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マブタの奥に  作者: 裕道 麩葱
第五章『蠢く』
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襲撃、そして

翌日。 マブタの一行は、エシュナケーアの森から二番目に近い街を視界に入れた。

 この次に現れる街は、いよいよエシュナケーアの森のすぐ側、あと一週間もかからないはずだ。 空は濃い曇天に覆われ、雷のくぐもった音が遠くで聞こえる。 この日の夕刻前、マブタは一人で街に買出しに行くと宣言した。


 マブタの目立ち方は髪の色を変えるだけではどうにもならない。 それでも彼は一人で行くと言った。 憎しみの箍が外れかけた彼らを、これ以上悪意に晒すわけにはいけない。


 大規模な訓練があるということで、街に冒険者は多い。 流行りの服を着こんだ街娘や恰幅のいい商人たちに混じって屈強な男や鎧を纏った女がうろついていた。


 赤い屋根で作られた煉瓦の町並みは統一感があり、近くの川から引かれた水路を覗き込む少年の身なりは整っている。


 そんな中でマブタは、強い嫌悪に刺されながら足早に店を探した。 街に入ったのは久しぶりだが、やはり彼を毛嫌う意識は嘔吐を伴いそうになるほど苦しかった。



「豚だ。 気持ち悪い)(出ていけ)(あのとき処刑されてれば……)「きもい……」



 頭を押さえて雑念を払いながら、広場に入る。 円形の大きな噴水を中心に十字に伸びている都市の中心部だ。 露店も多く構え、敵対する東国の文明の品々を売る店も見受けられる。 吟遊詩人の語り部に街娘が目を輝かせ、泥酔したドワーフが粗悪な酒に舌鼓を打っていた。


 そんな矢先のことである。


 大量の嫌悪と侮蔑の中で確かな殺意が煌めいたのに気付いた瞬間、甲高い鳥の絶叫と共にマブタの背中を焼けるような痛みが襲った。


 街の住民たちの悲鳴とともに、マブタは噴水の側の石畳に突っ伏した。 頭上で、炎だけで構成された大きな鳥が旋回している。

 やがて鳥は甲高く吠えると、炎の粒子となって消える。


 賑わっていた人々が蜘蛛の子の如く散り、歴戦の冒険者たちだけがその場で顔をしかめていた。



(なんだ、極圏の襲撃か?)(いや、魔法だな)(あれは、例のオークか)(心配して損したな)(でもいいのかねぇ)(気持ちは分かるがな)



 殺意を向けた少年が、コツコツと石畳を叩きながら近づいてくる。 マブタは体を起こして小さな少年と対峙した。 スズリの回想と、エシュナケーアの森で出会ったことがある。

 名前はカナタ。



「……こんな人ごみのあるところでなくても、用があるならいつでも構いませんよ」

「はッ!! オークがセントラルの心配をしなくても結構だよ!!」



 カナタが何事かを呟いて杖をマブタに向けると、杖の先から業火が放射される。


 マブタは横合いに飛びのいた。 噴水に着弾した炎が水を盛大に吹き飛ばし、広場に雨が降る。 そんな降り注ぐ雨を斬り裂きながら、風の一閃が奔る。 可視の風が一本の線になり、咄嗟に身体を反らしたマブタの顔の側を通り過ぎ、今度は石畳を砕いて土埃を打ち上げる。


 広場の外の赤い屋根の上に、狙撃者がいる。 露出の多い風の神装を纏った森人。


 その目はマブタの筋肉の軋みすら見通してしまうのでは思えるほどに平静で、手にした弓には風で形成された嵐の如き二の矢が引き絞られている。


 重い足音が近づいてくる。 カナタの側に並んだ大柄の男の周りには炎が舞い、纏った黄金の鎧は目に痛いほどに荒々しくも美しい。 大ぶりの斧を支える筋肉は獲物を前に強く張り詰めている。

 前衛後衛、なんともバランスのいい一行だ。



「お前の悪行もここまでだ。 ギルドから正式に認められたお前の討伐書が出てんだ」



 ショウドウがギルドの依頼者を見せびらかす。 逃げ惑っていた住民たちがその声に足を止め、好機の視線を向ける。

 恐怖の襲撃は、狂喜の見世物へ。 処刑にも用いられる広場に、少しずつ人が戻ってくる。



「ぼくは怪物ですか?」

「自覚がないのか? はっ」

「依頼主は誰です。 エルフですか?」



 ショウドウはそんな彼の言葉を切り捨てて斧を構える。 答えてもらう必要はない、心に直接聞く。

 ショウドウの心から、ラフィアナが依頼者の心が読めなかったと言っていた記憶を引き出した。 

 やはり、エルフの類か。



 ――ぼくに、積もる恨みがあるんですね……大きすぎる罪とは、やはり……。



 思考を斬り裂くように、目の前に巨大な刃が迫る。

 マブタの身体に巻きついた誰かの怨嗟が、一瞬マブタの身体を縛り付けた。 我に返ったマブタが何とか刃をいなすが、



「今度は逃がさねぇぞォ!!」



 返す刃が逆袈裟にマブタの肌を浅く削り取る。 赤い液体が宙を舞い、よろめいた隙を狙って遠方から風の刃が放たれる。 風の刃が肌に触れた瞬間、膨れ上がって幾多もの牙になり、思うままにマブタの肌を引き裂いた。


 黄色い歓声が上がる。 気が付けば、マブタは数え切れないほどの罵声に囲まれていた。



「殺せ!! 聖女様の敵だ!!」「八つ裂きにしろ!!」(いいなぁ、私もああやって悪を裁く冒険者になりたい……)(愉快だ)「いいぞ!! 言葉無きものを殺せ!!」「オークめ!!」(血は緑じゃないのか?)



 あまりの淀んだ感情に、気を失いそうだった。 心臓が苦しい。

 頭の中に、手紙の、憎しみの籠った叫びが響く。


 苦しまなければいけないと、手紙の主は言った。 これが、罰なのか。


 自分は死すべき悪で、ここで彼らに裁かれるのが、贖罪になるのか。 そんなことすら弱気に考えながら、マブタは逃げ惑った。



「殺せ!!」

「燃やせ!」



 ふと、エセリアの顔が過る。 そして、ルイの顔が過った。 思い出したのは、約束。


 ダメだ。 感情の針のむしろの中で、弱気な心を正す。



「はは、もっとやれ!!」(いい見世物だ)「聖女様の苦しみを知れ!」



 たとえ自分が過去にどんな大罪を犯したとて、マブタにはやらなければならないことがある。 そして、マブタを囲む昏い感情は、裁きでもなければ正義でもない。



「豚を殺せ!!」



 それは、箍の外れた、醜悪な本能でしかない。 マブタが、そんなものを裁きと仰いではいけない。 エセリアが憎んでいたものを、許容していいわけがない。


 足に力を入れて踏ん張るマブタに、しかし、風の矢が容赦なく突き刺さった。


 肌を抉って飛び散る血しぶきに、歓声が上がる。 体が、力なく崩れた。



(少しは抵抗しろよ、つまらん)「命乞いしろ!! ははは!!」



 身体が動かない。 気が付いたら服は真っ赤で、体から焦げ臭いが湧き上がってくる。


 立ち向かおうとしたときには、マブタの身体は動かなかった。


 黒い空が見える。

 黒い空に――青い光が奔るのが、見える。



「あッ……!!」



 マブタが目を見開いた瞬間に、群衆がどよめいた。 群衆の一部が、悲鳴を上げながら道を開けた。 遠くで聞こえた稲妻が、耳元で聞こえるようだ。 ショウドウたちの動きが止まる。 空が、叫んだ。


 青の光が地上に降り立つ。 最初の雷光が赤い屋根を穿ち、次の雷光が露店を砕く。


 幾多にも重なりながら雷が地上を破壊する。 群衆だけでなく、生身の冒険者たちですら怒号を上げながらその場から退避し始めた。 混沌の中を、静かに歩く少女が見えた。



 ――ダメだ。 来ないでくれ。 頼む。



 願いは虚に消え、その少女――ルイは、鮮やかな青の目に憎しみを燃やしながら地面を踏みしめる。 その目はマブタを一瞬捉えた後、すぐに冒険者一行に向けられた。



(ほら、やっぱりアンタは間違ってる。 こんな奴ら、生きる価値もない。 姉さんに騙されていただけ……)



 雷がすぐ側の地面を粉砕するが、マブタは身動きが取れない。 ショウドウはルイを見て、憎々し気に言った。



「これはこれは王女様。 王女様の嗜好に合ったペットらしいが、どうかご勘弁を。 これはギルドから、引いては帝国から認められた“狩り”なんでね」

「好きにすればいい」



 ルイはぴしゃりと言い放つ。



「私も――――好きにするから」

「ルイ!!」



 ルイの周囲の空気が逃げて風になる。 空気が急速に冷え込み、街が震えるかのように音を立てた。 雷すら静まり返り、風だけが轟々と辺りを逃げ回っている。


 何かが来る。 強大な何かが。 奇跡や神装とは格の違う、否、まるで“神そのものが降り立つかのような強い力”が、憎しみとともにやってくる。

 天上から来るものではなく、ルイの内側から込み上げるそれは、世界を鳴動させ、街を慟哭させる。



「お前たちのような化け物に、生きる資格はない。 この世界に、お前たちは必要ない」



 エセリアが、ルイは強い子だと言っていたのを思い出す。 彼女が出生のときに、母体が闇の至高神の接触を受けた際のこと。 連日連夜祈祷や魔法を用いて至高神の接触は引き剥がされた、そう語られるが実は少し違うんだと。


 ……実際は、胎内にいた赤子が、祈祷や魔法で接触が剥がれかけた、最後の一押しに抵抗して“闇の至高神の御手を噛みちぎった”のだと。


 食らった強大な闇の力は、今もルイの身体の中に眠っている。


 この世界で歴史上至高神に最も愛されたエセリアにのみに許された奇跡、『聖々域ノ奇跡』を以ってしても除去できないほどの、神代の力の一部が。



「『開け、特異点』」



 現れる。

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