聖女の愛
「愛なんて、ないわ」
「ある」
「ないわよ」
「見えていなかっただけだ」
「アンタが見てるのは、全部偽りよ」
「どこにでもある」
「どこにもない」
「すぐそこにある」
「ない」
「見えないんですか? それとも、気付かないフリをしているだけ?」
「ないのよ」
「あなたにも?」
朧げな黒い意識の中一人佇み、マブタはルイに語り掛ける。 ルイはどこからかマブタに応える。
「私には、憎しみしかない」
「……そんなの嘘だ」
ふと気が付くと、暗闇の中にルイがいた。 オレンジ色の瞳で、マブタを見ていた。
銀髪の少女がどこかへ歩く素振りを見せると、その姿は掻き消えた。
空を見上げると、いつの間にか清涼な青い空があった。 しかし、その下の街は燃え、砕け、屍のような姿になっている。 そこに、自分の姿があった。
エセリアの亡骸を抱え、咽ぶマブタの姿。
「ほら、あった」
「あなたは姉さんに依存してただけでしょう。 アンタには傘が必要だっただけ」
またどこかからルイの声。
周囲が騒がしい。 マブタは瞬く間に兵士たちに囲まれ、亡骸を奪い取られる。
「でも私には、悪意だけはハッキリ見えるわ」
オークを指差す少年。 袋叩きにあうマブタ。
こん棒に殴られ、昔のマブタは意識を失う。 人ごみの中に、ルイがいた。
見限るように、どこかへ歩き、消えていく。
「ぼくには、愛がある」
「姉さんに偽りの愛を吹き込まれて、それが自分のものだと勘違いしてる!」
「あなたにもある」
「ないわよ!!」
どこかの川の畔だ。 一月前くらいだろうか。
川に足を浸して談笑に耽る少年と少女がいる。
ルイはふくれっ面でそっぽを向き、スズリは苦々しい顔だが楽しそうだ。
少女はやがて雪原に咲く一輪の花のような可憐な笑顔を見せた。
「ほら、ここにも」
「同じ目的のために一緒にいるだけよ」
「彼のために、自分の利益や安定を放り投げて何かをしたことがあるんじゃないんですか?」
「……そんなことない」
向かいの木陰に隠れて、険しい顔をしている過去のマブタがいた。 落ち込み、木の幹に身体を預けて膝に顔を埋める。
「僕はあなたのこと、好きですよ。 ぼくはそれを、恋でもあり、愛だと思う」
「信じない」
「信じられませんか」
「……私に、これ以上まやかしを見せるな!!」
ルイの怒号に、意識が押し返される。
俄かに雪が降り、景色が雪に攫われて上から下へと塗り替えられていく。
誰かの罵声が、反響し、意識の底を揺らす。
「この世界には、悪意しかないのよ!!」
深々と降り積もる雪の中に、白狼の骸がある。 森の奥は静かで、木々の間の虚空はどこまで続く闇の入り口に見えた。
マブタは白狼の骸を側で見下ろし、この世界の悪意を改めて確かめる。
「愛なんてあるか! そんなものがあったら、こんなことしない!!」
気が付いたら、そこに横たわっているのは白狼ではなく金髪の幼い少女だった。
見開いた青い目は虚ろ。 どこかから聞こえるルイの声は、切羽詰まって苦しそうだ。
「では何故、皆には、家族がいて、仲間がいて、誰かの側に、誰かがいるんでしょう」
「化け物のことなんて知らない!!!!」
背後から聞こえた声に振り返ったときには、そこにいた銀色の獣が、拳を振りかぶっていた。 痛みはなかったが、マブタは腕で顔を覆って尻餅をついた。
辺りがうるさい。 腕をどけたら、黒い空からは大粒の雨が、雲の隙間には青い稲妻が奔っていた。 マブタは、王宮の中庭にいた。
『私は知ってる! この世界にいる奴らは、傲慢で、自分勝手で、冷酷だし、残忍だし、他人をいたぶることが大好きで、他人を貶めることが大好きで、私を化け物って!! 違う!! 化け物はお前たちだ!!!! そんな奴らから祝福されて、この世に愛があるなんていうあなたが、大嫌い!! 自分の妹だって愛していないくせに、愛なんてあるわけない!!』
『いい加減にしなさい! そんなことないわ!!』
マブタを挟んで、二人の姉妹が激しく言い争う。
過去のルイが一歩後ずさり、右手を真横へ伸ばすのを見る。 少女の背後の闇から、銀色の獣の姿が現れた。 彼女は、マブタを見て唸る。
空が青く光った。
「何故、姉さんと同じことを言うの!! 愛が溢れてるなんて戯言を、どうして口に出来るの!! アンタだって、誰からも愛されないのに!!!!」
ルイが一歩踏み出し、幼き自分が受け取るはずだった落雷を、代わりに鷲掴みにした。
闇の力が青く切り替わり、ルイはそのままマブタ目掛けて走る。 マブタは首だけで雨に濡れたエセリアの切なく歪む顔を振り返る。
マブタは言う。 ルイは吠える。
「あなたには、エセリアさんの涙が見えないんですか」
「あの人は、私を愛してなんかいない!!」
「そんなの……そんなの。 エセリアさんが可哀想だ」
ルイの横薙ぎの剣閃が視界を覆う。 閉じた目を開けると、そこは見慣れた丘の上だった。 マブタが手を掛けた木の幹に背中を預ける形で、昔の自分とエセリアがいた。
『ルイさん、でしたよね。 ぼくも会ってみたいです』
『うふふ、私の自慢の妹です。 恋してしまっても、責任は取れませんよ。 でも……会ってくれるかな。 私のこと、嫌いみたいだから』
『エセリアさん……。 大丈夫ですよ。 エセリアさんの愛は、しっかり伝わっていますよ』
「――愛なんかじゃない! 悪意の塊に囃し立てられて、他人を救うなんて自己満足に浸ってるだけよ!! 私が醜いから、側にいただけ!」
突然真横から胸倉を掴まれ、木の幹に背中を叩きつけられる。 ルイの切れ長の青い瞳が、晴れることのない憎しみをマブタに向けていた。
マブタは唇を噛み、ルイの手首を掴んだ。
「あなたは、ちゃんと知るべきだ!」
「これ以上、何を知れと言うの!!」
もつれあい、倒れる。 丘を転がり、視界がぐるぐると回った。
緑と青の視界が、しかし、途中で変わる。 赤と灰色と黒だ。
二人はそれでも互いを離すことはなかった。
回転が止まり、最後に二人の体はマブタがルイを押し倒す形で止まる。 肩を押し付ける手をどけようともがくルイを押さえつけながら、マブタは力強く言い放った。
「見せると言ったでしょう。 エセリアさんの愛を」
ピシャリ。 雷が高い天井の外で轟く。
ルイは辺りを見渡して、それからまたもがいた。
ここは、玉座の間。 マブタたちは、玉座の正面の階段から転がり落ちてきたのだ。
玉座から漂う女帝の、いや、母親の気配を感じて、ルイはさらに苛立った。
マブタたちの側に、エセリアがやって来た。
外では雨と雷の音がせめぎ合い、玉座の間の入り口の近くの石柱には金色の髪がはみ出していた。
『あの娘は出来損ないだ。 いうなれば国の恥…あの娘に王宮の外を歩かすなど、許されない。 この国は光の至高神の御許で隆盛を得た。 光の加護のないものなど、クズだ』
『なんですって』
母親の心ない言葉が、現在のルイを再び傷つける。 それは本望ではなかったが、どうしてもこの場所から離れさせるわけには行かなかった。
……彼女には聞こえなかった、エセリアの言葉があるから。
人一倍大きな雷が鳴り、遠くで幼い少女が耳を塞いだ。
ここから先は、マブタがエセリアとともに旅をしたときに見た、彼女の記憶。
「離して、離しなさいよ!! こんなの聞かせてどうするのよ!!」
『どうしてもあのクズ娘を外に出したいと言うなら、帝国を敵に回す覚悟をしろ』
「あの人は、私を――」
『――――――容易いこと。 ならば、先ずはあなたから切り伏せましょう』
ルイの体が、止まる……否、凍る。
これが回想であることを知っていながら、マブタもその声に、背筋が凍るのを我慢できなかった。 エセリアの顔を見上げたルイは、その目を見て、顔を引きつらせたようだった。
遅れてエセリアを見上げたマブタも、体を強張らせる。
覇気を帯び、引き締まった瞳孔。
一直線に玉座を睨みあげる視線は、並の人間に耐えられるものではない。 ルイはきっと、彼女のこんな顔をほとんど見たことがないだろう。
自分に向けられたものでなくとも、彼女に恐怖を抱くには十分すぎる。
『貴様、その言葉だけで万死に値すると知っての無礼か。 娘でも容赦せんぞ』
『それ以上あの娘を侮辱するのなら、あなたはあの子の……いえ、私の母親ですらない。 私はあの娘を連れていく。 邪魔をするなら、誰であろうと切り倒す』
『……それが名高き聖女のすることか? 貴様、本当に帝国を敵に回すつもりとは言うまい。 お前がこれまで救ってきたものまで、そんなことのために手に掛けれるのか?』
『ええ。 あの子のためにこのちっぽけで下らない国を滅ぼすなんて、容易いこと。 あの娘以上に大切なものなんて、この世にはない』
ルイの力が抜け、マブタはルイの上から退き、立ち上がった。 ルイは未だに信じられないといった顔で、エセリアの顔を見上げていた。
『口の利き方に気をつけろ。 お前はこの国の頂点に牙を剥けているんだぞ』
『関係ない。 あなたが傭兵だろうと、冒険者だろうと、あの娘を侮辱するものが笑って生きることは、許さない…………絶対に。 ゆめゆめ、忘れないでください』
聖女エセリア。 正義を尊び、ときに、悪に対して死を手向けることもあるが、その優しい心で民を導く存在。
しかし、彼女の今の言葉の数々は、とても聖女のものとは思えなかった。 その体から滲むのは、大切なものを侮辱されたことに対する途方もない怒り。
背後で気配がして、エセリアがハッとした顔で振り返る。
幼き日のルイが、何も聞こえなかったルイが、歯を食いしばってそこにいた。
「まだ、信じられませんか」
「こんな……こんなの、嘘よ」
「自分が虐げられるから、エセリアさんがあなたの側にいたと言っていましたね。 自分は、彼女の自己満足のための、助けられるものの一人でしかない、と」
「私の心を読まないで!」
「認めたくないでしょうが、事実はこっちだ。 あなたはこれから見るものを、『世界を愛するエセリア=ネーヴァ=メセトニアが、自分の損得勘定や私怨を抜きにやったこと』として見ることができますか?」
周囲の景色が燃え上がる。 幼き日のルイを追いかけるエセリアも、玉座で冷や汗を流す皇帝も、何もかも。
ルイは驚いて立ち上がる。
王宮の天井が焼け、黒煙を吸い込む夜の空へ。 周囲の壁や石柱は燃え盛る街へ。
あの日、ルイが領主を見捨てたときの街だ。 瓦礫に押しつぶされた領主の前で、ルイが肩を震わせている。
『た、助けてくれ……!! 頼む! 金なら出す! いくらでも出すから!!』
『アンタなんか、死んで当然よ』
ルイはその場を立ち去り、領主は発狂して叫び散らした。 その場に、しばらく男の悲鳴だけがこだまする。 また街の一部が崩落し、男の寿命が縮んだ。
「彼はたしかにあなたを罠に陥れた非道な人間です。 でも、然るべき善人なら、彼を助け、その後に彼を糾弾したでしょう」
「……そうね」
「彼は、どうなるんでしょうね」
ルイが走り去った道を、誰かが戻ってくる。
道を塞ぐ瓦礫を退けてやってきた金色の波のような長い髪を携えた女性は、悠遊とした足取りで領主の元へ来た。
領主を閉じ込める瓦礫に火が付き、領主は咽びながら彼女に助けを乞うた。
『大丈夫ですか』
『あ、ああ、エセリア様!! どうか、どうかお力を!! どうか……』
『ええ、もちろん』
『ありがとうございます!! ありがたや……』
神装を起動させたエセリアは、片手で瓦礫を持ち上げた。
男は足を折ったらしく、満身創痍でそこから這い出てきた。
エセリアは甲斐甲斐しく彼を担ぎ上げ、街の出口へと歩いていく。
ルイは俯き、ぼそりと口にした。
「……こんな奴、放っておけばよかったのよ」
「エセリアさんは多分、それじゃあ『気が済まなかった』んだと思いますよ」
不思議そうにマブタを見上げるルイ。 エセリアの淡白で感情の籠ってない声が、冷え冷えと火災の坩堝で響く。
『助かってよかったですね』
『ええ、ええ!! 不幸中の幸いといいますか、ほんとうに!!』
『そうですかね――』
不意に……本当に不意に。 エセリアは男の体を離した。
離したというより、満身創痍の体を、地面に仰向けに放り投げた。
『あなたが助けを求めたのは、聖女ではなく……悪魔ですよ』
『……へ?』
ルイが呆けた顔を浮かべたとき。 領主が素っ頓狂な声を上げたとき。 エセリアの手に金と青の聖剣が現れて。 男の太ももを、迷いなく突き刺した。
「あッ!!」
ルイが口元を押さえて息を吞む。 耳を貫く絶叫は、あまりに不愉快だった。
血が噴き上がり灼熱の中で一瞬にして乾くが、男の悲鳴だけが渇くことない。 取り乱した領主が地面に深々と刺さった聖剣の刃を握って引き抜こうとするが、手が斬り裂かれるだけで微動だにしなかった。
『な、な、な、何を……!? ああぁぁああ……!!』
もがく男は徐にエセリアを見上げて、恐怖で喉を詰まらせた。 青く冷えた瞳が、男を一切の情なく見下ろしている。 怖い。 その目が、怖くてたまらない。
圧倒的な憎悪と、覇気。 空気すら硬直し、炎すら熱を失ってしまったよう。
『信じていたものに裏切られるって、どんな気持ちですか?』
ルイは、ようやく自分のために彼女がこんなことをしていると気づいた。 エセリアがより深く刃を突き刺し、男が悲鳴を上げる。
『それは罪深きものには抜けぬ剣。 私の最愛の妹を穢したお前にその剣が抜けますか?』
周囲の燃え盛る街並みがきしみ始める。 一部が倒壊し、道に炎がはみ出し始める。
男の狂気は増すが、剣は毅然として揺らぐことはない。 手だけがズタズタに裂かれ、男は逆上してエセリアに食って掛かった。
『抜いてくれ!! 騙したことは悪かった!! でも、ここまでされることじゃないだろう!! それに白狼が死ねば、この街はより発展できるじゃないか!! あああッ!』
『……言い訳はそれで終わりですか? 続きは至高神に話してください。 この世にお前の生きる場所はない。 これ以上の存在は許さない』
『こ、これが聖女のすることか!! アンタは聖女なんかじゃない!!』
何を言われても、エセリアの殺意は揺らぐことはない。 純白の装束を着た聖女が、ゆっくりとその場を離れる。
『待ってくれ!! 助けてくれ!! 頼む!!』
家屋が大きな爆発を起こす。 丁度、男のすぐ側の家だ。 エセリアは最早一瞥を差し出すこともなかった。 家屋が男の断末魔を飲み込み、崩れ落ちる。
エセリアの行く先に、巫女装束の少女が腕を組んで待っていた。 口元には呆れたような笑み。
『気高き聖女が、普通私怨で人を殺すかの』
『……ルイは誰よりも辛い思いをして生きてきたんです。 たとえあの娘に憎まれようと、傷だらけのあの娘にこれ以上追い打ちをかけるような奴を、私は絶対に許さない』
『光の神装を持つが故の横暴よ。 貴殿がその鎧を纏わなければ、貴殿は暴君だ。 お前が殺したあの男も、お前の愛する民の一人ではないのか?』
『たしかに、私は暴君ですね。 でも私は、あの子を傷つける悪意が、我慢できない。 あの子のことを思えば、自分の大切なものすらどうでもよくなってしまう』
『……まぁ、今更貴殿のような聖人が何人私怨で殺そうと文句を付けるものはいまい。 しかし、貴殿も未熟よの。 人の気持ちは変えられると言いながら、あの娘に降りかかる悪意に対しては、変えるよりも先に滅してしまうとは』
ルイは目を伏せた先で、エセリアの拳が固く握り締められているのに気付いたようだ。
「あなたが毒殺されかけた知らせを聞いたエセリアさんがしたことも、ぼくの頭の中に入ってます。 見ますか。 正直、ルイからしても、気が晴れるようなものではないですよ」
「もういい。 やめて……」
ルイは弱りきった病人のように何もない場所に膝を立てて座り込んだ。 そんな彼女の背中に木の幹が現れ、情景が塗り替わる。
ルイの側に、エセリアも座り込んでいる。
いつの夜のことか、ルイにはすぐに見当がついたようだった。 首を横に振ったルイを他所に、エセリアのか細い声と、返ってくる冷たい声が交わされる。
『お願い……信じて……ルイ』
『……………………おやすみなさい』
エセリアの頬から、一筋の涙が伝う。 ルイが人差し指で掬おうとするが、回想の中の涙はルイの手を通り抜けてそのまま落ちていった。
「エセリアさんは、あなたのことを精一杯愛していましたよ」
「…………そんな、そんなの」
「エセリアさんは誰に対しても優しかった、もちろんぼくにも。 だからあなたは、勘違いしてしまったんですよね。 でも実際は、エセリアさんは誰よりも、あなたが大好きでしたよ。 知ってますか。 エセリアさんが愛しているという言葉を使うのは、人々の良心を語るときと、ルイ、あなたのことを語るときだけです。 ぼくも、あの人に愛してるなんて言われたことはなかった」
情景が風に流されて静かに塗り替わる。
☆
死んだ灰色の街の中で、ルイは頭を押さえて後ずさる。 銀色の髪が鮮やかな金色をすこしずつ取り戻し、オレンジ色の双眸は明滅するように青く変わっていった。
周りからすれば、ほんの一瞬で事が起きたように思えただろう。
「エセリアさんがあなたを愛したように。 この世界の誰もが、同じものを持っている。 同じものを持って、生きているんです。 そうは、思えませんか」
「…………」
ルイの荒い呼吸が何度も、何度も繰り返される。 その目が、今も仲間を庇うラフィアナたちに向けられ、それから虚空をさまよった。
「……嘘よ。 そんなの嘘よ!! だったら、何で私はこんなに虐げられるの!? 私がこれまで出会ってきた悪意たちは何なのよ!! どこに愛があるのよ!!」
髪を振り乱して、ルイは独白する。 ルイの背後から、黒い霧が迫ってきていた。 霧に呑まれた灰色のリンゴが、瞬く間に焼け落ちる。
彼女自身の闇ではない。
闇の中から姿を現した、スズリのものだ。 ルイは頭を押さえながら、スズリの生み出した闇の中へ身を滑り込ませる。
スズリはマブタの顔を少しの間見つめ、それから自身も闇の中へ入っていった。 闇は小さな炎たちを残して霧散し、後には誰も残らなかった。
マブタはふらつきながらルイのいた場所に歩み寄り、小さく項垂れた。 それから、痛む体を無理矢理動かして広場を振り返った。
「『彼方の御方へ、愛しき貴方へ、光の至高神へ。 その大いなる御慈悲を癒える光に、その指先で我らをお救いください』」
エセリアの言葉の真似をして両手を広げる。
黒雲の隙間から優しい光の粒が天の使いのように降りてくる。 光は負傷した冒険者たちへゆっくりと降り立ち、傷口へと触れるとふわりと溶け落ちた。
マブタは、何かを口にしようとした冒険者たちよりも先に項垂れながら懇願した。
「もしこの場所にかの聖女エセリア=ネーヴァ=メセトニアがいたら、彼女が刃を向けるのは、あなたたちの心です……。 ぼくは、醜くない。 そして、ルイをあんな悲しい姿に変えたのも、同じように、ぼくたちの、悪意です」
その場を立ち去ろうとしたマブタだったが、体がついてこなかった。 振り返って一歩歩いたとき、マブタの足は頽れて、瞬く間に両膝をついた。
その体を、誰かが優しく抱き留める。 辛くも首を動かし、その先で銀色の髪を見る。
王族に与えられた青色の大きな瞳が、神妙にマブタを見つめていた。
「サンティさん……」
「やっぱり、あなたといると……調子狂うな」
サンティは小さく笑って、ため息も一緒に吐いた。 サンティの体に白い光が現れ、口元が何事かを唱える。
「光は……あの人だけではないか、そう思おうとしていたんでよ。 でもまだ、難しそう」
体が黒い狭間に飲み込まれたと思ったら、周りの空気や音が一瞬で切り替わったような気がした。 マブタはサンティの胸元で、彼女の過去へと沈んでいく。