元は三日月のように歪んでいた。



「な、何で神装を……いえ、それより、これは……!!」

「あのお方は、自身の力の残りかすを勝手に使う愚かものまで愛してくださるの……さぁ、行きましょう、サンティ。 あの方だけが、私たちを愛してくださるわ」

「い、嫌です……!! なんでこんなことを……!?」

「なんで? だって、あのお方を信じるばかりか悪しきものにして、愚かな六神を崇め、私たちをこんな風に貶める愚かなものたちなんて、殺して当然でしょう?」



 屋敷の壁が砕け散り、そこから石で出来た大きなゴーレムが悠遊と侵入してくる。 ゴーレムの脇からは緑の小鬼たちがわらわらと現れ、母親に縋る子供のようにエーアイの周りに集まってくる。



「さぁ、一緒に行きましょう、サンティ。 私たちが不浄のものたちに何をされてきたか、忘れてわけじゃないでしょう? 私たちの居場所は、そっちじゃないわよ」



 エーアイはいつものように優しい笑みを浮かべてサンティに一歩ずつ歩み寄る。

 サンティは恐怖に何度も首を左右に振った。


 夫人の亡骸が握り締めていた杖を見つけ、反射的に両手で抱え、胸の前に持ってくる。 これまで、魔法を使うための理論と技術を学んできたサンティは、杖の先に白い光を宿し、エーアイに震えながら向けた。


 すっと、エーアイの口から笑みが消える。 残ったのは、無情な殺意だった。



「……生意気な子。 今まで散々私の影に隠れてきたくせに、私についてこないなんて」

「こんな……こんなこと、間違ってるよ……!!」

「間違っているのは、あなたよ」



 床にひしめく鎖が蠢く。 それがサンティにとって、初めての命の掛かった仕合だった。


 だが、この場で有効な魔法、呪文の詠唱方法、杖の動き……全てが遅すぎた。


 しなった鎖が、サンティの手を引っ掻きながら杖を弾き飛ばす。 行き来する鎖が、何度もサンティを打ち付け肌を抉った。



「ほら!! 早く私と来るって、言いなさいよ!!」

「イヤぁ!! 痛い!! 痛いよお姉ちゃん、やめて!!」

「あのお方に傅かない奴は、誰だろうとこうしてやる!! はははっ!!」



 あれだけ親身に守って来た妹を荊の鋼鉄で打ち付けながら、エーアイは愉快そうに笑う。


 やがて、サンティは体を押さえてうずくまり、“姉だったもの”を見上げて恐怖の表情を浮かべた。

 最早そこにいるのは、変わり果てた怪物だった。


 舌なめずりして、エーアイはサンティを見下ろした。 ……か弱い動物を踏みつけるような嗜虐心を顕にして。



「あなたなんか要らないわ。 お前たち、引き裂くなり、喰うなり、好きにしていいわよ」



 サンティはゾッとした。

 ゴブリンたちがくつくつと喉を鳴らし、涎を散らしながらサンティへ集る。 エーアイは高らかに笑い、ゴーレムの肩に乗って幸せそうにその場から離れていく。


 穢れを知らない無垢な体に尖った黄色い爪がむさぼるように食い込み、下卑た笑い声が耳の中にガンガン入ってくる。


 サンティは何度も姉に縋るように泣いたが、彼女は地下のドブネズミを見るような嘲笑を浮かべ、悲鳴に小鬼たちの声が覆い被さり打ち消していく。 そして。


 サンティの伸ばした手に、小鬼が欠けた小刀を突き刺し。 サンティのあまりに悲痛な絶叫と共に、彼女の地獄が始まった。


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