あなたがくれた世界は
閲覧ありがとうございます!
これは主人公が自分の記憶を追い求める物語なのですが、そのヒントは作品にたくさん溢れています。
想像しながら読んでいただくのも楽しみのひとつになるかと思いますので、ぜひ考えてみてくださいね!
素敵な挿絵はタルトタタンさんからいただきました!!
聞こえる。 罵倒する声が。 処刑台に跪いた豚に、耳を覆いたくなる醜悪な言葉が絶え間なく耳朶を突き刺す。 しかし、身動きを咎める鉄の錠が耳を塞ぐことをを許さない。
充満する憎悪の中に、蒼い悲哀が膨らんではまた怒りへと堕ちる。
「死ね!!」(豚が)「醜いオークめ!!」(四肢を引き裂け)(眼球を抉り出せ)「なんて罪深いことを……」(俺が殺したい……浅く刃を引っかけて骨を削って、ゆっくりと――)「何やってんだよ!! 早く殺せよ!!」「家族を返して!!」(至高神様……どうかあのものに然るべき裁きを)(見れば見るだけ醜い男だ。 きっと血も赤くはないだろう)(気持ち悪)「エセリア様……ああ、エセリア様――」
「罪状――――――このものは――――『言葉無きもの』たちに混ざり――」
(早く殺せ)(死体を踏ませろ)(切り刻ませろ)(首を晒し上げろ)(希望は潰えた)(アイツのせいで)(アイツが殺した)「殺せ!!」(死ね)(死ね)(あのお方もこれで少しは報われる)「早く死ねよ!!」(死ね!!)
「神峰メセトニア帝国第二王女、エセリア=ネーヴァ=メセトニアを殺した!!」
黒山の人だかりから、甲高い悲鳴と野太い落胆の声、一層の怒号が広がる。 醜悪な見た目をした男は、彼の罪状を読み上げる声を振り返る。
昼間のまばゆい逆光でよく見えないが、髭を蓄えた精悍な顔立ちの、華美な服装に身を包んだ男が、我こそが英雄だとばかりに彼の罪状を声高々に叫んでいた。 今は彼の容姿を侮辱する言葉を舌に乗せて大衆の憎しみを煽っている。 男の頭の中は、保身で一杯のようだった。
「至高神様に見捨てられた豚が!! 死ね!!」(大人がこんなことするってことは、あれは悪なんだ。 悪い奴なんだ。 悪い奴は懲らしめていいんだ。 石を投げよう)「早く首を刎ねろ!!」(許すな)
目を剥いて声を張る男の手前には、黒い衣に顔までを完全に覆った処刑人が、黙って醜悪な豚を見下ろしている。 手に持った大ぶりの斧を見て、拷問で潰された左目が疼いた。
彼は正面に向き直ると、集まった市民の顔を見渡した。 街の外れにある広場に用意された処刑台の前には、大量の人間が押し寄せている。 普段は見世物として祭りのような盛り上がりを見せる処刑も、今日だけはわけが違うようだ。 集まった人間たちは、一様にオークが処刑されるのを心待ちにしているが、そこに娯楽はない。
「聖女様を返せ!!」(邪魔だ。 もっと近くでアイツが死ぬところを見せろ)(周りもこんなに声を出している。 もっと私も声を出そう。 いつもならしないけど)(あの豚が美しい聖女様を犯したんだ。 羨ましい、憎い……)「『言葉無きもの』の仲間を殺せ!」
露店は人の群れに隠れて見えなくなり、集まった美しき人間たちの顔は、オークのような醜悪な男を見上げて同じくらいに歪んでいた。
遠方を仰げば、崩落し、焼失した街並みが見える。 彼の耳に、教会の鐘の音が届いた。
空を見上げる。 小さな雲たちが、どこかから泳ぎに来ていた。 青色の海は穏やかで、暑苦しい日差しの棘を気持ちの面では和らげてくれている。
こんな日に、随分とご機嫌な空模様だと思ったが、それもまたこれでいいと思う。 今日もどこかで、雨は降っている。 幸せなときに雨が降ろうが、どこかでは必ず晴れている場所がある。
「あなたがくれた世界は……」
彼は、潰された喉からしわがれた声を上げた。
「いつだって、とっても綺麗です。 でも……」
彼は口元からか細い笑みを零しながら、群衆の顔を見下ろした。 口から、“心から”飛び交う罵詈雑言。
彼は、彼らを憎まない。 憎むべきは、一つ。
彼が喉の痛みを押さえて叫ぶ言葉は、潔白を訴えるようで、その実彼らを咎める諌言のよう。
「ぼくは、彼女を……エセリアさんを殺していません!!」
群衆が跳ね返すように声量を上げた。
「嘘を吐け!!」「恥知らずが!!」(そんなに死にたくないのか。 家畜のようなツラをして、気味が悪い)(ああやって嘘を吐いて聖女様を誑かしたんだ)(子供たちを殺したんだ)(豚め……!! 母を)(私の息子を)(同じ目に……いや、もっと惨く死ね)「何人殺したんだ!!」「くたばれオーク!!」
投げつけられた石の礫が頬を打つ。 あれだけ痛めつけられておいて、まだ頬から血が滴ることに、皮肉な笑みが浮かぶ。
隣に立つ大男の気配。 握り締めた斧が陽光を遮る。 怒号に歓声が混じり、処刑執行の言霊が群衆の魂を揺さぶる。 湧き上がる罵詈雑言に、心が痛む。
斧が床を擦る。 群衆を鼓舞するようにゆっくりともたげられていく刃を見て、彼は唇を噛んだ。
――こんなところで死にたくない。 ぼくには約束があるんだ。
大衆は喚く。
(死ね)「死ね!!」「殺れ!!」(死んでよ)(殺せ)(死ね)「殺せ!」(殺せ――)「殺っちまえ!」(豚め)(死ね)「死ね」(死ね)「死ね」(死ね)「死ね――」
(――――許さない!!!!!!)
おや、と思った。 彼の耳が、気高き“心の声”を拾ったのだ。 他の大衆の声とは一線を画す、闇夜に煌めく月夜さながらの壮麗な声。 何か位の高い人間の怒りを買ったのだろうと思ったが、どうやら違うようだった。
(絶対に許さない!! 絶対に、許さない!!)
その怒りは、彼ではない別の何かに向けられていた。 その意識は、人間たちの罵声に吸い込まれるように近づいてくる。
観衆たちの声が高まる。 血に塗れた斧が、高々と立ち上がった。
(お前たちは――)
歓声が最高潮に達する。空気を斬る音が耳に入り込む。 彼は目を瞑り、歯を食いしばり、死にたくないという思いを天上の至高神に訴えた。
(お前たちなんて!!!!!!)
強い意識だった。 刹那、鉄同士が激突する甲高い耳障りな音が響く。 観客たちは突然起こった事態に口を閉ざし、彼もまた、体を震わせ、少しの後に目を開いた。
(大っっ嫌いだッッッ!!!!!!)
ゆっくりと顔を上げ、隣に立つ処刑人を見上げる。 処刑人の男は、慈悲なく斧を振り下ろしきっていた。 しかし、鈍色の刃を受け止めているもう一つの刃が、ある。
それが、醜い風貌の男の命を守ったのだ。
剣を差し伸べた人間の顔を見上げる。 太陽を背負った少女の顔はよく見えないが、切れ長の瞳の中に煌めく眼はこの世に存在するどんな宝石よりも鮮やかな青を讃え、二つに束ねた金色の御髪は獅子のたてがみを思わせるほど勇壮で、気高く、美しく、処刑場に流れる濁った風にたなびいていた。
彼女の周囲には、蒼い稲妻が彩るようにわずかに散っている。
「…………!」
彼は目を見開いて少女の顔を見る。 その目と髪の色、その気高さ、その存在感、黒の軍服のような装束。 今は亡き人間の顔を呼び起こさせる。
――会いたかった。
そんな気持ちが止め処なく溢れ、右目から、そして潰された左目からも涙が落ちる。
群衆が状況を理解するよりも先に、少女は斧を乱暴に振り払うと、処刑台から一歩身を乗り出して、叫んだ。 その表情は嫌悪と憎しみ。 そしてその陰に身をひそめる、悲哀。
「この男はッッ!!!!!! 誰も、殺していないッッッッッッ!!!!!!」
あまりに凄みのある大音声だった。 あるものは瞬きを忘れてえ瞠目し、あるものは仰け反り、あるものは尻餅をついた。
この肌を震わせる一喝に似たものを、彼は見たことがある。
「この処刑は、即刻中止とする!!」
(何だ、誰だ)(何故止める)(何の権限だ)(あの髪の色はまさか)(バカな、あの豚男が殺したに決まっている)(犯罪者を守るとは、さては『言葉無きもの』の――)
「これは私の――――神峰メセトニア帝国第三王女、ルイ=ネーヴァ=メセトニアの命であるッッ!!!! 申し立てがあるものは、我がメセトニアに仇成すものと知れッッ!!!!!!」
一瞬の静寂。 それから、失望、立腹、何よりも大きな吃驚が急速に人々の中に伝播した。 そんなものは他人事とばかりに少女は……ルイ=ネーヴァ=メセトニアは彼を振り返ると、悲痛を滲ませた顔で、口元を動かした。 喧騒に掻き消されたが、彼女が何と言ったかは分かる。
ごめんなさい。 そう言っていた。 そして、彼女は、あのときのエセリアがそうしたように、見るも醜い彼に、優しく手を伸ばす。
そんな少女を見て、彼は不思議な気持ちになった。
――エセリアさんと、こんなにも似ているのに。
――エセリアさんと同じように、ぼくに手を伸ばしてくれるのに。
――どうして彼女は、こんなにも彼らを憎んでいるんだろう?
彼の心の中に、小さなともしびが宿る。
古の時代。 神々が凌ぎを削っていた。
闇の神と、光の神を筆頭とした神の軍勢たちの戦い。 決着はつかなかった。 両者とも、全知全能の神であったから。 そこで彼らは粘土を捏ねて、一つの星を創り出した。 その上には、闇の神が生み出したものたち、それ以外の神が生み出したものたち。 彼らは、意図的に不完全に生み出された。
神々は、争いの行く先を彼らに委ねたのだ。 寿命を持ち、使命を知らず、本能のままに生きる彼らに。 しかし、闇の勢力と光の勢力たちが、何代と続くうちに神々の予想を裏切る動きを見せる。
それぞれが文明を築き、戦いではなく幸せを求めたのだ。 その最中で、光の勢力の中で不和が起き、戦争になることも幾度とあったし、一部の闇の勢力と分かり合う光のものたちもいた。
神々は彼らを生み出した目的を忘れ、彼らの躍動をハラハラと見守った。
やがてそれは、愛という感情に変わっていった。
彼らは全てを愛し、今日もこの不安定な世界で、その御手を――『奇跡』として、神々を信じ、求めるものに差し伸べる。
しかし、同志でぶつかり合いながらも、理解し合いながらも、二つの勢力は決着へとゆっくり足を進めていく。
大陸は三つに分かたれた。 北方を覆うは闇の者たちが闊歩する『極圏』、中央を帯状に陣取る人間たちとその親しき種族で構築された『中央区』……通称セントラル。 そして、その他数多の雄大な種族が構える南の大地『境峰』。
盤面を眺める神々にも、その行きつく先は分からない。
そこに現れた一つのずんぐりとした醜い男。 彼は一体、どこから来て、何を導くのだろう。